OTONA BIBLE

「0からのスタートだから、行けるところまで行きたい」

[SON OF THE CHEESE ブランドディレクター]

山本 海人

vol.2

2017.07.14

トレーラーハウスでの生活しながら、自身がディレクターを務めるアパレル・ブランド「SON OF THE CHEESE(サノバチーズ)」を立ち上げ、2015年にはサンドイッチ屋「BUY ME STAND(バイミースタンド)」を代官山にオープンさせるなど、マルチな分野で活躍するクリエイター、山本海人。「全部ゼロからのスタートだった」と語る彼が貫いてきた“哲学”とは。そして、自らのアイディアを実現させる秘訣とは。その破天荒でユニークなキャリアを振り返りながら、現在の彼が思うところを率直に語ってもらった。

CHAPTER 1

0を1にした選択

サノバチーズが
生まれた場所

始まりはトレーラーハウス

_東京・代官山の外れにある雑居ビルの一画。「SON OF THE LOUNGE(サノバラウンジ)」と呼ばれるこの場所は、「仲間たちが集まれるような場所を作りたい」という山本の思いが実現した“隠れ家”あるいは“秘密基地”のような場所である。その奥には「サノバチーズ」の洋服が並べられ、日中はショップとしても営業しているこの場所。そもそも、山本が注目を集めるようになったのも、とある“場所”――トレーラーハウスでの生活が、きっかけだった。

「トレーラーハウスを買ったのは、単純に当時お金がなかったからなんです(笑)。トレーラーハウスって家じゃなくて車だから、ローンが効くんですよ。土地だけ借りて、そこにトレーラーハウスを止めて住んだほうが、アパートを借りるよりも安上がりだった。場所は目黒だったんですけど、敷地は広かったので、そこに趣味のスケボー用プールとかも作って『サノバチーズ』って名前をつけたのが、そもそもの始まりだったと思います。『サノバチーズ』は、直訳すると『チーズの息子』という意味なんですが、隠語でお金のことを指します。チーズも好きだし、お金も嫌いじゃないから、いいなって思って(笑)。それから『サノバチーズ』という共通の名前でTシャツを作るようになりました。」

サノバチーズに起きた変化

_最初は自分が住むために買ったトレーラーハウス、だが日本では珍しいスケートボード専用のプールがあったことから、次第にスケートボード仲間が集まってくるようになる。バイト生活を送るなど、金銭的には厳しかったけれど、遊びの面では充実していた20代の半ば頃。そんな生活を1年ほど送ったあと、「サノバチーズ」に、ある転機が訪れる。

「ある時、スケボー用に作ったプールに水を入れたらスケーターじゃない人も遊びに来るようになりました。その頃、近くの結婚式にたまたま知り合いが来ていて、彼が僕の家を友達に見せたいと大勢トレーラーハウスに連れてきたんです。そしたらみんな面白がってくれて。ハウススタジオみたいな感じで、雑誌や広告など、いろんな撮影のロケ地として使われるようになりました。それに連れて、アパレルのほうも注目を浴びるようになり、徐々に収入が安定するようになっていったんです」

楽しい時間は終わり、次の場所へ

_山本は、トレーラーハウスを利用して、紹介制パーティーをスタートするも、徐々に周囲が開発され、自由がなくなっていく。

「ひとり4000円で、食べ飲み放題で、時間も無制限っていう、ほとんど儲けのない形だったんですが、当時は昼間の撮影料も入っていたので、それでやっていけました。最初の2年ぐらいは、家のまわりが全部空き地だったので、夜中ずっと飲んだり、音をガンガン鳴らしていても、誰も何も言わない状態でした。だけど、だんだんとまわりに戸建ての住宅が建ち、そういう自由がなくなっていったんです。スケボーもできなくなり、最後はバーベキューも禁止になって、ハウススタジオとしての使い道しかなくなった。でもその頃には、アパレルのほうで、割とまとまったお金が入ってくるようになっていたので、トレーラーハウスは、そろそろいいかなって思いました。それから、自分たちの新しい場所を作るために、思い切って代官山の物件を借りるんです」

CHAPTER 2

もう一つの顔
「BUY ME STAND」

サノバチーズの洋服も並ぶ
サンドイッチ屋

思い出したのは、アメリカの味

_日本では珍しい両面焼きのサンドイッチ屋「バイミースタンド」のオーナーとしても知られる山本。しかし、サンドイッチ屋を始めたのは、山本にとっても予定外のことだったという。

「代官山の物件を借りたのは、そこでドーナツ屋をやろうと思ったからでした。僕は18歳から23歳までアメリカにいたんですが、その頃に見つけたドーナツ屋を日本に持ってこようと思いました。それで、先方のマネージャーと話しながら、フランチャイズの契約の準備も進めていたのですが、最終的に本国からNGが出てしまいました。店が狭すぎるって。あと、本国で使っている添加物が、日本では使えないことが発覚したんです。どうしようかなっていうときに思い出したのが、アメリカにいる頃、好きでよく食べていたサンドイッチのことでした」

いつかの夢だったサンドイッチ屋

「サンドイッチ屋は、いつかやろうと思っていました。アメリカに行って初めて食べたグリルドチーズのサンドイッチが、すごい美味しくて。両面にバターを塗ってこんがり焼くサンドイッチで、向こうではホットドッグと同じくらいポピュラーな食べ物なんですけど、なぜか日本では扱っている店がないんですよ。だったら、自分でやればいいと思いました。ただ、それを日本でやるには、チーズとバターの値段が高くて、ほとんど儲けがないんですよ。なので、向こうでレシピも聞いていたんですけど、それは自分が店に立ってサンドイッチを焼きながら、あくまでも老後の趣味としてやろうと思っていたんです。でも、ドーナツ屋がそういう状況になってしまったので、儲けにはならないけど、僕のまわりにいる仲間たちの働き口にはなるだろうと。それで「バイミースタンド」を始めたんです。それが2015年ですね」

CHAPTER 3

ひとつひとつを
実現していく

いろんな人との出会いが
アイディアを形にする

積み重ねた経験とアイディア

_ここで改めて、山本のプロフィールをもう一度振り返っておくことにしよう。高校卒業後、アメリカに渡った彼は、当初英語を学ぶための学校に通っていたが、ほどなくドロップアウト。そのままアメリカに残り、寿司屋のアルバイトなどをしながら、ギリギリの生活を約5年間ほど送っていたという。しかし、911のテロを受けて、やむなく帰国することになる。

「日本に帰ってきた当時は大変でした。向こうで心と身体のバランスを崩してしまって、帰国してからも普通に働くことができなかったんです。それで、誰にも会わずに働ける、ドーナツ屋の深夜勤務のバイトを始めて毎晩2000個のドーナツを揚げてました。だんだん普通に生活ができるようになって、そのあと知り合いの企画会社で働くようになりましたが、今に繋がるようなことは、全部そこで教わったような気がします。そこは、一定のノルマをクリアすれば、何をやってもいい会社だったんです。イベントをやってもOKだし、洋服作ってもOKだし、焼き鳥屋をプロディースしてもOKっていう。そういう企画をいくつも立て、半ば強制的にプレゼン能力が高くなる会社だったんです。そこで3年勤めたあと、知り合い人の紹介で、芸能事務所で働くようになりました。トレーラーハウスに住みだしたのは、そのあとの話なんです」

ひとりで完結する仕事はない

「そもそも、トレーラーハウスのアイディアも、実は企画会社にいた頃から考えていました。やっぱり大事なのは、言ったら必ずやるってことだと思います。基本のスタンスが、それなんですよ。何かをやると言ったら、それをちゃんと実行する。それを実現するために、ちゃんと努力する。そうすると、まわりの人が絶対助けてくれます。いろんな人との出会いが重なって、そのアイディアが実現する。僕がこれまでやってきたことは、全部そういう感じなんです。ひとりで完結する仕事なんてないじゃないですか。アパレルもサンドイッチ屋も、それを買ったり食べてくれる人がいるから成り立つわけで。100%ひとりで完結する仕事って絶対ないと思うんです」

多様な面で勝負をする

「両親が原宿でずっとアパレルをやっていたこともあって、どこかの会社に入って働こうっていう発想が、もとからあまりないんです。うちは親も兄弟もみんな自営業だから。自分もいつか、何かやらないとなっていうのは思ってましたが、自分はアーティストではないから、一個のことをずっとやり続けるみたいな感覚が、あまりないんです。そうじゃなくて、いろんなことをやりながら、その面積で勝負するみたいな感じでしょうか。たとえば、アパレルだけだったら、他には勝てないかもしれない。でも、サンドイッチ屋とか他にやっていることを全部足すと勝てるみたいな。基本的に、そういう考え方なんです」

楽しく働ける場所を増やしたい

「今は、お金儲け的なことよりも、使命感的なところのほうが強いですかね。僕のまわりには、面白い人間がいっぱいいるのに、みんな働き口がなかったり、あるいは重労働しかなかったりっていう状況があります。だったら僕が、彼らが働ける場所を作ればいい。今はそっちのほうを向いていて、いろんな店をバンバン増やしていきたいんです。それで、スタッフを行き来させたいんです。たとえば、この7月に「バイミースタンド」の沖縄店がオープンするんですけど、東京の店で働いている子が沖縄に行きたかったら行かせるみたいな。で、沖縄の子が東京に来たかったらきてもらう。そうやってあちこちを移動する生活っていいじゃないですか。特に若いうちは。自分もそうだったんですけど、ひとつの場所にいると、だんだん飽きてしまうというか、やっぱり楽しいのがいちばんだと思っているので(笑)。だから、そういうお店を日本中、プラス海外を含めてやれたらいいなって今は思っています」

地方こそ最前線

「もともとゼロからスタートしているので、いつゼロになってもいいというか、行けるとこまで行くっていう感じですね(笑)。大企業ならいざ知らず、世の中の社長って、大体みんな一代で築き上げたものじゃないですか。洋服屋とか飲食店、あとは芸能事務所とか、全員一代なんですよ。だったら、自分がその人になれないわけがない(笑)。そんなふうに、割と楽観的に物事を考えています。ただし、2年やって芽が出なかったら、別のことをやったほうがいいとは思います。「いつか誰かが認めてくれる」みたいな考えは、基本的にないというか、それはもう自分が受け身になっているということだから。だったら、そのスキルを他の何かと合わせて、別のことを始めたほうがいいと思います」

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