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第4回 六本木 格之進 千葉祐士氏 第4章 夏の昼下がりは食のジョークを披露しよう。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

資生堂の竹山さとみさんのお話を聞いてもわかるように、いまや日本の女性が海外に長期駐在して仕事をする時代になっている。しかしそれとは逆に、男性は長期海外駐在を嫌う傾向にあるらしい。ある貿易会社の友人の話によると、例えば「君、今度ニューヨークに駐在してくれないか」という話をもちかけると「いえいえ、僕は海外に出るよりも国内で仕事をしていたいんです」と断られるケースが増えているらしいのだ。それは出版業界でも同様で、親しい出版社のお偉いさんの話によると、「今度、君に○○○雑誌の編集長をやってもらいたいんだ」という抜擢に対しても「いえいえ、わたしは副編集長で結構ですから」と返す男性編集者が珍しくないそうだ。理由は売れない雑誌の編集長になると責任が重くなるだけだから、ということらしい。どうも男性の草食化はますます進んでいるようである。

シマジ:竹山さんはどこのお生まれなんですか。

竹山:生まれも育ちも静岡県浜松市でございます。ご存知の通り、浜松は気候が温暖で、海や山などの自然にも恵まれていますので、太陽の光をいっぱいに浴びて、明るくおおらかに育ったように思っています。そのためか、なにごとにも「みんなと仲良く、チームワーク、協和」が身上です。静岡は平和主義者が多いと言われています。

シマジ:なるほど、先日「乗り移り人生相談」の相棒のミツハシと浜松のヤマハ株式会社でライブ人生相談の講演会をやらせていただいたんですが、たしかに土地柄なのか、人間が穏やかな感じの方が多い気がしましたね。

新井:あの人気連載の「乗り移り人生相談」のライブをやられたんですか。面白かったでしょうね。聞きたかったです。

立木:そのあとシマジとミツハシはなにを食べたんだ。ウナギかスッポンか。

シマジ:当然スッポンをいただきました。しかも事前にロケハンしてもらっていたので、ご当地の名店でスッポンのモモの塩焼きを食べることができました。

竹山:スッポンのモモの塩焼きですか。浜松出身ですけどそれは食べたことがありません。

シマジ:スッポンは鍋も美味しいですが、モモの塩焼きがまた格別なんです。コラーゲンの塊なので強火で焼くと燃えてしまいますから時間をかけてじっくり焼かないといけません。だから多くのスッポン料理店ではモモは唐揚げにしてしまうんです。われわれが招待されたスッポンのお店はなかなか由緒ある店で「繁松」という名前でしたか。

竹山:あそこはスッポンの有名店ですよ。

シマジ:その有名店の「繁松」でさえモモの塩焼きははじめてやったと言っていました。

新井:へぇ、そんなに珍しい料理なんですか。

シマジ:珍しいというより時間がかかるので大変なんだろうね。

立木:よくそんなもんを作らせたね。

シマジ:ヤマハ株式会社人事部の荒井さんと稲岡さんという女性に無理を言って、スッポンのモモの塩焼きを食べさせてくれることを条件に講演を引き受けたんですよ。

立木:そんな無理難題の条件交渉をするにもどうせお前は自分ではなにひとつ動かず、全部ミツハシにさせたんだろう。

シマジ:さすがはタッチャン、ご明察です。

立木:昔からシマジはちょっと難しそうなことはみんな部下にやらせていたからな。そのクセがフリーになっても抜けないんだ。いまの担当編集者たちをお前は勝手に自分の部下扱いしているんだな。まったく困ったヤツだ。

シマジ:なにせわたしはアカの他人の七光りで生きていますから。それでスッポンのモモの話題に戻しますと、これがいままで食べたモモでいちばん美味かったんですよ。

新井:どうしてですか。

シマジ:わたしも非常に強い興味を持ったので、料理人をわざわざ部屋に呼んでもらい美味さの秘訣を尋ねたんです。するとスッポンにも一流、二流があって、そのとき食べたスッポンは超一流のものだということでした。餌にカイコのさなぎだけを喰わせて育てた極上のスッポンだったんです。ミツハシも感動していましたよ。本当にヤマハさんにはお世話になりました。ここで改めて御礼を申し上げておきます。新井さん、稲垣さん、ありがとうございました。

立木:SHISEIDO MENの連載でYAMAHAの礼をいうヤツがいるか。

竹山:へぇ、そんなに美味しいんですか。今度実家に帰ったら「繁松」に挑戦してみようかしら。

シマジ:そのときは前もってスッポンのモモの塩焼きを予約注文しておいたほうがいいですよ。

竹山:わかりました。

新井:カイコのさなぎだけを食べているスッポンというのを取り寄せて、わたしもモモの塩焼きを作ってみたいですね。

シマジ:そのときは新井、おれに連絡してくれる。タッチャンと2人で来るからね。

新井:スッポンはすべて使える食材ですからね。一匹取れば立木先生とシマジさんの分は確保出来ますので、ご連絡いたします。

シマジ:あっ、そうだ。竹山さんの資生堂人生の話を聞くのを忘れていた。竹山さんはどうして資生堂に入社したいと思ったんですか。

竹山:資生堂には1984年に浜松販売会社のBC(ビューティ・コンサルタント)として入社しました。入社の大きな理由は、母の友人のお嫁さんが元資生堂BCでご自分でブティックを経営されていて、その方の身のこなしや上品なスタイルに憧れを抱いていたからなんです。

シマジ:それはいいことですね。若いときはまず格好いいなあと思った人の真似から入るんです。わたしなどは編集者になって最初に会った作家がお洒落でダンディな柴田錬三郎先生でしたから、なにからなにまで真似しましたね。たとえば柴田先生はそのころラークを吸っていたんで、わたしもすぐラークに変えました。素敵だなと思う人がいたらまずその人のスタイルを真似してみるって大事なことですよ。

竹山:資生堂を選んだもう一つの理由は、高校時代の友人の家が化粧品店をしており、友人のお母さんから資生堂の営業担当の方はとても格好いいと聞き、もう資生堂しかないと決心したんです。

シマジ:竹山さんのその情熱が入社に通じたんでしょう。

立木:お嬢は資生堂に入って何年経つの。

竹山:入社して早30年が経ちました。

シマジ:資生堂人生30年を振り返ってみてどうですか。

竹山:そうですね。何回か分岐点がありましたね。そのなかでも大きな分岐点は2001年に本社に異動して、アジアオセアニア地区のトレーニング業務を担当したことと、先ほども言いましたが、2004年から上海に5年間美容部長として駐在したことですか。

シマジ:上海では「竹山さとみ」から「竹山智美」に名前を変えて活躍したんですよね。

竹山:この名前は現地の中国人の社員の方につけてもらったんです。上海駐在中はずっとこの名前を使っていました。

シマジ:資生堂は地方で採用されても本社に異動させてくれるんですね。

竹山:はい、資生堂にはジョブチャレンジ制度というのがありまして、それに応募しての異動でした。まだ浜松にいたころ2ヶ月に一度は東京に遊びにきていたのですが、あるときたまたま銀座三越に「21世紀まであと60日」という垂れ幕が下がっていまして、それを見てドキっとしたんです。自分は21世紀をどう生きるべきかと考え始めました。
それと当時『チーズはどこへ消えた?』という本に感化されたこともあり、わたし自身の新しいチーズを探して異動してきたというわけです。

シマジ:上海での5年間の駐在生活は面白かったでしょうね。

竹山:ちょうど2004年から2009年で、中国が北京オリンピックや上海万博に向けて最も活気のある時期でしたので、アグレッシブな雰囲気のなかで貴重な経験をさせていただきました。そのときのわたしに課せられたミッションは、資生堂の専門店事業の立ち上げと美容普及活動の浸透でした。

新井:竹山さん、喉が渇いたでしょう。スパイシーハイボールでもいかがですか。

竹山:はい、お願いします。

シマジ:これはおれが作ろう。

立木:おれにも一杯作ってくれる。

シマジ:了解しました。

新刊情報

Salon de SHIMAJI バーカウンターは人生の勉強机である
(ペンブックス)
著: 島地勝彦
出版:阪急コミュニケーションズ
価格:2,000円(税抜)

今回登場したお店

キャーヴ ドゥ ギャマン エ ハナレ (CAVE DE GAMIN et HANARÉ)
東京都港区白金5-5-10 B1F
Tel: 03-5420-3501
>公式サイトはこちら (外部サイト)

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