
<店主前曰>
いま木下威征は23人の料理人を抱える歴とした料理長である。白金にある地下一階のキャーブ・ド・ギャマン エ ハナレ、2階のオーギャード・トキオ、1階のストラーダをはじめ、中目黒にあるブロッス、新宿伊勢丹のビストロカフェ レディース&ジェントルメンを経営している。料理人の世界は生存競争が厳しい。毎年料理専門学校に1万人の若者が入ってくるが、翌年には半分になりどんどん辞めていく。何とか自分の店を持ってもいつの間にかつぶれていく。父親が弁護士だというのに、木下は高校までは不良仲間のリーダーをやっていた。だからいまでも従業員の面倒見は人一倍いい。根が負けず嫌いなのだ。高校を卒業すると辻調理師専門学校に入学した。猛勉強の結果認められて、フランスの超有名三つ星レストランに推薦で入れた。しかしそれからの木下の人生は塗炭の苦しみがはじまったのである。
一方、本日資生堂から出席してくれた鎌田由美子は一介の美容師だったのだが、当時のファッション誌を見ていてヘアメークという仕事があるのを知り、一念発起して資生堂のヘアメーキャップアーティストになった。入社後はNYコレクションに参加、数々のヒット商品の開発にも携わってきた。いまでは和装から洋装まで、鎌田流「ドレスアップビューティー」を提唱するトップアーティストの一人だ。
2人とも努力の人である。驚いたことに木下には秘書がいて、鎌田にはマネージャーがついていた。わたしといえば、秘書はスマイソンの手帳のみである。アシュフォードのシステム手帳は部長である。そしてわたしが社長である。
シマジ まずタケちゃんの肌チェックからいきますか。
木下 ぼくはお恥ずかしい話、生まれてこのかた何もつけたことがありません。多分最悪の結果でしょう。
鎌田 あら、凄い!Bでした。
シマジ 測定器が狂っているんじゃないよね。
鎌田 お言葉ですが、資生堂の測定器は正確無比です。
シマジ タケちゃん、驚く結果が出たよ。Bでした。
木下 それはいいんですか、悪いんですか。
シマジ 判定はいい順に、ABCDEFと6段階に分かれている。いままで大概の男性はEだった。たまにDやCは出てもBははじめてだよ。今日からSHISEIDO MENを毎日丁寧につければAになる可能性だってある。Aを獲得すると資生堂の福原名誉会長と食事が出来る恩典があるんだよ。もちろんそのときはおれが同席するから怖がらなくてもいいんだ。
木下 すげえ、あの福原さんと食事が一緒に出来るんですか。それなら明日から頑張ります。いや今夜から寝る前に使おうかな。それにしてもずいぶん種類がありますね。これを全部つけるんですか。
シマジ もちろんだよ。いままで何もつけなかったタケちゃんの肌に、砂漠に水がまかれたように吸い込まれるはずだ。
木下 シマジさん、スミマセン、つける順に番号をふってくださいませんか。
立木 おれも、ありすぎというか、つけすぎだというかいつも思っているんだ。
シマジ タッチャン、商売の邪魔をしないでください。これでも足りないくらいだよ。おれなんかいま資生堂の研究所が新しく開発している商品を実験的につけているんだよ。
立木 そいつはいつ発売されるんだ。
シマジ それはまだ言えない。SHISEIDO MENの凄いのはいままでで合計22もアイテムがあることだ。
立木 シマジはその全部を持っているのか。
シマジ 当然ですよ。TPOに合わせて使っています。でもタケちゃんのBにはビックリだね。いままでの最高得点だ。タケちゃんは葉巻もやるよね。葉巻が肌に全然影響ないことを証明したようなものだ。
立木 それは、シマジ、我田引水というんだよ。
木下 葉巻はよく店にいらっしゃる北方謙三先生から教わりました。十代のときフランスの一流レストランで働いていると、食後男性のお客さまと女性のお客さまとが二手に別れて、別室で男性はシガーを吸われる。まだ若かったころ、ぼくも大人になって成功したら葉巻を愉しもうとジェントルメンたちを眺めて決心していました。その後帰国してから、よく店にいらっしゃる北方謙三先生に教わりました。
シマジ じゃあ、最初に吸った葉巻はモンテクリストだな。
木下 そうです。よくご存じですね。
シマジ いまでは謙ちゃんはパルタガスのセリエPのナンバー2をよく吸っているけど、むかしはモンテクリスト専門だったんだ。
立木 ところで料理は何を撮ればいいんだ。
シマジ タケちゃん、ここの一番人気のトウモロコシのムースの上に根室産のウニがかかったやつからはじめようか。
木下 はい、かしこまりました。
立木 シマジ、料理は木下シェフに任せたほうがいいんじゃないか。
シマジ 大丈夫、ここにはまだシマジスペシャルはないから。タケちゃん、今日は鎌田さんのためにこころを込めて作ってくれよ。
鎌田 ありがとうございます。そんなことになろうかと今日はランチを抜いてきました。
木下 承知いたしました。あっ、そうだ。うちの親父は開高健先生と釣り仲間だったんですよ。よくアラスカにサーモン釣りに行っていました。
立木 じゃあシマジは木下シェフのお父さんを知っているんじゃないの。
シマジ おれは魚釣りがからっきしダメなんだ。開高さんに道具は全部用意してあげるからフィッシングをやりなさい、といわれても気乗りがまったくしなかったんだ。
立木 そのときやっていれば木下シェフのお父さんと親しくなっていたかもしれないぞ。
シマジ まったくだ。人生って何が起こるかわからないもんね。お父さんは弁護士だったそうだね。
木下 はい、会計弁護士をやっていました。まあ法律ぎりぎりの節税の面倒をみていたんでしょう。ご注文の料理が完成しました。どうぞ召し上がってください。
シマジ 今日は鎌田さんが代表して召し上がってくださいね。
鎌田 ありがとうございます。うん!これは何なの、美味しすぎです。
木下 先程シマジさんがいっていました通り、トウモロコシのムースの上に生ウニをのせただけです。極めてシンプルな料理です。でもここにくるお客さまはまずこれから召し上がるんです。
シマジ タケちゃんは肌はBだし料理も美味い。
木下 ありがとうございます。すべて口の肥えたお客さまに教えていただいております。
立木 そのいいかた、謙虚でいいね。お父上の教育のたまものだね。
木下 ぼくは若いとき日本一の親不孝者でした。悪ガキで少年院にも厄介になりました。
シマジ だからギャマンと名付けたんだね。「ギャマン」はフランス語で「いたずら小僧」って意味だよね。
木下 そうです。いたずら小僧とか悪ガキということです。
立木 悪ガキが改心して何かになろうと情熱を傾けると大概一廉の大人になる。木下シェフがいい例だ。
シマジ お父さんもタケちゃんの料理を食べて目を細めただろうね。
木下 それがうちの親父は、お前が一人前に店を持ったら食べてやる、と頑固に拒絶していました。
立木 それはむかしの父親の愛情じゃないか。
木下 そうこうするうちに親父は脳梗塞で倒れました。
シマジ 軽かったの。
木下 大変重かったです。10年寝込んで死にました。でも母親が介護の資格を取って10年間うちで面倒みたんです。凄い夫婦愛だと思ったのは、父親がかすかに動く右の中指だけで、まるでモールス信号みたいに母親に送るんです。水が飲みたいとか、排泄をしたいとか。その信号は母親しかわかりませんでした。
立木 うん、泣かせる話だね。シマジ、そろそろネスプレッソ・ブレーク・タイムにしないか。
シマジ この連載はSHESEIDO MENのTreatment & Grooming At Shimaji Salonの取材だよ。
立木 あっ、そうか。セオは絶対にこないよな。
シマジ 名セリフ「セオはまだか」は、今日は通用しませんよ。
立木 とにかく一息入れようよ。