第3回 麹町 ARGO 田坂嘉隆氏 第3章 師匠から学んだ、もてなしと感謝の心。

撮影:立木義浩

シマジ:田坂シェフは何歳になられたんですか。

田坂:44歳です。

シマジ:44歳でじつに味のあるいいお顔していますね。

立木:シマジはシェフの顔を料理のように褒めるのか。

シマジ:伊勢丹のサロン・ド・シマジのバーの格言コースターに「男の顔は40歳までは両親の”作品”であるが、40歳からは自分自身の”作品”である」というのがあるんですが、田坂シェフのお顔を拝見していたら、その格言を思い出したのです。

田坂:いやいや、恐縮です。

シマジ:おそらく田坂シェフは料理の世界で尊敬できる師匠からいろんなことを習ってきたと思いますが、こころに残る言葉も教えてもらったんでしょうね。最初の師匠、ムッシュこと上柿元さんにはどんな言葉をいただいたんですか。

田坂:はい、ムッシュからは「一流の料理人である前に、一流の社会人でありなさい。そしてすべてに感謝しなさい。お客さま、スタッフ、食材を育てたり採ってきてくれたりする農家の方々、漁業の方々、酪農の方々、そして大地と海に」と教わりました。

シマジ:それは素晴らしい。食べる側のわれわれにも通じる言葉ですね。

立木:とくにシマジはその言葉を肝に銘じて残りの人生を生きなさい。

シマジ:畏まりました。

立木:「赤の他人の七光り」なんて威張っていないで、これからは感謝の気持ちを胸に、謙虚に生きなさい。そうすればもっと顔がよくなるはずだよ。シマジの顔はまだ生臭い。「不良長寿」なんて豪語しているようでは大した”作品”にはなれないんじゃないか。

シマジ:恐れ入りました。今後気をつけて生きて参ります。

立木:上柿元シェフはリヨンのアラン・シェペルの料理を若いとき学んだそうだね。

田坂:はい、ムッシュは神戸のポートピアホテルの「アラン・シャペル」のレストランの料理長をやっていたことがありました。日本人でアラン・シャペルの下で修業したシェフは、三国清三シェフ、音羽和紀シェフ、渋谷圭紀シェフ、そして上柿元シェフと聞いております。ムッシュが東京でイベントをやるときは、ぼくはいつもお手伝いに駆けつけています。

立木:それはいいこころかけだよ。上柿元シェフも嬉しいと思うよ。

田坂:はい、せめてもの恩返しです。

シマジ:でも料理人の人生でいままですべてが順風満帆というわけではなかったでしょう。

田坂:それはやはり、いろいろありました。駒沢にあった「ラ・ターブル・ド・コンマ」で働いていたとき、「お前は基礎がなっていない」と鼻をへし折られたころ、風邪を引いて高熱が出て動けなくなりお店を休んだんですが、風邪が治ってもお店に行きたくなくなってしまい、約2週間ずる休みをしたんです。でも、これでは結局自分がダメになると思い、勇気を振るって出勤したんですが、シェフにどやされるかなと思っていたら、なんにも怒られずに許してもらいました。

シマジ:もしかすると逃亡しそうになったわけですね。

田坂:そうです。いまと時代がだいぶ違いますから。

シマジ:いまでいうパワハラが普通の時代だったんですね。そのころはよく先輩の手や足が飛んできたでしょう。ことによると、鍋なども飛んできたそうですね。

田坂:でもそのころの先輩シェフは、本気で育てようとしたからこそ本気で怒ってくれたのだと思います。その点、いまの若者は可哀想な気がします。

シマジ:田坂シェフはいま若い見習シェフにはどのように接しているんですか。

田坂:さすがに手や足は出しませんが、その人間に合った叱り方をしています。

立木:田坂シェフ、そういうときはシマジにそんなに親切に答えるんじゃなく、ただ一言、「企業秘密です」と言えばいいんだよ。

田坂:その言葉はぼくにはまだ早すぎますね。

立木:MHD(モエ ヘネシー ディアジオ)のボブはいくつなんだ。

シマジ:たしか39歳だったと思いますが。

立木:39歳のボブがしょっちゅう使っているんだから、44歳だったら十分使えるよ。

シマジ:たしかにいまの日本の若い男の子は脆弱になったような気がしますね。むかしはライオンの子ではないが、千尋の谷底へ叩き落とされても這い上がっていったものですがね。いまではどの業界でも、ちょっと怒るとすぐにやめちゃうそうですね。

田坂:そういう時代のようですね。

シマジ:田坂シェフがいままで出会ったシェフの方で、ほかにも印象的な方はいらっしゃいますか。

田坂:そうですね。「ヴァンサン」の城シェフも凄い方でしたね。料理を言われた通りに作っているつもりで、なおかつ次々に他の料理に追われていますから、きちんと味見をせずにいい加減な状態で出してしまったときがあります。そんなときに城シェフはちょっと見て、摘まんで口に入れると「この料理はお前の両親か兄弟が来たときに出してやれよ。できがよくないものをお客さまに出すものではない」と叱られたことがありました。そのもてなしのこころは、いまのぼくには十分わかります。側で若い見習料理人が自信なさそうに作っている料理を横からちょっと摘まんで「これはダメ。塩味がきつすぎる」と言えます。

川口:シマジさんも柴田錬三郎先生や今東光大僧正や開高健先生からいろいろ教わったと思いますが、いちばん印象的なことを教えてくれますか。

シマジ:おっ、ビックリした。川口さん、鋭い質問です。

立木:お嬢、余計なことを訊いたもんだね。またシマジの自慢話がはじまるよ。

川口:えっ、どうしましょう。

シマジ:編集者になりたてのころ、わたしが柴田先生から非常に大事なことを教わったのは、原稿料のことと飲み屋のつけのことですか。「お前はこれから有名無名に関わらず多くの物書きの原稿料を切る立場になるんだ。みんなお前の原稿料で生活をしのいでいることを絶対忘れるなよ。お前の集英社の給料は黙っていても年々上がっていくだろうが、物書きやフリーの編集者の原稿料なんてたかが知れている。新しい週刊プレイボーイができたらすぐに、お世話になったそういう人たちに原稿料を切れよ。そうするとシマジは見かけに寄らずしっかりしたやつだという評判が業界に立つものだ。それは大きな信用だぞ。お前のために一生懸命働いてくれる才能がお前の周りに自然と集まってくるものだ。それからもう一つ、飲み屋につけをためないことだ。請求書が送られてきたら、その日のうちに切ることだ。するとお前は飲み屋の世界でも信頼されて、困ったときにはなにかと助けてもらえるだろう」この言葉はいまでも忘れませんね。その後の編集者時代に凄く役に立ちました。そしてわたしが物書きになって感じるのは、やはり一流の編集者はきちんとタイムリーに原稿料を切ってくれますが、二流の編集者は原稿料を切るのが遅れたり、忘れたりとルーズなことが多いですね。

川口:いいお話ですね。シマジさんの「赤の他人の七光り」はそこから出てきたのですね。

立木:おれを写真一枚2000円で使ってくれた同じシマジとは思えないくらい立派なお言葉ですな。

シマジ:タッチャン、あれにはいろいろ事情があったんですよ。

立木:お前が原稿料を早く切っていたのはわかるけどね。

田坂:その話は面白そうですね。詳しく知りたいです。

シマジ:田坂シェフ、これこそ企業秘密です。今度個人的にご説明いたしましょう。わたしが編集者になりたてのころは、ボーナスの日は集英社の玄関に大勢の飲み屋のママさんが列を作ったものでした。いわゆる取り立てに来ていたんですよ。

川口:なるほどね。まだ給料が銀行振り込みでなかったころの話ですね。

シマジ:ある意味では日本がまだのどかな時代だったと言えるでしょうね。

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