流通業界で3年ほど会社勤めをしていた堀内さん。もともと「自分ならこう考える」という思いが強く、会社で求められることと自分のやりたいことのギャップが広がって悶々としていたと言います。
「子どものころは自分の意見があっても多数決に流されてきたというか、主張しないでいました。でも学生時代のアルバイト先で、自分を、言葉や作品できちんと表現している人たちに出会ったんです。彼らからさまざまなことを教えてもらい、僕にも何かできるだろうかと考えるようになりました。僕は絵が描けるわけでもないし、何か作品を作れるわけでもないけど、みんなが集まる場所ならできるかもしれない。それでカフェという『場』を作ることを思いついたのです」
とはいえ、堀内さんがカフェを始めたのはバブル崩壊後の1994年。喫茶店が次々と店じまいをしていった時代で、飲食店経営のノウハウもなく、オープン当初は赤字続き、いつ閉店してもおかしくない状況だったそう。
「お店がひまなので、どうしたらお客さんに喜んでもらえるかを自分なりにずっと考えていました。コーヒー好きのお客さんから『ここのコーヒーがおいしい』と教えてもらって実際に足を運んだり、喫茶店好きな方から昔の喫茶店では小冊子を発刊していたという話を聞いて、フリーペーパーを作ったり。お金がないから、フリーペーパーのデザインや原稿を書いてくださった方への謝礼はコーヒーでしたけど(笑)、いいなと思うことはどんどん取り入れていきました。最初の頃は、そうやってお客さんといっしょに居心地のいい場づくりをしていきました」
90年代後半からは、ブラジル音楽のレコードを手にしたことから、堀内さんに「ブラジル期」が訪れる。ブラジル音楽やブラジルの文化にどっぷりはまり、CDのプロデュースなどカフェ以外の仕事にも携わるように。その後2009年以降は、「コーヒー期」へ。お店の中でのコーヒーの占めるウエイトが大きくなっていったという。
「自分でコーヒー豆を焙煎するようになってからは、コーヒーへの思い入れがより強くなりました。最初はコーヒーが思ったような味にならず悩む日々でしたが、試行錯誤を続けて3年くらいでなんとか納得のいく焙煎ができるように。今は、お店でドリップするコーヒーはすべて自分でいれるようにしています。それによって、一杯ずつお客さんの好みに応じていれ方を変えることもできますし、お客さんにとってもコーヒーの楽しみ方も広がったと思います。それもあって、焙煎とお店に立つ以外の仕事をセーブするようになりました。コーヒー屋のマスターがしっくりくるというか、焙煎からドリップ、提供まですべて自分でやると決めてからは、忙しいながら非常に充実しています」
オープンから21年。今では鎌倉の街を代表するカフェとして地元の人からも観光客からも親しまれている。堀内さんにとって表現の場であるカフェが完成形に近づいているように思えるが、常に迷いがあるのだとか。
「順風満帆とはほど遠く、いつも『これでいいのかな?』と迷っています。でも、好きなものに関してはとことんまで突き詰めてしまうタイプなので、『こうでなければいけない』と考えるより、迷いがあるくらいがちょうどいいのかもしれません。ただ、お店や僕に興味をもって足を運んでくださるすべての方に、全力でサービスしたいという気持ちだけは昔から変わらないし、そのための努力はしているつもりです。毎日コーヒーを飲みにきてくださる常連客にも、ガイドブックを持ってオムライスを食べにきてくれる小学生にとっても、お店で過ごす時間がいいものであれば、これほど嬉しいことはありません」