第1回 六本木 ステーキそらしお 橋本聡氏 第3章 料理人は舌で味を記憶することが重要である。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

「ステーキそらしお」と「ソラシオ汐留」のエグゼクティブシェフを掛け持ちしている橋本聡(そう)42歳は、かつて大学進学を目指している途中でその進路を変え、料理学校に入学した。20歳のときである。学校に通う傍らカジュアルなスタイルのイタリアン・レストランでアルバイトをしていたとき、そこの店長に「洋食をやるならフランス料理を目指せ」とアドバイスされた。優秀な成績で料理学校を卒業した橋本は、青山のフランス料理の名店「ラマージュ」に採用された。「ラマージュ」とは「小鳥のさえずり」という意味である。青山のスパイラルビル5階にある「ラマージュ」のバルコニーにはピラミッド型の噴水があり、小川が流れている。緑あふれる空中庭園から小鳥のさえずりが聞こえてくるような、心地よい雰囲気が醸し出されているのだ。新卒で入ってから半年間、橋本はホールのウエイターとして働いた。それからようやく厨房に入れたのだが、そこからがまた険しい道のりであった。どこのレストランも割烹も、料理人の修行というのは非常に厳しいものである。かつては殴られたり蹴られたりするのも当たり前の世界であった。嫌になって辞めていく若者が多いなか、橋本は歯を食いしばって修行に打ち込んだのである。

シマジ:4年間勤めた「ラマージュ」をやめてからはどうしたの。

橋本:銀座の和食店で日本料理を修業させてもらっていました。創作料理を得意とする店でした。それから本場フランスに行く夢が膨らみ、ついに短期滞在を決めて出発したんです。縁あって、パリから3時間ほど離れた田舎のオーベルニュ地方に行きました。そこではなんと着いた次の日から厨房に入れてもらいました。「ベルナール・アンドリュー」といいまして、シェフの名前がそのまま店名になっているフレンチ・レストランで、ミシュラン一ツ星でした。幸か不幸か、日本人はぼく1人しかいませんでした。

立木:それは幸運というしかないね。1人のほうが、生きていくためにも言葉を必死で覚えようとするじゃないの。いきなりパリで働くよりウォーミング・アップとしてはよかったと思うよ。そこにどれくらいいたの。

橋本:3ヶ月ほどでした。やはりパリに行きたくてたまらなくなってしまったんです。そのころ日本人料理人の間に出回っていた、いわゆるレストランに就職するための手紙の書き方のフォーマットがありまして、それを参考に思い切って三ツ星レストラン「ルカ・キャルトン」に手紙を出したところ、「よし、雇ってやろう」という返事をもらい、パリに出たんです。「ルカ・キャルトン」には4人の日本人が働いていました。ここはパリでも有名な店で、ランチもディナーも毎日満席でした。そんな店に運良く採用されて働くことになったわけです。厨房には25人の料理人が忙しく働いていましたね。

加藤:それは橋本さんが何歳のころだったんですか。

橋本:29歳です。

加藤:言葉の通じない外国で修行するのはこころ寂しいことだったでしょうね。

橋本:厨房でのコミュニケーションは徐々にわかっていきましたが、日常会話が通じないので孤独でしたね。とくに田舎にいた3ヶ月間は地獄のような孤独を味わいました。仕事をしているときはいいんですが、店が休みのときは外出しても言葉がわからず、どこに行っても、部屋にいても、一人ぼっちなので寂しかったです。でもだからこそ、料理の修行にひたむきに打ち込むことができました。あれは日本にいては絶対に経験出来ない貴重な体験だったといまではむしろ感謝しているんです。

立木:孤独は青春の贈り物だからね。でもいまパリでは日本人の若い料理人が大人気らしいじゃないの。

シマジ:日本人は仕事が丁寧だからでしょうか。

橋本:フレンチの仕事がわかってから短い期間パリに行くのと、まったくの未経験で4、5年行くのと、どちらの道を選ぶかでしょうが、わたしは前者のほうでしたから、時間とお金に余裕があるときは、有名なグラン・メゾンを食べ歩きしました。

シマジ:なるほど、料理人は舌で味を記憶することも重要だよね。でもフランスでは中学卒業で料理人になる若者が多いようだね。

橋本:そうです。そのほうが実践で腕も舌も磨かれるんでしょうね。わたしが「ルカ・キャルトン」で働いて驚いたのは、食材をじつに贅沢に使っていることでした。オレンジやグレープフルーツの皮を甘く煮る料理のとき、実もジュースも捨ててしまうんですからね。日本であれをやったら店が潰れてしまうでしょう。

立木:でも三ツ星レストランで働いていたぐらいでは、有名レストランの食べ歩きはきつかったろう。

橋本:そうですね。日本で働いていたときの貯金を全部持って行きましたから、なんとかなりました。ですが実際のところ、星つきレストランは給料が安いので、ビストロやカフェで一週間分稼いでは星つきレストランに働きに、ではなく、食べに行っていたんです。それで安アパートに帰ってきて、食べた料理の印象や、こうして作るのだろうという想像や食材を几帳面にノートに記録しましたね。そんなことをしているうちに1年3ヶ月があっという間に過ぎて日本に帰ったのです。

加藤:もう一度あれを食べたい、といまでも思い出すような、パリのレストランの感動料理はありますか。

橋本:うーん、沢山記憶にありますが、1つだけ挙げろと言われたなら、そうですね、いま三ツ星になった「ギー・サボア」の前菜料理、トリュフとレンズ豆とアーティチョークの煮込みですね。そのころその店はまだ二ツ星でしたが。

立木:トリュフか。日本でいう松茸みたいな貴重なものだね。

シマジ:冷蔵庫のなかにトリュフ専用のボックスがあって、カギがかかっているらしいね。

橋本:その通りです。チーフシェフだけがそのカギを開けられるんです。パリではなく田舎のレストランで働いていたときは、農夫がトリュフを売りにきているのをよく見かけました。

シマジ:橋本は料理人だから美味いと思った料理を簡単に自分で再現出来るんじゃないの。

橋本:それが、トリュフとレンズ豆とアーティチョークの煮込み料理は日本に帰ってから何度も挑戦してみたのですが、どうしても同じ味にならないんです。

立木:それは気候も違うし、食材そのものが違うからじゃないの。

橋本:その通りだとぼくも思いました。

シマジ:パリから日本に帰ってきたあとはどうしたんだ。30歳か31歳になっていた頃だね。

橋本:銀座で創作料理の店の店長をまかされました。厨房のなかは4名でしたが、もう時代は変わっていて、殴る蹴るはなかったですね。そんなことをしたら、いまは料理人のなり手がいなくなってしまいます。

シマジ:美容師の世界でもそうらしいね。最近は美容師を目指そうという若者が減ってきているらしい。

立木:あの世界も最初はシャンプーボーイから修行を積んでいかなくてはいけないから、いまの若いモンには勤まらないんじゃないのか。

シマジ:楽をしてちょっとしたお金が入るような職業がいまは増えているからね。将来に夢を抱く若者がどんどんいなくなっているのは大きな社会問題だと思うよね。しかし料理人は腕さえよければさらにいい店に引き抜かれていくんだね。

橋本:そうですね。わたしが料理学校を卒業してはじめて働いたフレンチの「ラマージュ」が、二子玉川に2号店を出すという話が持ち上がり、わたしが店長として行くことになりました。店名は「RAMAGES Y(ラマージュ・イグレク)」といいました。4年間働きましたか。その間に結婚もしました。

加藤:おめでとうございます。橋本さんが何歳のときだったんですか。

橋本:36歳です。

シマジ:わかった。その店で高橋治之と出会ったんだね。高橋が橋本シェフの料理を食べて「ソラシオ汐留」で働かないかと口説いたんだろう。

橋本:はい。「ラマージュ」のオーナーがとても寛大な人で、「わかった。その代わりここのレシピとスタッフは置いて行くように」とだけ言われまして、めでたく高橋さんのレストランに移ることが出来ました。

立木:橋本の料理人としての哲学はなんなんだ。

橋本:哲学とまでは言えませんが、「お客さまをもてなす最高のソースはプライスである」と考えています。ですからオーナーの高橋さんと相談して、料理の質にはこだわりながら、値段は極力抑えているのです。

シマジ:それは素晴らしいソースだね。その考えでやれば成功まちがいなしだ。

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ステーキそらしお

東京都港区六本木1-9-10 アークヒルズ仙石山森タワー 1F
Tel: 03-3505-5550
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資生堂ビューティートップスペシャリスト

加藤 芳

全国約1万1千人のビューティーコンサルタントの中から選抜され、高度な美容技術を学び、2015年4月より資生堂ビューティースペシャリストとして活動。

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