第2回 荒木町 Bar C-shell 牧浦侑氏 第2章 マッドサイエンティスト・バーマンの人生。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

ある日のこと、「シ・シェル」のオーナーバーマン牧浦侑が伊勢丹メンズ館8階のシガーバー「サロン・ド・シマジ」にやってきた。そのときたまたま韓国系アメリカ人の男性が初めて店を訪ねて来たのだが、彼は日本語が全く話せなかった。わたしが英語での対応に内心冷や汗をかいていると、彼の隣にいた牧浦がさりげなく助け舟を出してくれた。その瞬間わたしは驚愕した。初めて聞く牧浦の英語は日本人の英語ではなかった。それは帰国子女の話す流暢な英語であった。わたしは牧浦にバーの名刺を渡すよう勧めたのだが、その数日後、かのアメリカ人が「シ・シェル」に現われたという。やはり人生は縁であり、言葉はひとつの武器なのである。

稲垣:わあ、美味しい!

シマジ:これはまさにモンブランだね。

立木:この泡はなんなの?

牧浦:これはコーヒークリームを入れて振ったときに出来る泡ですね。

シマジ:これぞマッドサイエンティスト・バーマンの特製カクテルだね。

立木:ここまで作れるようになるにはずいぶん修行を積んできたんだろうね。

シマジ:そうだ。牧浦侑の人生を訊かねば。まずは、どこで生まれたの?

牧浦:実は、サロン・ド・シマジ本店のすぐ裏にあります、愛育病院で生まれました。

シマジ:えっ、あの有栖川公園の隣の、皇族にもゆかりの深い愛育病院で誕生したの。

牧浦:そうです。そのあと2歳ちょっとでニューヨークに引越しました。

シマジ:それはお父さんの仕事の関係で?

牧浦:ぼくの最初の父は母と折り合いが悪くなり、母が次に結婚した人が山一證券勤務で、たまたまニューヨーク赴任になったんです。

シマジ:まだ日本語も満足に話せないうちにニューヨークに行ったんだね。

牧浦:そうですね。それから6年間ニューヨークで暮らすことになりました。まだ幼かったせいか、記憶も色々と混ざり合っていて・・・白金の自然教育園の景色だったのが、次に瞬きをしたら、そこがセントラルパークだったんです。

シマジ:小学校はどこに入ったの。

牧浦:ニューヨークの国連がやっていたインターナショナルスクールに入学しました。幼稚園も一緒でしたが、同級生は全員違う目の色をしていましたね。なかにはターバンを巻いた子供もいましたよ。

立木:じゃあ、ネイティブとして自然に英語を覚えたんだ。

シマジ:兄弟は?

牧浦:ぼくは幸か不幸かひとりっ子なんです。

シマジ:そしてまた日本に帰ってきてこちらの小学校に入学したんだね。

牧浦:はい、小学3年生のときに帰国して、大田区立の小学校に入りました。いちばん苦労したのは国語の授業でしたね。でもぼくは耳がよかったので、人の言い方や言い回し方を物真似したりしていたせいか1年くらいで日本語もずいぶん上達しました。

シマジ:牧浦は耳がいいんだね。それに家庭では日本語でやりとりしていたんだろう?

牧浦:そうですね。でも日本語を完璧にマスターするのはなかなか難しかったですね。たとえば、帰国当初は英語で物事を考えていたせいなのか、よく友達にお前の話は面白くないと言われました。それは英語っぽく話のオチを最初に言ってしまうからなんでしょう。それでラジオのDJを聞いたりして、自然な日本語の流れに馴染むようにしました。

立木:そうか、NYで松田優作の映画を観たころは、英語の吹き替えで理解していたのか。

牧浦:そうですね。その頃日本語ではところどころしかわかりませんでした。

シマジ:日本ではそれからどうしたの。

牧浦:中学を卒業して工業高校に進みました。いまでも鉄の塊をみると興奮します。バイクの修理工場でエンジンの音を聞いたり、エンジンオイルのニオイを嗅いだりすると胸騒ぎがしてくるんです。工業高校を卒業するとアーク溶接にガス溶接、有機溶剤、特定化学物資などの取り扱い資格がもらえました。

シマジ:またどうして、そんなに大好きな道から水商売の道に方向転換したの?

牧浦:高校2年生のときにカラオケ店でアルバイトをしたんです。外人客の対応も含めて接客業に慣れていくうちに、こういう仕事も悪くないなあと思ったんですね。そこで正式にバーで働くことを決心して、六本木の俳優座近くのオーセンティックバーに入ったんです。そこはバイト先のカラオケ店の近くにあり、行き帰りにその前を通っていて、気になってはいたのですが、あるときバーの入口に「従業員募集」という張り紙を見つけたんです。1階なのでそれとなく店のなかの様子をのぞき見しながら応募の電話をかけてみました。すると面接に呼ばれたので早速翌日行ったんですが、じつはぼくより先にほぼ内定した人がいたらしいんです。ところがたまたまぼくの面接中にその内定者から電話がかかってきて「やっぱりやめておきます」と言うではありませんか。

シマジ:それで牧浦に決まったんだ。

牧浦:そうです。その場で決まりました。

シマジ:牧浦は強運の人だね。それは人生において重要なことだよ。

稲垣:そうだと思います。わたしが資生堂に入社出来たのもささやかな強運のおかげだといまでも思っているんです。

立木:お嬢、「ささやかな」ではないでしょう。大きな強運です。

シマジ:たしかに資生堂に入社するのは相当に難しいようですよ。

立木:お前は資生堂の入社試験を受けたのか。

シマジ:いやいや、それは最初から無理でしょう。知り合いのお嬢さんが、しかも福原名誉会長の推薦をもらって何人か受けたんですが、1人も入れませんでした。男性も難しいようですね。なにしろ2万人以上の従業員がいる大企業ですからね。

立木:牧浦はその六本木のオーセンティックバーで、バーマンとしての第一歩を踏んだんだね。

牧浦:そうです。バーマンの師匠の隣に立って、はじめは師匠が振り終わったシェーカーを洗ったり、灰皿を洗ったり、グラスを拭いたりしながら仕事を覚えていきました。誰よりも早く出勤してトイレ掃除や床掃除をしていたので、いつも午後3時過ぎには店に出ていましたね。バーがオープンするのが6時で終わるのが午前5時ごろ。それから先輩のバーマンに連れ回されたりして、家に帰るのは朝10時過ぎぐらいでした。

シマジ:先輩や師匠やお客に連れ回されるというのは、牧浦が可愛いがられていたからだろう。

立木:そこで何年修行したの。

牧浦:約2年間です。尊敬していた師匠が辞めてほかの店に行ってしまったのが大きな理由ですかね。師匠とは家も近かったこともありまして、休日にはバイクでツーリングをしたり…バー以外のことも多く教わりました。

シマジ:どの道にしろ、尊敬出来る師匠や先輩につけたというのは若者にとって強運の一つだよ。

牧浦:師匠が移った店について行こうと思ったのですが、そのバーがあまりにも近くにあったので「お前はついてくるな」と言われたこともありまして、自分のバーマンとしての可能性を広げたくて、様々なスタイルのバーを回ることにしたんです。その時はちょうど六本木ヒルズがオープンした時だったので、そこにあるダイニングバーのバーマンとしてお誘いを受けました。

シマジ:今度は英語とバーマンの腕が買われたんだね。

牧浦:そのころ夏限定で広尾の羽澤ガーデンのビール専門のバーマンもやりました。

シマジ:あそこはいいビアガーデンだったね。いまはマンションになってしまったけど。

牧浦:樽生の注ぎ方が難しいんですよ。その泡が消えないうちにお客さまに持って行くのも大変なんですが、多いテーブルには14、5杯一緒に運んで行くんですよ。

立木:それは体育会系の学生のアルバイトだろう。次はなにを撮ればいいんだ。

シマジ:牧浦の話に夢中になってつい忘れていた。何にしようか。

牧浦:一応「ラスティ・ネイル」を考えていましたが。

シマジ:「錆びた釘」か。よし、それで行こう。

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新刊情報

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今回登場したお店

Bar C~Shell(シ・シェル)

東京都新宿区荒木町9番地 ウインド荒木町 1F
Tel: 03-6380-6226
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