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第4回 西麻布 ウォッカトニック 山田一隆氏 第2章 中学時代に決心したバーマンという将来。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

先日、「立木義浩La Habana展」を銀座キヤノンギャラリーに見に行った。さすがはわれらが巨匠である。1週間というわずかな滞在での撮影取材だったというのに、ハバナの町と人々をカメラで確実に捉えていた。
「タッチャン、ハバナにはおれも以前行っているけど、おれの見たハバナの風景と全然違うのはどうしたわけだろう」と質問すると、タッチャンは笑いながら「シマジ、おれと行けばこういう風景が見られるんだよ」と言った。
特に、しわくちゃの老婆が太いシガーを根元まで口に咥えて吸っている堂々とした姿を写したものは、凄みがあって素晴らしい写真だった。
会場でサービスしていたモヒートもなかなか美味かった。

山田:では、次はモヒートといきますか。

シマジ:うん、ここはモヒートも美味いんだよね。どうやって作っているんだっけ。

山田:うちのモヒートはミントの葉を50枚くらいすり鉢ですり下ろして、その上に上白糖をかけてミントのえぐみを抑えるようにしています。クラッシュアイスをバースプーンでガシャガシャしながら、ラム酒を入れてソーダで割るんですが、隠し味として自家製のリモンチェッロをちょっとだけ入れています。多胡さんにはアルコール抜きのスペシャルモヒートを作りますので、ラムもリモンチェッロも入っていませんが、これも結構いけると思いますよ。

多胡:はい、ラムとリモンチェッロが入っていると妄想しながら飲んでみます。

山田:シマジさんにはラム入りの正統モヒートを作りますね。まず立木先生に撮影をしてもらってからお飲みください。

立木:これは美味そうだ。撮影が終了したら、おれにも一杯作ってくれる。

山田:承知いたしました。

立木:色味もいいね。はい、撮影は終了。

シマジ:うん、ミントの香りが強烈だね。これはハバナで飲んだモヒートより繊細で美味い!

立木:おれもハバナで飲んだけど、飲みにくかったよ。

シマジ:ハバナのモヒートは作り方が乱暴だからね。アルコールも強いし。

立木:最後はなんなの。

山田:シマジさんが3年前「サロン・ド・シマジ」のブランドで初めて売り出した、記念すべきボトル、イチローズモルト26年熟成のシングルモルトにしました。

立木:そんなにシマジに気を使わなくてもいいんだよ。

山田:でもこれはもうシングルモルトラバーにとっては幻のボトルになってしまっているんです。1本20万円以上でネット市場で取引されている代物です。値段が約10倍になってしまいました。

シマジ:シングルモルトを投機の対象にする根性は、わたしはあまり好きになれないけどね。ともかくこれは肥土伊知郎さんが大事にしていた16樽のなかから1樽を分けてくれたんだよ。わたしの人生でまさにこれがファーストリリースだったんだけど、スコットランドの流儀に基づいて、敢えて「ファーストリリース」とはボトルに明記しなかったんだ。

山田:「アンダーステイトメント」の精神に則っているわけですね。

シマジ:タッチャン、早く飲みたいから素早く撮影してください。

立木:どうも、この「サロン・ド・シマジ」って名前が気にくわないが、まあ、いいか。よし撮った。勝手に飲め。

シマジ:多胡さん、この香りだけでもちょっと嗅いでみてください。それから山田、このストレートをトワイスアップにしてシェーカーで振ってくれる。

山田:そうですね、そのほうが香りは立ちますね。どうぞ、多胡さん、いかがですか。

多胡:わあ、これをふくよかな香りというんでしょうか。美味しそう。でも生まれてくる子どもためにここは我慢します。

シマジ:多胡さんは、つわりは軽かったほうなんですか。

多胡:それがわたしの場合、急性胃腸炎かと思ったくらい症状がひどかったんです。でもデパートのSHISEIDOカウンターの営業をしていて女性ばかりの職場なので、思いやりのある方が多く、日々助けてもらいながら愉しく仕事をすることができました。

そのころ土日の休みとなると、家で1日15回くらいも吐いてしまっていたんですが、平日仕事をしているときは5回くらいしか吐かないという、おもしろい体調の変化が起き、会社に行くことが毎日とても愉しみでした。ですからあの辛かったつわりの日々を乗り越えられたのは、会社に居場所があったお蔭だといまでも感謝しております。

シマジ:多胡さんにとって、とてもいい会社に入ったんですね。そもそも多胡さんが資生堂に入社したいと思った動機はなんだったんですか。

多胡:学生のころ、カンガルースタッフという資生堂のアルバイトで有楽町阪急と銀座松屋の資生堂コーナーに入店しておりました。そのときはアルバイトだったんですが、とても愉しくやり甲斐のある仕事だったため、資生堂の入社試験を受けました。そして運よく内定をもらったわけです。

シマジ:まあ就職先をみつけるというのは運と縁ですからね。

多胡:たまたま卒業論文でCSR(コーポレイト・ソーシャル・レスポンシビリティ、企業の社会的責任)について研究していまして、CSRは企業の経営資産として大きな影響を及ぼしていると考えておりました。日本にある沢山の企業のなかで、とくに資生堂はCSRを体現している企業だと考えておりまして、そのために入社を希望いたしました。

シマジ:入る前から資生堂にそれほどの誇りを持っていれば、面接のときの受けもよかったでしょう。ところでいま「ウォッカトニック」と「カスクストレングス」と「ミズナラカスク」という3店舗を経営している取締役店長の山田バーマンの場合、どうしてバーマンの道を選んだの。

山田:おっと、急にぼくに振らないでください。ビックリするじゃありませんか。

シマジ:そもそも山田がバーマンになろうと思ったきっかけってなんだったの?

立木:シマジみたいに、伊勢丹の大西社長に見つけられたおかげで、71歳にしてにわかバーマンになった珍しい例もあるからね。

山田:シマジさんの場合は特別ですよ。でももう3年はやっていらっしゃるんですよね。

シマジ:今年の9月12日で4周年記念を迎えるんだよ。

山田:大繁盛していると聞いていますが。

立木:しかも土日しか働かない珍しいバーマンなんだぜ。

シマジ:まあ、わたしのことはさておいて、山田の話を訊きたいね。

山田:話せば長くなりますがいいですか。

シマジ:どんなに長くなってもいいよ。

山田:ぼくが長岡の田舎の中学2年生だった頃に夢中だった、BOOWYの10枚組のCDが2万円で売り出されたんですよ。母親に買ってくれとねだったら「中学生の分際で身分不相応です」と一喝されたところに、たまたま叔母がいまして「それならうちのスナックで6時から8時まで働いて、2万円分働いたらわたしが買ってあげるわ」と言うじゃありませんか。欲しいものを手に入れたいから二つ返事で「叔母さん、よろしくお願いします!」というわけで、その日から叔母が経営するスナックのトイレ掃除をやったり、床掃除をやったり、グラスを磨いたりし始めたんです。その店に面白いオジサンが現れて「ママ、どうしてここでこんなクソ餓鬼が働いているんだ」と訊いてきたんです。そこで叔母が一部始終を説明すると「なかなか面白い話だ。おれがポンと2万円出してやってもいいが、それじゃこのクソ餓鬼のためにならないよな。頑張れよ。クソ餓鬼」というと、なにを思ったのか、オジサンは名刺を出して中学生のぼくに渡しながら「クソ餓鬼、本当におまえが困ったときはいつでもこの名刺を出しな」と言うんです。名刺を見たら、そのオジサンは長岡の国道8号線沿いに大きな看板が出ている「某有名不動産」の社長だったんです。長岡の超有名人だったわけです。

シマジ:そのオジサンはそのころ何歳くらいだったの。

山田:当時60歳くらいでしたか。

立木:山田が生まれて初めてもらった名刺が町の有名社長だったとは、それは面白い話だね。

山田:はい。しかもその社長は毎晩8時前にやってきては「クソ餓鬼、ジュースを飲め」なんてご馳走してくれたんです。

立木:わかった。その社長は山田の叔母さんにほの字だったんだな。

山田:中学生のぼくにはまったくわかりませんでした。そこで1週間働いたら、叔母がBOOWYの10枚組のCDを買ってくれたんです。それも嬉しかったですが、バーのようなところで働くと、どんどん凄い人間に会えるんだ、とぼくは直感的に思いました。ですから中学生の卒業文集に「ぼくは将来バーテンダーになる」と書いたんです。

シマジ:山田は凄いね。中学生にしてそこまで決心するような、筋金入りのバーマンだったのか。

新刊情報

Salon de SHIMAJI バーカウンターは人生の勉強机である
(ペンブックス)
著: 島地勝彦
出版:阪急コミュニケーションズ
価格:2,000円(税抜)

今回登場したお店

WODKA TONIC
ウォッカトニック

東京都港区西麻布2-25-11 田村ビルB1F
03-3400-5474
>公式サイトはこちら (外部サイト)

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