
<店主前曰>
先日の日曜日、カナユニのバーマン武居が、新宿伊勢丹メンズ館8階にある”サロン・ド・シマジ”にやってきた。まだわたしの働く時刻の1:00pmちょっと前だった。
「おう、武居、どうしたんだ。おれのシェーカーの振り方でもチェックしにきたのか」
「いやいや、しかし素敵な大人の雰囲気が漂うバーですね。驚きました」
「ここは葉巻も吸えるんだよ」
「デパートのなかで堂々と葉巻が吸え、酒も飲めるところは、世界中、どこを探してもここしかないでしょう」
「おっと、武居、悪い。ここではシガレットは禁煙なんだよ」
「これまたシマジさんらしいこだわりですね」
「シガレットは化学物質で加工された人工的タバコだが、シガーは純粋な農作物なんだ。パイプを吹かすのもOKなんだよ。パイプタバコも農作物だからね。まあ、それはそうと、とにかく1杯どうだ」
「それではマスター、スパイシー・ハイボールをいただきます」
「これはシェーカーを振らずに作れるから、武居の前で恥をかかなくてすむかな」
「美味しいですね。これはイケます。うちでもやっていいですか」
「いいとも。でも伊勢丹のサロン・ド・シマジで教わってきたと一言付け加えてくれよ」
「もちろんです。そろそろベリーニの季節がきましたね。うちの人気のベリーニだって、シマジさんがベニスのハリーズバーで感動して『武居、こんな感じに桃を搾ってプロセッコで割って作れ』といったのは30年以上前のことですね」
「いまじゃ、ハリーズバーより美味くなったとおれは思う。そのうち飲みに行くよ」
「お待ちしています。そろそろお客さまがいらっしゃるころでしょうから、わたしはこのへんで失礼します」
「武居、ありがとうね」
計良 どのようにして横田支配人の炎のような怒りを沈めたんですか。興味津々です。
シマジ 横田に怒鳴られはしたが、どうしてもおれはこの店に通いたかったんだ。その夜、たまたま男だけ4人で飲む約束があったんで、赤坂プリンスのバーで待ち合わせて、予約もなしに4人でカナユニに涼しい顔してやってきたんだ。驚いたのは横田のほうだ。3時間前まで凄い剣幕で怒られていたおれが、ニコニコしながら、しかもカナユニを友人たちに自慢しながら連れてきたんだからね。横田は目を丸くしながら、4人のお客を迎え入れた。横田はおれにまで頭を下げた。今度はおれは歴とした客だからね。仕方なくお辞儀したんだろう。
計良 シマジさん、それはまさに奇襲攻撃でしたね。
横田 父もそのときは参ったといっていました。オープンしたばかりでこれから常連さんを増やそうというときでしたから、ビックリしながらも、内心はうれしかったのでしょう。
シマジ もし横田が器量の狭い男だったら、その場で「あなたたちは出て行ってください」といっただろうね。それに横田が親身になって塚本さんをはじめ従業員を大切にしている。そのオーナーとしての心意気に、おれは怒鳴られながら、「この支配人はタダモノではないな」と、むしろこころのなかで彼に惚れていたんだよ。そのときおれは一切弁解はしなかった。裁判になったらおれが負けだったろう。ちょっと筆が滑ったんだが、事実無根だったんだからね。
計良 横田さんもそんな奇襲作戦に出てきたシマジさんをタダモノではないと思ったんではないですか。
シマジ それからカナユニには週に2,3回通ったかな。うれしいことに”筆禍事件”はいつしか不問に付されて風化していった。5,6年経ったある日のこと、二人でカウンターで飲んでいたとき、武居バーマンが「シマジさんと横田さんはどこでお知り合いになったんですか。それとも学生時代からのお友達ですか」と訊いたんで、おれが「いや、おれたちの友情は最初は大喧嘩からはじまったんだよ」というと、隣の横田が「そんなことがありましたっけ」と、とぼけるんだ。そこが横田宏の度量の広いところだ。誠はまだまだ親父からいっぱい学ぶことがあると思うよ。
横田 肝に銘じておきます。
立木 シマジ、そろそろ料理を撮らせてよ。今日はケツが詰まっているんだ。どうせまたシマジスペシャルが出てくるんだろう。でも誠はパパに似てイケメンだね。結婚していないだろう。
横田 はい。40歳までにはと、一応、考えてはいるんですが。
立木 モテモテで、選ぶのに苦労しているんじゃないのか。
横田 そんなことはまったくありません。わたしは毎日店に午後2時には入りまして、午前4時ごろ親父をクルマに乗せて茅ヶ崎の自宅に帰るのです。
シマジ 自分で運転しているのか。
横田 そうです。だからお酒は勧められても残念なことに飲めません。
シマジ 高嶋シェフは、今日は何を作ってくれるんだろう。
横田 いつもシマジさんが召し上がっているものにしようと、シェフはいっていました。
シマジ そうか。じゃあ椰子の芽のサラダから出てくるな。それからエスカルゴ。ガーリックトーストもつけてくるね。それからやっぱりカナユニ名物のオニオンスープだろうね。最後はおれの大好きなビーフピラフだね。
横田 そのように聞いております。お飲み物は。
シマジ タリスカーのスパイシー・ハイボールだろう。
武居 伊勢丹のサロン・ド・シマジで一杯飲んでから、カナユニでもお客さまに勧めております。病みつきになったお客さまが何人かいます。こんな風でいいんですか、どうぞ。
シマジ 武居に作ってもらうと一段と美味いじゃないか。ブラックペッパーをサロン・ド・シマジのこのプッシュミルに入れて挽くと、砕けた胡椒の粒の大きさがちがって風味が倍増するんだよ。
計良 ブラックペッパーがかかったハイボールははじめてですが、刺激的で美味しいですね。ぼくも今度サロン・ド・シマジに行きます。このプッシュミルも売っているんですか。
シマジ もちろん。プッシュミルからSHISEIDO MENの全商品までわたしの愛用しているグッズがセレクトショップのように並べられています。
立木 驚いたのはイタリア製のガロのアンダーパンツまで売っていることだ。
横田 高いんですか。
武居 誠、高い。1枚6,500円もしていたよ。
横田 えっ!パンツ1枚が6,500円もするんですか。
武居 わたしも一瞬買おうかなと思ったけど、やめました。
シマジ 誠、お前にはともかく、パパの誕生日に買ってやったらどうだ。世界最高のパンツだからね。
横田 それをシマジさんは毎日はいていらっしゃるのですか。
シマジ そうだよ。
横田 はき心地はどうなんですか。
シマジ まるではいていないって感じがいいね。それは酒にでもいえることだ。いい酒ほど限りなく水に近いし、葉巻もいいものは、限りなく森の新鮮な空気に近い。それと一緒だね。いいものほど存在感が薄れるんだろうね。
計良 シマジさんはパンツのことを話されても含蓄が深いですね。
シマジ 浪費した結果たどり着いた一里塚かな。まず計良さん、この椰子の芽のサラダから召し上がってください。
計良 パリパリしていて美味しいですね。
シマジ おれはこれを47年間も食べているんですよ。そのエスカルゴもそうです。ガーリックトーストを一緒に食べると、もっと美味く感じます。
計良 じつはぼくは、これからくるビーフピラフを愉しみにしているんです。ぼくはピラフが大好物なんです。
シマジ 今日は特別に誠にクレープシュゼットを目の前で作ってもらいましょう。これは計良さんへのささやかなお礼です。
計良 そんな贅沢をしていいんでしょうか。カナユニはこれから個人的に使わせていただいてもいいですか。
シマジ どうぞ、どうぞ。
立木 シマジ、まるでオーナーみたいな振る舞いはおやめなさい。誠に「どうぞ、どうぞ」といわせなさい。
シマジ そうだね。じゃあ、誠、いってくれないか。
横田 どうぞ、どうぞ。計良さま、お待ちしております。