SHISEIDO GINZA TOKYO


資生堂は140年以上にわたって、変化に富む刺激的な歴史を紡いできました。美を提供するブランドでありながら、先進性と創造性を追求して時代を超えて愛される製品を生みだし、ビューティー&スキンケアの分野で最先端を走りつづけています。資生堂を今日のような企業に成長させたさまざまなできごとを、ここで振りかえってみましょう。

1872

1872

福原有信が東京・銀座にわが国初の洋風調剤薬局を創業。当時23歳の有信は、西洋薬学から生まれた高品質の薬品を、従来の慣行とは一線を画す新しい手法で販売することをめざした。

1897

1897

初の化粧品「オイデルミン」発売。乾燥肌を防ぐために作られた化粧水で、そのあざやかな色から「資生堂の赤い水」として親しまれた。処方を改善して現在も販売されている。

1916

1916

東京・銀座の薬局から独立して、隣接する場所に化粧品部を開店。製品の品質とデザインを向上させるため、店舗の上階に意匠部、試験室を新設した。

1917

1917

「七色粉白粉」発売。八角形のアール・デコ様式の容器が特徴で、肌をただ白く見せるのではなく、それぞれの肌色に合わせて使える日本初の白粉だった。

日本人調香師の手による初の香水「花椿」発売。椿、梅、藤といった日本の花々の香りをイメージしたもので、高級カットグラスのボトルが使われた。

1919

1919

現存する日本で最古の画廊、資生堂ギャラリーが開設された。

1931

1931

東南アジア向けに「ローズ化粧品 」を輸出開始。本格的な世界進出が始まった。

1939

1939

資生堂化学研究所の3階建ての建物が完成。かつての意匠部が研究所として本格的に機能することになった。

1959

1959

資生堂美容学校創設。

1977

フランス人デザイナーのコレクションを日本で紹介するファッションショー「6人のパリ」を開催。資生堂の高い技術力と化粧品の品質がパリのファッション業界で注目され、パリのさまざまなコレクションからヘアメークやメーキャップの依頼を受けるようになる。

1980

フランス人アーティスト、セルジュ・ルタンスがイメージクリエイターに就任。資生堂ブランドのビジュアルキャンペーンのみならず、カラークリエイションの監修を手がけた。高級ブランドイメージを定着させ、資生堂製品を世界的に認知させるうえで重要な役割を果たした。

1985

ニューヨーク州立ファッション工科大学(FIT)からの要請で、資生堂コスメティクス・アメリカ20周年記念行事の一環として、資生堂広告美術展「The Art of Beauty」を開催。資生堂の広告デザインやポスター、商品パッケージなどを時代背景とともに紹介し、資生堂の宣伝制作物のもつ、独自のアート性が高く評価された。

1986

1986

パリ広告美術館にて、資生堂広告美術展を開催。日本の伝統文化とフランスのアール・ヌーボー、アール・デコをハイブリッドさせた資生堂のデザインワークは、独自のビジュアル表現であるとして多くのフランス人から評価された。

1989

国際フォーラム’89「サクセスフルエイジング」を開催。このフォーラムは、資生堂の研究開発を通じて得た様々な知見を社会に還元することを目的として、以後2年ごとに2005年まで続いた。

1992

1992

他社に先駆けて、地球環境の保全に対する姿勢を明文化した「資生堂エコポリシー(環境に関する経営方針)」を制定。地球環境を守るための努力、そして美しい自然を守ることが「美しく生きたい」という願いに通じるというメッセージが込められている。

2011

2011

「SHISEIDO THE GINZA」開店
資生堂が長年培ってきた知識と経験のすべてを惜しみなく提供する美の殿堂としてオープン。コンセプトは「知らない自分に会える場所」。

2013

2013

気候変動に関する情報を積極的に開示する姿勢が認められ、「気候変動パフォーマンス先進企業」に選定される。