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第2回 恵比寿 BAR ODIN 菊地貴彦氏 第4章 肌判定Bはヒグマパワーかな。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

美味くて上質な酒をすべて知り尽くしている菊地貴彦バーマンに訊いた。
「いままで飲んだシングルモルト、コニャック、ワインなどどれでもいいですから、いちばんこころに残っているNo.1のお酒はなんですか」
すると菊地バーマンが反対にわたしに訊いてきた。
「シマジさんの思い出の酒はどんなお酒ですか」
わたしは胸を張ってこう答えた。
「そうですね。開高先生と一緒に飲んだ1960年代のマッカラン18年や、グレンモーレンジの1963年、1971年、1976年などいろいろありますが、1本挙げろといわれたら、最近わたしの担当編集者たちと飲んだブラックボウモア1964年ですかね」
すると菊地がニッコリ笑ってこう言った。
「ぼくにとっていちばん美味かった1杯は、十数年前、中学校の同窓会に出席するため帰郷した際に実家で飲んだ、親父から注いでもらったビールですね。銘柄も覚えていませんが、親父と酒を飲んだのはそれが最初で最後でしたので、忘れることが出来ない1杯なんです」
酒を扱うことを生業にしているバーマン菊地貴彦が、自分の父親とはたった一度しか飲み交わしていなかった。菊地の父親はその後脳梗塞で倒れ、この世を去ったという。
どこかの詩人が書いていた。「人生は愛しい蜃気楼である」と。

シマジ:菊地さんのお父さまはどういう方だったんですか。

菊地:父は大手企業の本社勤めでしたが、その後転勤で静岡勤務になったんです。お人好しの父は周囲に担がれて労働組合の委員長をやらされ、出世コースからは完全に外れてしまいました。子どものころよく同級生が「ぼくのお父さんは今年から課長だよ。菊地のお父さんは何なの?」といわれ、いい年をして肩書きのない父に嫌悪感をいだきましたが、いま考えるとぼくの父は出世よりも人付き合いを選んだんですね。定年後も父は1円にもならない地元の自治会長をやったり、なにかと地域の方々のために尽くしたりしていました。いまはそんな父を誇りに思っています。

シマジ:なんだかしみじみする話ですね。菊地さんがバーマンになられた当初は、お父さまには随分反対されたというじゃないですか。

菊地:頑固な父でしたからね。それにぼくは大学も行かない典型的なバカ息子でしたし。ぼくはサラリーマンがどうしても嫌で、父に勧められた会社を勝手に辞めてシガーバーに勤めたんですが、それはもう、猛反対されました。とにかく、「すぐにバーマンを辞めて静岡に帰ってこい」の一点張りでしたね。ぼくはそんな父にますます反抗してそのままバーマンを続けていたんですが、ちょうどぼくが六本木のTHE BARに移り、雑誌やテレビに出るようになった頃でしょうか。父がぼくのことを少しずつ理解してくれるようになったようです。驚いたことに、ぼくが掲載された雑誌を買って知り合いに自慢していたらしいんです。父は凄く照れ屋で無口でしたから、ぼくにはいっさいそんなことは話しませんでしたけど。

岡田:お父さまと息子さんとの温かくジンとくる素敵なお話ですね。

立木:むかしの親父というのは、どこの家でも頑固親父ばかりだったよね。

シマジ:わたしも子どもの頃は親父によくぶん殴られた記憶があります。口より早く手が飛んできたものです。友達の家に遊びに行っていても、そこの親父が帰ってくると、それもまた怖いものだから「じゃあね」と言って帰ってきたりして。

立木:まあシマジとおれの世代と、菊地さんの世代は大分違いがあるとは思うけど、当時は「地震、雷、火事、親父」と恐れられていたくらいだからね。

岡田:そうだったんですか。いまはどこのパパも優しいのではないでしょうか。

立木:それだけ日本が軟弱になったとも言えるかもね。ところでこの写真はスコットランドの蒸留所を写したものだよね。どこかのカメラマンが撮ったものなの?

菊地:いえいえ、恥ずかしながら、不肖菊地貴彦が撮ってきたものです。

立木:そうか。だから菊地さんはさっきからおれの撮影をじっと見ていたんだね。でもこの写真はたいしたものだ。素人離れしているよ。

菊地:そうですか。立木先生に褒めてもらえるなんて、夢のようです。

シマジ:よくスコットランドに行くんですか。

菊地:スコットランドはここしばらくは蒸留所の写真を撮るためだけに行っています。それよりもいまはフランスのコニャック地方とか、ノルマンディー地方のカルヴァドスに行っています。

シマジ:そうか、だからここには珍しいコニャックやカルヴァドスがあるんですね。

菊地:コニャック地方はもう10回は行きましたか。いつ行っても落ち着きます。先日もコニャックのテセロン社を訪問して1800年代のコニャックを片っ端から試飲してきました。それから1619年創業のゴーリー社にも行ってきました。そこは3回目の訪問でしたが、社長のピエールはぼくの2歳年下で同世代なのかよく気が合うんです。今年はうちの店が21周年を迎えるので、記念ボトルとして、ゴーリー社秘蔵で1898年蒸留の貴重なコニャックを21本購入してきました。しかも支払いは日本に帰国してからで構わないと言ってもらったんです。

シマジ:どうして3回しか会っていないのに菊地さんのことをそんなに信用してくれたんですかね。

菊地:ピエール社長にはこう言われました。「ムッシューキクチはコニャックの人間以上にコニャックのことをわかっているようだ。試飲して葡萄の品種まで当ててしまう人は、フランス人でもそうはいません。しかも、ぼくの知らないコニャックの作り手も多く知っている。ムッシューキクチ、あなたはコニャックが大好きでしょう。この地方のことわざに『コニャックの好きな人に悪い人はいない』というのがあるんですよ」

シマジ:さすがはフランス人、洒落たことを言いますね。

菊地:そのあとフランスの北の地酒、リンゴのブランデーのカルヴァドスの試飲にも行ってきました。カルヴァドスの名門デュポン社を訪問して、現当主のジェロモとも歓談してきましたが、ちょうど5月にジェロモが来日するので、ぜひうちでカルヴァドスのセミナーをやってくれないかとお願いしたら、快諾してくれました。今月の20日夜7時からやるんですが、シマジさん、いらっしゃいませんか。

シマジ:それは勉強になりそうですね。万難を排して参加しましょう。

岡田:菊地さんのお話を伺っていますと、本当に勉強になりますね。菊地さんからみて本当のプロってなんですか。

菊地:わたしなどはまだまだ道半ばですが、いままで尊敬してきた先輩たちを見ていて思うのは、プロと言われる人はまず自分を磨き、自分を鍛え、自分と闘うということでしょうか。結局いちばんの敵は自分なのです。

立木:いいこと言うね。シマジ、いまの菊地さんの言葉はメモしておいたほうがいいんじゃないか。

シマジ:たしかにいちばんの敵は自分のなかに潜んでいますよね。自分のなかに仕事しようという勤勉な自分ともう1人、サボろうかなと思っている怠け者の自分がいますものね。

菊地:シェフやパティシエやソムリエは最近のグルメブームのお蔭で大分認知されてきましたが、バーマンはまだまだ低くみられています。ぼくのこれからの使命は、バーを芸術の域まで高めることだと思っています。そうすればバーマンの地位向上にもなると確信しています。ぼくは、カウンターに座ったお客さまに感動を与えられるバーマンを目指したいんです。また青山の名門ワインスクールでカクテル講座の講師をして後進の育成にも勤めています。

立木:ここでシマジが「バーカウンターは人生の勉強机である」と言わなきゃダメじゃないの。

シマジ:いやいや、今日は菊地バーマンに圧倒されっぱなしでした。プロとにわかバーマンの違いをまざまざと見せつけられました。ところで岡田さん、菊地さんの肌判定はどうだったの。

岡田:はい、驚きました。Bでした。

シマジ:やっぱりヒグマパワーかな。

新刊情報

Salon de SHIMAJI バーカウンターは人生の勉強机である
(ペンブックス)
著: 島地勝彦
出版:阪急コミュニケーションズ
価格:2,000円(税抜)

今回登場したお店

バー オーディン 恵比寿店
東京都渋谷区恵比寿1-8-18 K-1ビル 地下1階
03-3445-7527
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