松山さんといえば、70年代後半に男性誌でアンティーク腕時計を紹介し、当時のブームを生み出した人物。そして今なお、時計愛好家の第一人者として、多くのメディアで活躍している。そんな松山さんが、時計の魅力に目覚めたきっかけとは……?
「僕が時計好きになったのは、親の影響があると思いますね。その時代は、腕時計ではなく懐中時計だったのですが、子どもの頃から、父親が時計を大切にしているのを見ていました。家の柱時計のネジを巻くのも、父の役目で。父がネジを巻くことによって、家族みんなが時を知り、それに沿って生活していた。父が時間の管理者のようでした。だから、大人になったら、きっと自分もそうなるだろうと思っていたんです。
でも学生時代は、時間を気にするなんて、縛られるようでカッコ悪いと思っていて……。最初の腕時計を買ったのは、1972年、25歳のとき。
アメリカののみの市で出会った、デッドストックの時計に惹かれたんです。ハンフリー・ボガートが出演するアメリカ映画に出てくるような、1940~50年代のものでした。トノウ型と呼ばれる、俵のような形をした時計で、“古き良き時代”を感じさせてくれるデザインだった。その頃、そろそろ社会ときちんとつき合わなきゃと思っていたし、こんな腕時計ならしてもいいかなと思ったんです。
当時は、1969年にセイコーがクオーツを発表した後だったので、みんなの興味がそちらに向いていました。昔ながらの機械式時計は、このまま消えていくのではと思われていたほど。僕は、そういう新しいものには興味を持てなかったけれど、時代を感じさせてくれる機械式時計には、ロマンを感じたんです」。
その後、「ひとつ目の腕時計が壊れたときのために」と好みの腕時計を探すうち、すっかり機械式時計の世界にはまっていったという、松山さん。
「機械式時計は、クオーツのように、どんどん改良されて古いパーツがなくなり、修理できなくなってしまうということがありません。修理を繰り返しながら、100年以上も使い続けることができる。そこに、モノとしての永遠性を感じます。どこか生き物めいていて、温かみがあるんです。
今は、カレンダーや月の満ち欠けを表示したり、チャイムで時間を教えてくれたり、さまざまな機械式時計がありますが、それを実現するために、何百年という年月と無数のアイディアが生み出され、費やされてきた。そういう歴史もまた、機械式時計に惹き付けられる要素です。車も飛行機も、歯車がなければ成立しないわけですが、その歯車を最初に使ったのは、星の動きや時を計る機械でした。夜空の星を眺めて物事を考えていた時代から、今の時代までのメカニックの知識と技術が、機械式時計に集約されているんです」。
現在、松山さんのコレクションは、腕時計・懐中時計を合わせて、約100個という。時計を選ぶときの基準などはあるのだろうか? そして、お気に入りの腕時計を持つ意義とは?
「コレクションには、腕のいい職人が大勢いた1940~1950年代のスイス製腕時計が多いですね。デザイン的には、クラシックなものが好きです。クラシックな時計は、何年使っていても、飽きない。どの時代でも評価されるものを探し出すのが、時計を選ぶ審美眼だと思っています。僕は、歴史を調べるのも好きなので、この時代にこんな名職人がいて、その流れをくんだ時計がこれで……なんて形で、時計を探すことも。あとは、自分の感覚に合うかどうか。不細工だけどいいなと思う時計があれば、その逆もある。そう考えると、人との相性と同じですね。
時間って、相対的なものなんです。縛られていると思えば捕われてしまうけれど、管理すると考えれば、そうすることができる。自分のお気に入りの時計を持つか否かでは、人生のクオリティーが違ってくると思いますね。今この年になって、若い頃には手が届かなかった時計を手にすることができるのも、楽しいですよ」。
撮影協力:海岸通り酒場 でざんじゅ(神奈川県横浜市中区海岸通3-12-1)http://www.desanges.co.jp/cafe/index.html