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第5回 銀座 マルディグラ 和知徹氏 第4章 メシは1人で食うより2人で食うほうが美味い。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

和知シェフには到底及ばないけれど、わたしもこれまでにいろいろな国の料理を食べてきた。もう一度行ってみたいところは、イタリアのサルデーニャ島である。むかしは海賊が出没するのを恐れて、海岸の方には人が住んでいなかったらしい。だからまず山の料理が発達し、やがて海岸にも平和が訪れて、今度は海の料理が発達したという。わたしが食べたなかで、山の料理ではイノシシが白眉だった。また、カラスミを摺り下ろしてパスタの上にかけたボッタルガは、どこで食べても非常に美味かった。サルデーニャ島では山と海、両方の料理が愉しめるのである。和知シェフの『銀座マルディ グラのストウブ・レシピ』(世界文化社)では「パーネ・カラザウ」というサルデーニャ島の伝統的なパンが紹介されている。地元の人に古くから親しまれている薄焼きパンに対し、彼は、「広がる粉の香りが忘れられない」と語っている。

立木:シマジ、今回の“資生堂ボンドガール”のお嬢のことをなにも聞かなくていいのか。

シマジ:そうでしたね。金塚さんからは、二日酔いで医務室に半日寝ていたお話しか聞いていませんでしたね。失礼しました。金塚さんは何年入社なんですか。

金塚:わたしは自慢じゃないですけど年代ものですよ。1979年に本社デパート部に入社しました。

シマジ:どうしてまた資生堂に入ろうと思ったんですか。

金塚:じつは、某化粧品メーカーでモデルを募集していた際に、わたしを応募させようと姉が勝手に書類を送ってしまったんですが、その結果、運よく地区大会まで残ってしまいました。そのときプロの方にメークをしてもらい、化粧品に興味を持ったんです。でもどうせ働くなら某化粧品メーカーよりトップメーカーで働きたいという思いが強くなり、資生堂を受験しました。そしてこれまた運よく合格したんです。でもわたしが入社したころは、今とは違い、一般職は自分の仕事に加えて、男性や美容職に対するお茶くみや、机の掃除、コピーとり、といった雑用も多かったんです。当初は3年で辞めようと思っていました。それをなんとか乗り越えましたが、10年目のとき、もう限界だと思い、当時の上司に「辞めます」と言いました。「なぜ?」と訊かれ、ちょうど家を建てて引っ越したときでしたので「通勤時間が増えて大変になったので辞めます」と答えると、「もうしばらく通勤してみて、それから考えなさい」と言ってくださったんです。その言葉に従った結果、今に至っています。そのあとは逆に、どんなに辛いことがあっても「負けてたまるか!」という気持ちになったんですよね。気がつくと、入社30数年があっという間に過ぎてしまいました。

シマジ:そのときの上司は偉い人だったんですね。

金塚:はい。あのとき上司が止めてくれなかったら、今のわたしはありません。ですから、いまでもあのときの上司には感謝しております。

シマジ:「親と上司は選べない」ものです。金塚さんは運よくいい上司に恵まれたんですね。

和知:「親と上司は選べない」、たしかにその通りですね。われわれ料理人の世界にも通じる言葉です。幸い、わたしはこの世界では師匠に恵まれましたが。

シマジ:タッチャンはどういう師匠の下で働いたんですか。

立木:おれは20歳のときから、師匠なして独学でここまできたんだ。

シマジ:それは稀有な例でしょうね。

立木:シマジはどうなの。お前にも新人編集者の時代があったんだろう。

シマジ:もちろんです。新人で週刊プレイボーイ編集部に配属されたとき、お世話になった素敵な先輩たちがいましたよ。金塚さんは30数年資生堂一筋で、いろんな部署で働かれたんでしょうね。

金塚:はい。常務秘書業務もやらせていただきました。そのころは、朝、家を7時に出まして、毎晩、深夜の12時に帰宅していました。自分の時間がなく、主人と旅行に行く前日、予約したはずのホテルの予約ができていないことに気づき、慌てたことがあります。仕事では絶対ミスできませんから、もうこれで限界だと思い、秘書業務は卒業させていただきました。現在は、企画部に所属しております。

シマジ:面白いエピソードを聞かせてください。

金塚:面白いかどうかはわかりませんが、新宿の小田急デパートの閉店後に、資生堂カウンターに店頭用機器を導入したときのことです。機器の設置が終わり、帰ろうとしたんですが出口がわからなくなってしまい、行くところ行くところマネキンがいて、とても怖くなりました。このまま朝の開店まで待つしかないのか、と思ったときに、ちょうど警備の方が通りかかり、やっとデパートから脱出することができたんです。あのときは本当に嬉しかったです。

シマジ:そうか。そのころは携帯電話はなかったんですね。

金塚:そうなんです。いまは便利になりましたね。肌測定機器だってもっと大きく重かったですからね。今のようなこんな小さなものではありませんでした。ちょうどそのころでしたか、店頭機器の開発と導入を担当したんですが、会社で働いているときは終電時刻まで残業したり、その他の日は出張したりという忙しい日々でした。ある日自宅で束の間の睡眠をとっているわたしの頭の辺りが、急に温かくなった感覚がありました。なんと、愛犬がわたしにマーキングしていたんです。そうかと思えば、わたしが出張の準備をしていると、愛犬がわたしの出張バッグに入っていたりしたこともあります。当時は愛犬にずいぶん寂しい思いをさせたんだと可哀相な気がしています。

シマジ:愛犬はどんな種類なんですか。

金塚:ウエストハイランドホワイトテリアの親子飼いで、いまは親子2代と主人とで一緒に暮らしています。

シマジ:金塚さんの趣味はなんですか。

金塚:わたしの趣味は広く浅く、をモットーにしていまして、主にスポーツでしょうか。若いころはテニス、水泳、ボウリング、ツーリング、スキー、ゴルフとなんでもござれでしたが、50歳を過ぎてからマラソンを始めました。このごろは旅行を兼ねて地方のマラソン大会に参加しています。そのほかにはガーデニングでしょうか。いまはガーデニングというより家庭菜園に近いですが。お酒を飲むのは今でも好きですが、若いころのように飲み過ぎて電車を乗り過ごしたりすることはさすがに少なくなりましたね。

シマジ:少なくなったということは、いまでもたまにあるんですね。

金塚:それは極々たまに、です。そのほかの趣味として、絵付け、紙粘土、押し花、編み物、ソーイングも大好きですが、わたしの場合どれもこれも中途半端なんです。

シマジ:なるほど。金塚さんのことが少しわかったような気になってきました。今日はありがとうございました。

金塚:こちらこそ、大変愉しかったです。ありがとうございました。これからもこの連載の更新に期待しています。

シマジ:ところで和知さんにお訊きしたいんですが、『銀座マルディ グラのストウブ・レシピ』のなかに、鴨ごはんというページがありましたね。

和知:はい。あれはポルトガル料理ですね。

シマジ:わたしは鴨好きで、日本の鴨だとこれまでに約千羽は食べましたが、あの豪快な鴨ごはんは知りませんでした。たしかシャラン鴨を使っていましたね。

和知:まあマグレ鴨でもいいんですが、むね肉が最適ですね。

シマジ:シェフ、晩秋になったらぜひあれが食べたいんです。

和知:喜んで作りましょう。あれはカリカリと香ばしく焼けた鴨肉にタレのしみ込んだジャスミンライスが合うんです。ポルトガル料理にはどこか日本人をホッとさせるところがあるように思います。

立木:それは聞いただけで美味そうだ。シマジ、鴨の季節になったら2人で来よう。約束したぞ。カーマのチキンカレーを送るという話も覚えているだろうな。

シマジ:もちろんです。そうだ。鴨ごはんは1人じゃ食べられないから、ちょうどいい。2人で来ましょう。

立木:メシは1人で食うより2人で食うほうが、美味いに決まっているじゃないか。

新刊情報

Salon de SHIMAJI バーカウンターは人生の勉強机である
(ペンブックス)
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出版:阪急コミュニケーションズ
価格:2,000円(税抜)

今回登場したお店

マルディ グラ (Mardi Gras)
東京都中央区銀座8-6-19  B1F
03-5568-0222
>公式サイトはこちら (外部サイト)

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