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第3回 元麻布 ミ・カフェート 代表 川島良彰氏 第4章 強運の男 川島の人生もやはり出会いである。

<店主前曰>

川島良彰はまさに異端児である。18歳で日本を飛び出してエサルバドルの大学に留学したものの、まったく興味がわかず、大胆不敵にも国立コーヒー研究所に座り込み戦術で潜り込んだ。大好きなコーヒーのことを貪るように勉強した。だが、エルサルバドルに内乱が勃発して、命からがらロスに脱出した。タコスを焼いて細々と生計を立てていたところに、UCC上島珈琲株式会社の創設者、上島忠雄が救世主のごとく現われた。川島はいわれるままに世界最高のジャマイカのブルーマウンテンの栽培を手がけることになる。当時の川島の肩書きはジャマイカ現地法人の「取締役社長」だった。だが本社での身分は「平社員」であった。現地採用の憂き目を感じたことだろう。よくいえば会長直轄の「特別枠の平社員」であった。異端児は組織のなかではあくまでも異端児である。今日の異端から明日の正統になるために、川島は26年間世話になったUCCを退職した。それは2007年10月のことだった。川島はそのとき51歳であった。

シマジ ホセは独立してこんなに早く成功するとは思わなかったんじゃないの。

川島 いやいや、UCC上島の看板がなくなって2年くらいは大変でした。でもうれしかったのは「ホセ、待っていたよ」と各国のコーヒー農園主がいつもの暖かさで迎えてくれたことです。そして相変わらずわたしのこだわる条件に沿って、それぞれの個性的で希少な品種を大事に生産していたことです。だからわたしは彼らと契約書を交わしたことがないんです。すべて阿吽の呼吸でやってきました。

シマジ なるほど。農園主たちは大手会社のためではなく、ホセのために働いていたということなんだ。これは物書きにもいえるね。物書きは出版社のためにではなく、その担当編集者のために書いているんだよ。

立木 それは写真の世界も一緒だね。センスのいい面白い編集者がいれば、出版社なんて関係ない。第一、フリーにとって誰が社長でもまったく関係ない。その事実はシマジもフリーになってわかっただろう。

シマジ まったくだね。だから出版社は社長で保っているのではなく、優秀な各編集者の才能で保っているんだろうね。

立木 当たり前だ。出版社は才能で保っているのさ。

シマジ でも才能ある編集者を短い時間の面接でみつけ出して採用するのは至難の業だからね。

立木 それは社長の目利きにかかっているんじゃないか。

シマジ その採用方式を発明した出版社の1人勝ちになるね。

立木 それがなかなか発明出来ない。十年一日のごとく同じ採用方式を繰り返しているのが現実だろう。でもホセのような異端児はいずれ組織から飛び出すだろう。

原田 よくシマジさんはサラリーマンとして67歳まで務められましたね。

立木 そうだ、お前もまさしく異端児だ。もっと早く物書きになればよかったのに。

シマジ いやいや、そのころは自分で書くより編集者として人の原稿を褒めたりアドバイスしたりしているのが面白かっただけだよ。しかもおれは引退するまで直接編集現場で原稿を書いたり、対談したりしていたからね。編集稼業で面白いのは編集長までだということをおれは本能的に知っていたんだよ。部長や取締役になるとほとんどの編集者は、メンスのあがった品のいい女性みたいになっちゃうんだよ。

立木 72歳にして物書きと責任編集長とバーマンをやっている男はあんまりいないんじゃないか。

川島 シマジさんを知らない編集者はいないそうですね。

シマジ それは悪名は無名にまさるということでしょう。でもホセがUCCにいたころ世界のコーヒー人脈をフルに使えたのは、ホセの人脈とはいえ、大きいことだね。それから丸岡会長という素敵な相棒と出会ったことだね。

川島 まさに人生は出会いですね。

シマジ タッチャン、そこでニコニコしている丸岡会長はいままで一流商社で働いていたんだが、ホセに惚れ込み会社を設立して商社を辞めてしまったんだよ。

立木 よかったね、成功して。

川島 丸岡は代表取締役会長なんですが、会長とは社員に呼ばせないんですよ。どうしてだかわかりますか。それは会長といわれるとジジイって感じがするでしょう。それがいやなんですって。いつまでも若くいたいんでしょう。

シマジ だから伊勢丹のサロン・ド・シマジによくきて、SHISEIDO MENをはじめいろんな商品を買い求めてくれるんだ。しかも肌チェックはDだったしね。

原田 なかなかDは素晴らしい得点です。このままSHISEIDO MENを使い続ければCもBも不可能ではありません。

丸岡 ホセに負けないように日夜頑張ります。

シマジ 丸岡会長、この調子でSHISEIDO MENを愛用し続ければAだって夢ではないでしょう。

丸岡 会長はやめてください。もしAになったら、わたしでも資生堂の福原名誉会長と食事が出来るんですか。

シマジ 当然です。いま伊勢丹のサロン・ド・シマジにBが4人もいますが、チャンスは平等ですから。

原田 丸岡会長は朝晩お手入れしていますか。

丸岡 会長はやめてください。もちろん朝晩していますよ。

原田 それなら可能性大ですね。

シマジ 話をホセに戻すけど、コーヒーの事業が軌道に乗った最大の要因は、JALがホセのコーヒーに目をつけたことではないですか。

川島 その通りです。JALが国内線と国際線にうちのコーヒーを採用してくれたので、一気に評判になりましたね。JALも大変な時期だったのですが、うちのグランクリュカフェをファーストクラスに取り入れてくださったんです。

立木 それも出会いだろうね。

川島 そうです。JALのファーストクラスでうちのコーヒーを味わい感動してミカフェートのメンバーになっていただいたお客さまが沢山いらっしゃいます。

立木 そこのコーヒーのウオーク・イン・ユミドールのなかにシマジの名前を発見したときはおれは驚いたよ。

シマジ おれは忙しいときはネスプレッソを愛飲しているけど、時間に余裕があるときは、ホセのグランクリュを飲んでいるんだ。ジャマイカの南斜面のブルーマウンテンの上品な酸味が堪らないんだ。人生は人との出会いも重要だけど、モノとの出会いも大切だよね。

立木 それで朝日新書で『迷ったら、二つとも買え!』なんて出したんだな。

川島 へえ、「美しいモノをみつけたら迷わず買え」から「迷ったら、二つとも買え!」に進歩したんですか。

シマジ その伝でいくと、ミカフェートにやってきたら、迷わず、ホットコーヒーとアイスコーヒーを二つとも飲め、だね。

川島 そうです。ホットとアイスは同じコーヒー豆でも焙煎の仕方がちがいます。

立木 へえ、どうちがうの。

川島 アイスコーヒーのほうが少しこんがり強く焙煎します。

シマジ なるほど。氷が解けることを計算に入れているんだね。

川島 その通りです。

原田 でも今日のこのコーヒーを飲んでしまったら、まさに”知る悲しみ”ですね。

川島 ありがとうございます。

立木 シマジはここで「知る悲しみは、知らない悲しみより、上質な悲しみである」といいたいところだろう。

シマジ タッチャンの仰る通りです。人間に生まれてきたら、“知る悲しみ”を知って死ぬか、“知る悲しみ”を知らないで死ぬか、それは格がちがう生き方ではないかと、おれはいつも思っているんだ。

原田 今日はきてよかったです。いくつもの“知る悲しみ”を知りました。ありがとうございます。

資生堂ビューティートップスペシャリスト 原田 忠

ニューヨーク・パリにおけるファッションショーではヘアメークチーフとして活躍するほか、作品の発表にも注力している。
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今回登場したお店

ミ カフェート 元麻布本店
東京都港区元麻布3-1-35 c-MA3 1F
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