第4回 淡路町 天兵 井上孝雄・恭兵親子 第3章 「天兵」誕生にまつわる、恩と人情の話し。

撮影:立木義浩

井上:そういえば先日、シマジさんのバーで2年間も書生をしていた若者をシマジさんが連れてきてくれたとき、銀宝が入らなくてがっかりさせて申し訳なかったですね。

シマジ:ああ、泣き虫のカナイのことですね。

立木:シマジ、いつもの大僧正の法力を使わなかったのか。

シマジ:それがカナイが「例の法力をぼくにやらせてください」とそのときに限って言ったんですよ。そこでわたしは「じゃあカナイ、任せたよ」とすっかり法力のことは忘れてその夕刻「天兵」にやってきたんです。

清水:面白そうなお話ですね。

シマジ:お店に入るなり、大将から「ごめんなさい。今日は銀宝が1匹も入らなかったんです」と開口一番言われたときの、カナイのあまりに悲痛な表情はいまでも忘れられませんよ。「カナイ、お前はなんと言ってお祈りしたんだ」と訊いてみると、涙声で「『銀宝が美味しかった!』と毎晩3回ずつ、1週間続けて大きな声を張り上げて、寝る前に呪文のように唱えていました」と言うんです。そこでわたしは膝を叩いてこう言ったんです。「カナイ、銀宝が入荷しなかった原因はそれだな。『銀宝が美味しかった!』という表現は『銀宝を食べた』というよりあきらかに欲張り過ぎている。きっとえこひいきの神さまがお前の欲の深さを嫌ったんだろう」するとカナイは「すみません。そうだったかもしれません。歌舞伎を5歳の時から親父に連れられて観ているぼくとしては、噂に聞いていた銀宝をシマジ先生がご馳走してくださるということで、つい興奮して欲張りすぎたかもしれません」と言うんです。「たしかに銀宝は、江戸時代も熊さんや八っつぁんが挨拶代わりに『よう、今年の銀宝を食ったかい?』と言ったくらい、昔は庶民の魚だった。だがいまや、江戸前てんぷらではまぼろしのネタなんだ。でもまあ、カナイ、そう落胆するな。来年は銀宝が入ったら、女将さんに電話をしてもらってからここに来ようじゃないか」と慰めると、小さな声で「わかりました。銀宝は1年間お預けですね・・・」と言っていましたね。

井上:本日の奇跡的な僥倖は、わざわざシマジさん自ら上野寛永寺の今東光大僧正のお墓にお参りしてお願いしてきたおかげじゃないでしょうか。そのご利益が銀宝を5匹もうちに引っ張ってきたんじゃないですか。わたしはこの世に不思議な力が存在すると思っている人間の一人です。

立木:でも、どうしてまた、シマジが元書生にこれほど貴重な銀宝をご馳走してやろうと思ったんだ。

シマジ:それはいまタッチャンの写真を使わせていただきながら制作中の「サロン・ド・シマジ・カレンダー」のなかで、開高健文豪の命日をうっかりわたしが間違えていたのを、カナイが夢のなかに出てきて教えてくれたことへのお礼なんです。この恩はわたしにとってどれほど大きいか。それに前から銀宝を食べたいとカナイはよく言っていましたから。

立木:なるほどね。

恭兵:ところでシマジさん、近いうちにシマジさんの伊勢丹のバーに親子3人で伺います。シマジさんがつけていらっしゃる腕輪念珠が欲しいんです。

シマジ:恭兵君はさすがだね。これは千日回峰行に成功した仙台の慈眼寺の住職塩沼亮潤さんが、護摩を焚きながら一本一本念じてくれた腕輪念珠です。御利益はかなりあります。まさに信ずる者だけが救われる世界ですけどね。

恭兵:伊勢丹でおいくらで売られているんですか。

シマジ:慈眼寺でもサロン・ド・シマジでも同じく1本千円+税です。

恭兵:わかりました。

立木:シマジ、先程話していた「天兵」の創業者だった先代の井上兵次さんのことをもうちょっと知りたいね。家出同然で佐賀からやってきた兵次少年が、どういう顛末でここ淡路町に立派な店を開業するに至ったのか、その一代記を井上の大将に語ってもらおうよ。

シマジ:ということで、大将、父上の苦心談を一席お願いできますか。

清水:わたしも興味があります。佐賀から出てきた少年がどうやってこんな美味しい天ぷら屋さんを作られたか知りたいです。兵次少年が上京してきたのは何歳だったんですか。

井上:18歳だったそうです。わたしがいちばん興味深いのは、戦前の東京に上京してきて、生まれてはじめて食べた天丼に感激して、天ぷら屋の丁稚に入って修業したという事実ですね。そのとき親父が天丼を食べていなかったら、もちろん、いまの「天兵」は存在していなかったはずです。天丼を食べて「こんな美味いものがこの世にあったのか」と感動したことをもって、そもそも「天兵」の嚆矢としてもいいんじゃないかとわたしは思っているくらいです。

立木:その天丼だってソバ屋で出すくらいの天丼だったかもしれないよね。いま資生堂のお嬢が食べた“シマジスペシャル丼”とはワケがちがうだろう。

井上:そうだったんでしょうね。そしてその後いろんな紆余曲折がありましたが、縁あって戦前は大きくやっていた万世橋の「天米」の丁稚に潜り込んだんです。生まれついての明るい性格だったので「兵ちゃん、兵ちゃん」とみんなに可愛がられたようです。そのうちに、少しずつ頭角を現わしていったのでしょう。徐々にごひいきのお客さまもついてくださって。

シマジ:兵次さんは明治何年生まれだったんですか。

井上:明治38年生まれです。たしか「天米」に入ったのは大正9年だと思います。

シマジ:それから独立してこの淡路町に「天兵」を開店したわけですか。

井上:住み込みで働いている兵次には、一軒の店を持つ資金も甲斐性もなかったんですが、兵次ファンが沢山いたらしく、そのなかのノボル鋼鉄の大西さんという部長さんが、兵次の独立資金として、当時としては大金の3千円をポンと貸してくれたそうです。そして10年かけてゆっくり返せよと言われたそうですが、兵次の店は大繁盛してたった3年で全額返済したそうです。

立木:それは大したものだね。そろそろ戦争が始まる時期だったんでしょう。昔はそういう男気のある人物がいたんだろうね。

井上:そうかもしれませんね。昭和15年に店をオープンしたときは店名を「天米支店」としたんです。まあのれん分けみたいなものだったんでしょう。「天米支店」から「天兵」と店の名前を変えたのは、昭和52年でした。親父と菓子折りを持って「天米」に行き、のれんを返してきたんです。わたしもまだ若かったですよ。親父はたしか84歳でしたか。あっ、そうそう、思い出しました。その開店のときお世話になった大西部長が大阪で独立したものの、事業が上手く行かず、今度は親父が大西さんを助けることになったんです。そのとき親父は印鑑と通帳を送り「これだけしかありませんが、全部使ってください」と手紙に書き添えたそうです。

立木:いい話だね。いまどきそんな話はめったに聞かなくなった。

シマジ:それにしても井上大将は名門武蔵高校出身だそうですね。

井上:はい。そうそう、同級生に、もしかするとシマジさんも知っているかも知れませんが、編集者になった小黒一三がいます。

シマジ:へえ、マガジンハウスにいた小黒一三ですか。彼とは会社はライバル同士でしたが、よく一緒に飲んだ仲です。

立木:小黒か。アフリカ取材で象を一頭買った男だろう。

シマジ:凄く豪快な編集者です。いまでも「ソトコト」という雑誌をマガジンハウスから独立して発行している元気のいい男です。あの男はまさに編集者として生まれてきたような有能なやつですよ。最初早稲田に入ったんですが、どうも田舎くさいと思って、今度は慶応に入り直したという面白い男です。井上さんはどちらに進まれたんですか。

井上:わたしはここから歩いてすぐの明治に行きました。

シマジ:まさに指呼の間の大学に通われたんですね。

井上:でも武蔵高校に入ったお陰で、同級生は東大に行ったのが多かったので、いい会社に入ったり高級官僚になったりした同級生が、現役時代、よくうちの店を使ってくれましたね。

女将:同級会をうちでやってくれたことも何度もありました。

シマジ:ここの壁に社交ダンスをやっている大将の粋な写真がありますね。いまでもやっているんですか。

井上:社交ダンスは映画『Shall we ダンス?』を観てからはじめた趣味ですが、いまでも細々とやっています。

立木:うん、この写真をみると、大将はすっかり役所広司になりきっているね。

シマジ:恭兵君の趣味はなんなの。

恭兵:ぼくの趣味はサーフィンです。いまでも現役のサーファーなんです。

立木:社交ダンスとサーフィンか、親子揃って遊び人風のところがいいね。

シマジ:だから「天兵」は土日休業なんですね。

井上:いやいや、予約があれば土曜日は営業しますよ。

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新刊情報

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