第11回 ゲスト文藝春秋 文春文庫編集部統括次長 菊地光一郎氏 第1章 事実は小説より奇なり。

<店主前曰>

文藝春秋の編集者、キクチ・コウイチロウを資生堂本社の応接室で、いまかいまかと待っていたマスターがついに携帯電話を取り出した。
「キクチ、どうした、遅いじゃないか」
「ええ、対談は明日ではなかったですか」
「今日だよ。すでに立木先生をはじめSHISEIDO MENのPR担当の高橋朋子さんがお待ちかねだ。おまえ、いまどこにいるんだ」
「ぼくはいま横浜で打ち合わせ中です。参りましたね。今日でしたか・・・」
 すでに撮影機材を運び込み撮影の準備を万端整えていたタッチャンがいった。
「シマジ、今日はナシなんだな。」
「ごめんなさい。完全にキクチが勘違いしていたようです」
「じゃあ、来週の同じ金曜日はどうか、キクチに訊いてくれ」
「キクチ、来週の金曜日午後2時はどうだ」
「はい、空いております。ごめんなさい。必ず伺います。お許しください」
「わかった。今日は引き上げよう」とタッチャンは一言の文句もいわず、風のごとく2人のアシスタントと一緒に引き上げて行った。
「高橋さん、ごめんなさい。来週金曜日2時にまたお願いします。キクチとわたしの連絡ミスで今日は中止になってしまいました」
「わかりました。出直しますわ」と彼女も颯爽と部屋を出て行った。
 残されたマスターは茫然とスマイソンのナイルブルーの手帳を出して、改めて翌週の金曜日の2:00pmにスケジュールを書き込んだ。
 昨日どうしてキクチにリコンファームしなかったんだろう。悔やまれて仕方がない。
 そして1週間後の金曜日、キクチが90度に腰を曲げて立木先生と高橋さんに謝った。
「シマジが悪いんだ。おまえ、秘書を雇え」
「ごめんなさい。わたしが悪かったのです」とマスターも90度腰を曲げて謝った。
「中野香織さんのときもたしかそうだったんじゃなかったか」
「そうでした。あのときはたまたまタッチャンが事務所にいてくれて、光より速く飛んできてくれたんですよね」
「おまえには有能なバトラーか美人の秘書はがいないのか」
「おれの可愛い秘書はこのスマイソンの手帳ですよ。ここに書いたスケジュールをこちらの大きなシステム手帳のアシュフォードに移し換えています。アシュフォードはいわば部長です。これが秘書でこれが部長でおれが社長です」
「そんなバカなことを聞いている暇はない。さあ、仕事をはじめるぞ」とわれらがタッチャンはカメラを構えて仁王立ちになった。

シマジ じゃあまずキクチの肌診断をしようか。

高橋 キクチさんの判定結果が出ました。Eでした。

キクチ Eでしたか。これは当然の報いでしょう。約束の日をまちがえたぼくにCなんて出たら、シマジサミットの面々に袋だたきにされますよ。Eでよかった。じっさいホッとしました。

立木 キクチ、おまえ、そんなに卑屈にならなくてもいいんだよ。

シマジ おれの編集担当者はほとんどEなんだ。

高橋 シマジサミットって何ですか。よろしければわたしもその会に入りたいです。

シマジ シマジサミットというのは、おれの担当編集者の集まりなんです。年に3,4回盛大な宴を開いている。なぜか男の編集者ばかりなんだ。だから高橋さんは伊勢丹のサロン・ド・シマジにいつものように気軽に飲みにきてください。

高橋 そうですか、残念ですね。

キクチ シマジさんの肌の判定はどうなんですか。

シマジ おれはずっとDだよ。

キクチ そうですか。ぼくがみたところシマジさんはAって感じですよね。だって肌の表面がピカピカでツヤツヤしてしっとりしているじゃないですか。

シマジ 人間は健康だけじゃダメなんだ。健康そうにみえるのが重要なんだ。三島由紀夫がそういってるじゃないか。DでもAのようにみえるのが肝心なんだよ。

立木 シマジはどう頑張ったってDだよ。自分の歳を考えてみろよ。

シマジ 立木先生、ごもっともです。

高橋 シマジさんはおいくつなんですか。

シマジ ことしの4月7日で72歳になります。

高橋 えっ、そんなふうにはみえません。わたしは何度も伊勢丹のサロン・ド・シマジに通って、シマジさんがシェーカーを振っているのを拝見していますが、見た目がとても若々しいです。

シマジ それはカラ元気でしょう。この肌のツヤはSHISEIDO MENのたまものです。ところでキクチ、文藝春秋社に入るのは大変だったろう。

キクチ ぼくのときは学科試験がなくて、面接だけでしたので入社できたのでしょう。

シマジ 新人のときはどこへ配属されたんだ。

キクチ 「NUMBER」でした。うちの会社は活字雑誌が主体の古い出版社ですから、あのてのビジュアル雑誌のノウハウがまったくなくて大変でした。

シマジ そうだろうな。そのころ日本にはスポーツ専門カメラマンもいなかっただろうし、スポーツライターだって育っていなかっただろうからね。

キクチ 当時はアメリカの「スポーツイラストレイテッド」誌と提携していました。

シマジ そうか。だからあそこで連載していた伊集院静さんのゴルフ小説を文庫にしたのか。解説をおれに書かせてくれてありがとう。
あの『あなたに似たゴルファーたち』は、ちゃんと伊勢丹のサロン・ド・シマジで売っているんだよ。

キクチ ありがとうございます。伊集院先生もさぞお喜びのことでしょう。

シマジ 先日伊集院さんは「マグナカルタ」の2号用に対談をしてくれた。ますますオーラがあって、いい男になっていたね。自信に満ちていた。ようやく物書きで喰えるようになったとしみじみいっていたよ。

キクチ お陰さまで『あなたに似たゴルファーたち』は3刷になりました。

シマジ そう、それはよかったね。

キクチ いま出版社はどこも出版不況で大変です。うちは阿川佐和子さんの『聞く力』が100万部突破して、一息ついているところです。

シマジ 100万部か、凄いね。10億円以上は軽く儲かったね。

キクチ シマジさんはうちの先輩の編集者たちと親しいですよね。

シマジ そうだね。若いとき田中健五さんとはよく2人で飲んだ。後年、社長になったよね。またずっとあとで社長になった白石勝さんとは学生のときから親しかった。白石さんとおれの女房の兄貴が早稲田の英文科の同級生で親友だったんだよ。運命というのは面白いもので、後年、開高健さんのお通夜のとき受付をしていたおれのところに現れて、開高さんの追悼文を3日後までに書いてくれと依頼してきたのは、なんと当時文藝春秋本誌の編集長だった白石さんだった。その日おれは深夜の2時ごろ帰宅して、一気に400字30枚ほど書き上げて、翌朝白石編集長のところに持って行ったんだ。

キクチ 『水の上を歩く』に掲載されているその追悼文を読みましたが、あれは熱い名文です。

シマジ あれは開高さんに対する思いの丈を書いたまでだよ。

キクチ シマジさんと堤堯さんの友情も有名ですよね。

シマジ 堯ちゃんはおれのいちばん尊敬する編集者であり、いまでは優れた物書きだ。いっていみれば精神的兄貴分だよ。

キクチ 堤さんはシマジさんが責任編集している「マグナカルタ」の創刊にあたり、二・二六事件の新しい真実を書き下ろしていますが、あれは衝撃的な内容でしたね。墓場まで持って行くような内容をシマジさんはよく口説いて書かせましたね。

シマジ じっさいあれは大変だった。一晩かかって口説きに口説いたんだ。最後に堯ちゃんが「わかった。またシマジに騙されるか。ガッハハハ」といつもの豪傑笑いで引き受けてくれたんだ。あれが「マグナカルタ」創刊号の最大に売り物なんだよ

キクチ わかります、わかります。編集者の間では有名な”青木功事件”だって凄いハナシですよね。よくあんなライオンみたいな怖い堤さんを騙したものですね。

シマジ おれは大好きだとなぜかイタズラをしたくなる悪い性格の持ち主なんだ。いまでも堯ちゃんはあの事件を思い出して涙を流さんばかりに笑ってくれるんだ。その大きな器量をおれは見透かしていたから、同姓同名の偽のアオキイサオをゴルフ場に連れて行ったんだよ。この事件のことを本物のアオちゃんにいったら、「それは可哀想だ。プロアマに招待するから一緒にこいよ」いうことになって、一件落着したんだがね。

キクチ 凄いハナシですよね。

立木 シマジ、そんなにハナシをはしょるんじゃない。おれが青木プロと堤さんの記念撮影までしたことをここで告白しなさい。

シマジ そうだったんだ。プロアマの出場はそのあと1年後なんだが、その前にアオちゃんが「堤編集長が可哀想だ。おれが取材関係者と福田屋でフグを食べるから、そのときシマちゃんが堤さんを誘ってくれば」ということになった。そこでタッチャンに罪滅ぼしにアオちゃんと堯ちゃんのツーショットを撮ってもらったんだ。

キクチ ハナシのスケールがデッカクなってきますね・・・。そのころ堤さんはどちらの編集長だったんですか。

シマジ それは天下の「文藝春秋」の本誌だよ。しかも堤編集長は売り上げをガンガン伸ばしていたころだった。いまでもそうだが、おれをホントにそのころから可愛がってくれた。申し訳なくなったおれはタッチャンにツーショットをお願いして、額に入れて尭ちゃんに贈呈したんだよ。その前に「週刊プレイボーイ」のアルバイトの学生たちに写真をみせておれは訊いたんだ。「この二人をよくみてくれ。どっちが東大法学部卒でどちらが中卒にみえるか」そしたら学生たちがアオちゃんの顔をみて「こちらが東大出でしょう」。尭ちゃんの顔をみて「このかたが中卒でしょう」というではないか。なぜなら堯ちゃんの顔はうれしさのあまりクチャクチャになって映っていていつもの迫力がなかったんだ。

キクチ 泣けるハナシですね。

立木 キクチ、泣けるのはおれほうだよ。

高橋 まるでオー・ヘンリーの短編小説みたいなお話ですね。

シマジ 事実は小説より奇なり、なんだ。キクチ、そろそろSHISEIDO MENの本当の使い方を教えようか。

キクチ お願いします。

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