第9回 赤坂 孔子膳堂 孔健氏・呉漢彪氏 第4章 料理を美味くする最大の味付けとは?

撮影:立木義浩

<店主前曰>

若き孔健は努力の人であった。高校を卒業すると同時に、不本意にも青島の港湾局でコック見習いの職に就かされたが、中国の標準語(北京官話)を話せたおかげでその後アナウンサーに転職することが出来た。当時の中国は若者が大学に進学できるよう、ようやく門戸が開かれ始めた時代であった。孔健は英語と日本語を猛勉強して、山東大学日本語学科に入学した。
そのころ孔健の父親が中国から日本に熊の手を毎回5トンも運ぶ貿易船の仕事に従事しており、よく中国と日本を行き来していた。父親が持ち帰ってきた日本語の『論語』の解釈本を通して、日本では孔子の論語が尊敬の念を持って大切に読まれていることを知り、孔子75代目の子孫である孔健のこころに火がついた。将来の生きる道を日本に見出そうと決意した孔健は、大学で日本語を猛勉強した。やがて上智大学新聞学科に留学が決まり、晴れて来日を果たしたのは孔健が25歳のときであった。

シマジ:山東大学以外にどこかほかの大学も受けたんだろう?

孔健:はい、北京映画大学も狙いましたが、学科はパスしたものの、実技の踊りと歌で見事落とされてしまいました。しかし自分としては、山東大学の日本語学科に入れてよかったと思っています。そのころから月刊誌「人民画報」に日本の雑誌の特集を翻訳して投稿していました。それが認められて人民画報社で編集者兼翻訳者の仕事もしていました。

シマジ:なるほど、書くことが得意だから上智大学の新聞学科に入ろうと思ったんだね。

孔健:そうですね。でも上智大学では大学院の博士課程にまで進みながら、結局卒業は出来ませんでした。

シマジ:上智には何年通ったの?

孔健:10年間は通いましたか。

シマジ:しかしどう見ても孔健は学問の人ではないでしょう。象牙の塔に温和しくしているなんて、そもそも無理があったんじゃないの。

孔健:まったく、おっしゃる通りですね。すでにそのころから学研とか集英社のいろんな編集者と親しくなり、仕事をもらっていましたから。

シマジ:はじめての留学のときは国費で日本にきたの?

孔健:いえ、違います。日中留学交流協会の招聘でした。1985年でしたか、そのころは1ヶ月5万円の生活費でやっていましたよ。大変でした。

シマジ:でも日本の出版界も1980年代はまだ元気だったから、仕事は沢山あっただろうね。

孔健:ありましたね。いろんな雑誌の取材で中国各地に行っては気功の達人を紹介したり、仙人を紹介したり、面白いことを沢山やりましたよ。個人的には山本七平先生の弟子にしていただきました。それから井上靖先生に『論語』を教えてくれと頼まれたこともありました。

シマジ:孔健は孔子の強力な子孫だものね。しかしどうして、最初にコックになったときにはガッカリしたの?

孔健:孔子家には有名なことわざにもなっている「男子厨房に入るべからず」という教えがあるんですよ。だからぼくは落胆したんです。でも厨房で働いていて1つ発見したことがありました。それは、料理を美味くする最大の味付けは料理人の汗が混ざること、なんです。

シマジ:なるほど。京茄子の味噌田楽がわたしの大好物なんだが、あの味噌は何時間もかけて練り込むらしい。たいていはまだ若い見習いの料理人の仕事のようだけど、あの美味さには若者の額の汗が混ざっているということか。

孔健:そうですよ。どんな高級な塩よりも人間の汗のほうが美味いに決まっています。

シマジ:SHISEIDO MENを塗った顔から流れる汗はもっと美味いかもね。田中さん、これは冗談ですよ。

田中:はい、わかっております。

立木:シマジ、せっかくだから孔健の話ばかりじゃなく、資生堂のお嬢の話も聞いてあげたらどうなの。

シマジ:巨匠のおっしゃる通りです。では田中さんにお訊きしましょう。どうして生涯の就職先に資生堂を選んだのか教えてください。資生堂に入社するのは難しいと聞いていますが。

田中:わたしが化粧品に本格的に目覚めたのは中学生のころでした。ニキビに悩まされていて、メーカーを問わず、ありとあらゆるスキンケアを試みているうちに、その愉しさに嵌まってしまったのです。1万円のお小遣いで8000円の化粧水を買ってしまうほどでした。化粧品に際限なく投資するわたしをみて母があきれていましたが、その化粧品をみて「まあ、資生堂のものなら大丈夫でしょう」といっていたのをとても印象的に覚えています。わたしがどうしても資生堂に入社したかった最大のモチベーションは、これだけ多くの化粧品メーカーが存在する世の中で、最も「安心な化粧品」のメーカーとして認識され、信頼されているということなんです。

シマジ:それではあなたが資生堂に入ったことを母上もさぞお喜びだったことでしょう。まずは最初の親孝行でしたね。

田中:そうかもしれません。しかもわたしの通っていた学校は非常に校則が厳しくて、眉を描くことすら禁止されているような学校でした。世の中はちょうどアムラーブームでメークはなんといっても細眉がポイントだったんです。眉を描かないなんてダサくてありえないと思っていましたので、眉を描いては先生に呼び出されて消され、解放されたらその足でトイレに駆け込んで描き直すという、なんとも無意味なことを繰り返していました。

シマジ:化粧に対する田中さんの執念が凄いですね。

田中:ですから同窓会で「資生堂に入社した」と報告したら、当時のわたしのことを知る誰もが納得していましたね。

孔健:田中さんはまるで資生堂の社員になるために生まれてきたような女性ですね。

田中:ありがとうございます。もう1つ資生堂を志望した動機として、資生堂という会社は年齢を重ねることに対して前向きな企業姿勢を持っているということなんです。「アンチエイジング」という言葉はわたしの入社当時から世の中に知られていましたが、資生堂では「サクセスフルエイジング」という言葉を唱えていました。年齢を重ねていくほどに磨かれるのが本当の美しさだという考えです。見た目の美しさだけにとらわれないこの考え方は、とてもナチュラルで時代に合ったものだと感じられて、「この会社はこの先もっと成長し続けるだろう。こういう会社で誇りを持って働きたい」と思えたんです。

立木:いまの学生はそこまで考えて会社に入っているんだろうか。うーん、お嬢をまた撮りたくなった。もう一度レンズをみてくれる?

田中:ありがとうございます。いま資生堂のCMで「Be yourself」というメッセージを発信していますが、根幹にある考え方は決して真新しいものではなく、じつは資生堂がずっと昔から大切にしてきたコンセプトで、時代に合わせた表現に変換したものなんです。

シマジ:田中さんのいまの部署は?

田中:一言でいえば、WEBを活用してうちの化粧品やBCのカウンセリングの素晴らしさを世の中に発信し、なるべく多くのお客さまに店頭で体験していただくきっかけを作るための仕事をしています。

シマジ:そうですか。だから本日ピンチヒッターでここに駆けつけてくれたんですね。

田中:じつはそうなんです。

立木:そうだったのか。この連載もその部が担当しているんだね。

田中:そういうことです。

シマジ:WEBの世界は最先端ですから面白いでしょう。

田中:笑えるようなエピソードはないですが、担当してまだ間もないころはWEBの世界の用語がわからず、打ち合わせ会議に出ても難解な言葉の連続についていけなくて、ついついウトウトしてしまい、気がつくとまわりの人たちがわたしをみて笑っていたことがありました。

シマジ:凄くわかる話ですね。

田中:WEBはあっという間に進化する世界ですのでついていくのがやっとの状態ですが、とても刺激的で面白い仕事だと思っています。

もっと読む

新刊情報

Salon de SHIMAJI
バーカウンターは人生の
勉強机である
(ペンブックス)

著: 島地勝彦
出版:阪急コミュニケーションズ
価格:2,000円(税抜)

今回登場したお店

孔子膳堂

東京都港区赤坂3-11-14赤坂ベルゴ 1F
Tel:03-5544-8438
>公式サイトはこちら (外部サイト)

商品カタログオンラインショップお店ナビ
お客様サポート資生堂ウェブサイトトップ

Copyright 2015 Shiseido Co., Ltd. All Rights Reserved.