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第7回 赤坂 YOUR SONG 山田賢二氏・山崎八州夫氏 第3章 2つの夢を1度の人生で叶える方法。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

ミュージック・バー「YOUR SONG」のショップカードにはこう書かれている。

「音楽をこよなく愛する皆さまのお越しを心よりお待ちしています。
60~80年代の懐かしいロック&ポップスを中心に、ブルース、R&B、ジャズ、フォーク、カントリー、ブルーグラス、ワールドミュージック、Jポップ、歌謡曲に至るまで、当店が所有する音源は実に10万曲をオーバー。
音楽を愛する方々が集う『かけがえのない時間』に身を置いて、思い出のナンバーにひたるもよし、とっておきのエピソードを語り合うもよし。
都心、赤坂の立地にも関わらず、店内はひろびろ40席あまり。
こだわりのビールとウイスキーなど厳選したお酒と、お手頃なフードメニューをご用意しておりますので、ぜひホームページをご覧下さい。
皆さまのお越しを心よりお待ちしております。

共同オーナー 山田賢二・山崎八州夫
http://www.ysong.jp/ 定休日 日・祝日」

16:00~23:30という営業時間帯は、このバーが住宅街にあるが故の配慮もあるのだろう。

シマジ:お二人の関係が素敵ですね。いってみれば毎日が同級会みたいなもんでしょう。

山田:はい、お陰さまでそうなんです。

シマジ:しかもいわゆる竹馬の友というところから現在の共同オーナーに至るというのは、人類史上稀有なことではないですか。

山崎:お互いの足りないところを補い合ってここまでやってきたんです。

シマジ:一瞬、中学生時代のような気持ちになったりするでしょう。

山田:同じ学校でずっと一緒に育ってきた間柄で、思い出には区切りがありませんのでよくそんな気持ちになりますね。

山崎:わたしたちの学生時代というのはこころのふるさとみたいなものですね。

シマジ:山崎さんがオリコに勤めていたころの一番の思い出はなんですか。

山崎:45歳のとき、北海道の旭川で支店長をやっていたのですが、外の温度が零下25度ということがありましたね。

立木:でも北海道は暖房がしっかりしていて、家のなかはポカポカなんだよね。

山崎:そうです。外がたとえ零下25度でも、家のなかは25度はありましたから半袖でも平気でしたね。

シマジ:部下は何人ぐらいいたんですか。

山崎:そうですね。5、60人はおりましたか。

シマジ:オリコは金融関係の業種ですよね。

山崎:そうです。オートローンやリフォームローンや学生ローンなどを扱っていました。営業活動はおもに加盟店の獲得でしたね。

立木:当然そのときは単身赴任だったんでしょう。

山崎:そうです。

立木:シマジもおれも単身赴任の経験はないよな。

シマジ:出版社は小さなもので支社を持っていませんからね。タッチャンは20歳そこそこからフリーでブイブイいわせて仕事をしていたわけだから、単身赴任なんて考えられないでしょう。

立木:単身赴任は結婚した男の夢らしいけどね。

山田:たしかに生活状態は独身に戻りますが、一人でメシを作ったり洗濯をしたり、結構面倒なもんですよ。

シマジ:高口さん、女性の単身赴任というのはどうですか。

高口:男性と違って自炊や洗濯は苦にはなりませんね。1人暮らしの気楽さと寂しさを味わう部分は、男女同じでしょうか(笑)

シマジ:では高口さんにとって資生堂に入ってからの最大の試練はどんなことでしたか。

高口:はじめて専門店の営業担当になったときでしょうか。大きな壁にぶち当たったのは。それまでデパートで素敵な仲間に支えられて、売り上げもBCに作って貰い、仕入れ予算も毎期達成するような時代を難なく過ごせていたのがいかに運の良いことであったか、専門店の営業担当になってみてはじめて気がついたんです。それらを自分の実力であるかのように勘違いしていた自分の愚かさを、思い知らされる日々が始まりました。専門店の営業は、商品が売れたら仕入れていただける---そんな甘いものではありませんでした。思うように成績が上がらず、ただただ茫然とする毎日で、ちょうど夕日が沈むころ会社に戻る時は、車を運転しながらよく泣いていました。泣いていたというより、涙が自然に流れてくる感じでしょうか。

シマジ:でも高口さんは頑張り屋さんだからそのままでは終わらなかったでしょう。

高口:頑張り屋さんではないのですが、「七転び八起き」の精神が活きたとでも言いますか?4回中3回は予算達成をさせていただけました。でもそれは、専門店のお客さまである奥さまに助けていただいたおかげです。いまでもお付き合いさせてもらっている奥さまもいます。今度その奥さまが東京に遊びにいらしたら、この素敵なバーにお連れしようかしら。

山田:是非どうぞ。お待ちしております。

シマジ:どの世界も人間関係が大事なんですね。

立木:2人は音楽の趣味っていうのも一緒なの?

山崎:いえいえ、山田はポピュラー音楽が好きで、雑誌の「ビルボード」のバックナンバーを1955年から1995年まで揃えているくらいなんですが、わたしは、むしろアメリカのルーツ音楽全般が好きですね。その中に大学時代にバンドを組んでいたブルーグラスと言う音楽があるのですが、これはアメリカに移民してきたアイルランドやスコットランドの人たちの音楽と奴隷として売られてきたアフリカの人たちのブルース等が混ざり合った感じなんです。

立木:ドラムが使われない、バンジョーの時代だね。

山崎:そうです。ブルーグラスの、陽気な音楽なのにどこか哀愁が漂っているところに惹かれます。

立木:たしか映画『俺たちに明日はない』のバックに流れていたミュージックがブルーグラスだったよね。

山崎:まさにそうです。それからアパラチア山脈に響きわたるマウンテンミュージックも大好きですし、日本の昭和初期のころのアーリージャズというか、昭和ジャズもいいですね。

立木:ディック・ミネなんていま聴いても泣けるよね。

山崎:「ダイナ」とか「歌は廻る」なんて圧巻ですよね。

シマジ:山田さんにもお話を聞きましょうか。

山田:アメリカの大衆音楽とはなにかと訊かれたら、わたしはシナトラ、プレスリー、マイケル・ジャクソンの3人を挙げますね。

シマジ:分厚いシナトラ伝を読んだことがありますが、そのなかで印象的に覚えているのは、シナトラのお母さんのエピソードですね。

高口:どんなエピソードなんですか。母親の1人として是非お聞きしたいです。

シマジ:戦後シナトラがつとに有名になって人気を博していたころ、エリザベス女王に招かれてバッキンガム宮殿で歌ったことがあるんです。歌い終わったシナトラがこの名誉な出来事をすぐにも報告しようと、宮殿内の電話を借りて母親に国際電話をかけたんです。「ママ、いまぼくは女王陛下の前で歌ったんだよ!」と喜び勇んでシナトラが言うと、母親はこう返したそうです。「あなたの歌を1人で聴けるなんて、エリザベス女王は幸運な方ね」

高口:ホントですか。そこまでいくと親ばかも笑えますね。

シマジ:息子を女王陛下よりエライと思っている母親は、シナトラの母親以外にいなかったでしょうね。

山田:でもシナトラの英語は美しくわかりやすいですよね。

シマジ:それに紳士然として歌うから、バッキンガムにも呼ばれたんでしょう。

高口:あっ、お2人のお肌チェックを忘れていました。すぐやりましょう。よろしいですか。

山田、山崎:はい。

高口:面白い結果が出ました。山田さんも山崎さんもDでした。

シマジ:へえ、そこまで一緒ですか。素晴らしいですね。

新刊情報

Salon de SHIMAJI バーカウンターは人生の勉強机である
(ペンブックス)
著: 島地勝彦
出版:阪急コミュニケーションズ
価格:2,000円(税抜)

今回登場したお店

GOOD MUSIC BAR YOUR SONG
東京都港区赤坂7-5-7
赤坂光陽ビル2F
Tel: 03-5572-7220
>公式サイトはこちら (外部サイト)

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