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第11回 恵比寿 言の葉 田村誠氏 第2章 師匠の「絶妙の加減」。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

「言の葉」の腕利き料理人田村誠は、小学生のとき「ぼくは食べることが大好きだから料理人になりたい」と文集に書いたそうだ。振り返って田村は、「そのころの夢と思いは、結局ぶれることがなかったですね」とニッコリ笑った。どんな職業でも自ら携わるその仕事が好きであるかどうかが重要なのである。心底好きな仕事であれば、それに命をかけようとする情熱が自然に湧いてくるものだ。わたしも編集者だった若いころ、一心不乱に原稿を書いていて白々と夜が明けるのにも気づかなかったことがあった。
その仕事が好きだということは、すでにひとつの才能の芽がそこに宿っているということではないだろうか。やがて時間とともにその芽が育ち、花を咲かせ実をつけていくのであろう。

シマジ: 田村料理人はどういう経験を経て、こうして「言の葉」のカウンターに立つことになったんですか。

田村: わたしは「言の葉」がオープンした3カ月後に参加したんです。といってもオープンしてすでに3年は経ちましたが。

シマジ: 子供のころの夢を抱き続けながら調理師専門学校を卒業して働いた、はじめてのお店はどこだったんですか。

田村: それは新宿の「車屋」本店でした。そこで3年間修行した後、六本木の懐石料理の「桜庵」に移りました。

シマジ: どの料理人にも、尊敬とともに畏怖の念を抱くような先輩料理人との出会いがあるようですが、田村はいつごろそんな恐るべき先輩に出会ったの?

田村: まさしく天才料理人と呼べる先輩に出会ったのはその「桜庵」でした。

シマジ: そんなに早く出会ったんですか。それは幸運だったね。差し支えなければ、その先輩のお名前を教えてもらえませんか。

立木: シマジ、どうしてそこまでしつこく訊くんだ。

シマジ: その先輩の料理を食べてみたいと、タッチャンも思いませんか。腕利きの田村が尊敬する料理人です。タダモノではないはずですよ。

立木: そうか、その店を訪ねて行って料理人と親しくなり、この連載でとりあげようと思っているんだろう。つまり、またおれに撮影しろというんだな。

目黒: でも、シマジさんは本当によく次から次へといろんな面白いバーや美味しい料理店をこの連載で紹介なさっていますよね。

シマジ: それは、わたしが卵1個の朝食以外はすべて外食の生活を送る人間だからなんです。おまけに無類の食いしん坊ですからね。いつもいろんなお店を探しまくっているわけですよ。もちろんこの連載のためにと、友人知己の美食家や食通や飲兵衛に紹介されることもありますよ。

目黒: それではシマジさんは、いつも奥さまとご一緒に外に食べに行かれるんですか。

シマジ: いいえ、わたし1人で行きます。でも、大抵は担当編集者と行くことが多いですがね。

目黒: それでは奥さまは、いつも1人でお食事を済ませていらっしゃるんですか。

シマジ: 多分そうでしょう。実際、女房がなにを食べているか、知りません。

立木: お嬢、シマジが可哀相だから、それ以上訊かないでくれる。

目黒: そうですか。でも、凄く興味深いお話ですね。

シマジ: 目黒さんはもし編集者になっていたとしても、十分成功していたでしょうね。

目黒: どうしてですか。

シマジ: その怒濤のような質問力ですよ。ただそろそろ、話題を田村料理人に戻しましょう。で、その天才料理人はなんという方ですか。

田村: 正木宏尚さんといいます。「桜庵」から独立して日本料理店の「割烹正木」を麹町に立ち上げ、そこにわたしも立ち上げから師匠について行き、師匠の仕事の仕方をみせていただきました。その後10年の歳月が流れたのですが、正木師匠は第1線の料理人として活躍した後。麹町のお店を閉じて、ドイツのデュッセルドルフの日航ホテルにある割烹「弁慶」の総料理長として抜擢されたんです。

立木: おいおい、いくらSHISEIDO MENの取材とはいえ、ドイツ出張はさすがに無理だろう。

シマジ: そこまで田村が尊敬するほどの天才料理人の料理を早く食べてみたいね。繁盛しているでしょう。

田村: 正木先輩はドイツから帰国して、いま那須塩原のほうに再び「和ところ正木」をオープンしたんです。

シマジ: えっ!また遠くなってしまったか。

田村: あの辺は閑散とした別荘地ですが、正木師匠のお店は予約でいっぱいなんです。

シマジ: わかるね。本当に美味いものを食べさせてくれる店なら、どんなに遠くても訪ねて行きたくなるものね。それにあの辺には沢山別荘があるから、お金持ちがよく遊びにきているだろうしね。正木師匠の料理は田村からみてどういう感じなの?

田村: 正木師匠の料理は揚げ物にしても焼き物にしても、まさに「絶妙の加減」というやつです。言葉ではなかなか表現しにくいですが、お刺身の魚にしてもなんにしても正木師匠が選んだものは、目利きが探し求めた最高の食材という感じでしょうか。しかもたとえば鯛を1匹料理するとしても、お客さまに出す料理には真ん中しか使わないんですよ。あとはまかないで食べてしまうんです。

シマジ: 凄いね。那須塩原まで行って正木料理人の“作品”を食べてみたくなった。そのときは田村、正木さんを紹介してね。

田村: いいですよ。

立木: そのときはおれも連れてってくれよな。

シマジ: もちろんですよ。東北新幹線で行ったらわけないでしょう。多分、一関へ行く半分くらいの時間ですよ。でも、正木さんが麹町でやっているときに行きたかったね。そしたら毎晩でも行けただろうにね。田村は正木さんの下でどれくらい働いたんですか。

田村: 約3年間くらいですか。正直、料理の最上級を見たかったのでとても勉強になりました。そして、わたしも師匠の真似事くらいは出来るようになり、また一通り出来る自信もつきましたので、今度は別な料理の世界を見てみたいと思ったんです。ですからその後客単価5,000円位の居酒屋風の店でも働きました。そういう店ではスピードも重視されますから、これもまた重要な修行になりましたね。

シマジ: いわゆる料理人の“武者修行”をしたわけだ。

田村: いろんな店で腕を磨いて、ちょうど29歳のとき、わたしが生まれ育った武蔵新城で一軒自分の店を構えたんです。

シマジ: いわゆるオーナーシェフになったんだ。

田村: でも、小さな居抜きの店で、一人当たり3,000円から4,000円ほどの単価の安い店でした。まあわたしの料理人としての夢は、30歳までに自分の店を開こうというものでしたから、一応、夢は叶えられたんです。

シマジ: そうか、田村の夢というか理想は達成出来たんだ。

田村: でも、結婚を機に店は閉めてしまったんです。そして、雇われ料理人に逆戻りしました。場所の関係もありましたし、店が小さいと、この業界はそう儲かりませんからね。

シマジ: 結婚を機に店を出したという話は聞いたことがあるけど、結婚を機に店をやめたという話ははじめて聞きました。田村はユニークだね。

田村: もう一度お金を貯めて出直しですね。

シマジ: まだ若いんだから何度だって捲土重来を期することが出来ると思うね。ところで、田村は家庭では料理を作るほうなの?

田村: 家では妻の友達が遊びにきたときは自分が作ってあげますが、わたしの友達が遊びにきたときは妻が作ることにしています

シマジ: それは面白いルールだね。どちらの友達が得しているんだろう。

田村: うちの妻は負けず嫌いですから、結構美味いものを作りますよ。それによく2人で外に食べにも行きます。

目黒: だいぶシマジさんの家庭と違いますよね。

シマジ: また矛先がこっちにきましたか。

立木: シマジの世代と田村の世代では、考え方がまるっきり違うんじゃないの。

シマジ: タッチャン、助け船を出してくれてありがとうございます。

目黒: それにしてもシマジさんが、一緒に住んでいる奥さまがなにを召し上がっているかいっさい知らないというのは不思議なお話ですね。

シマジ: なにを食っているのか、今度女房に訊いておきますね。多分カスミかもね。 

新刊情報

Salon de SHIMAJI バーカウンターは人生の勉強机である
(ペンブックス)
著: 島地勝彦
出版:阪急コミュニケーションズ
価格:2,000円(税抜)

今回登場したお店

Ebisu言の葉
渋谷区恵比寿1-16-31 QUAL Ebisu 2F
Tel: 03-6408-5489
>公式サイトはこちら (外部サイト)

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