第4回 白金台キャーブ・ド・ギャマン エ ハナレ オーナーシェフ木下威征氏 第2章木刀の一撃で人生の航路が変わった。

<店主前曰>

今日も日本の無名の若者たちは、料理人やヘア&メーキャップアーティストの世界で各国の同じ若者を相手に、しのぎを削っている。料理人、木下威征と、資生堂ビューティートップスペシャリストの鎌田由美子は、若いときの並々ならぬ苦労と才能が認められて、いま各々の業界で頂点を極めている。だが2人はまだまだ進歩しようと努力しているのだ。

シマジ 木下シェフが十代で親不孝の限りをやったのち、一念発起して料理の道に邁進していく姿は、何度聞いても感動的な話だね。

木下 死んだ親父がわたしによくいっていた言葉があるんです。
「タケ、調子に乗るなよ」この言葉はいまでもときどき思い出しては噛みしめています。

立木 シマジ、この亡き父上のお言葉は、お前にもっとも必要な言葉じゃないか。

シマジ その通りだね。「シマジ、調子に乗るなよ」とこころの奥に大切に仕舞っておきます。

木下 わたしは小学校のころまでは勉強も出来、スポーツも万能でした。

シマジ 文武両道に秀でていたんだね。そのまま順風満帆にはいかないのが人生だよね。

立木 よくいわれるじゃない。子供のときは神童といわれたが、いまじゃまったくのただの人って。

鎌田 男の子の世界って女性にはわからないところが多いですね。

シマジ 男の子には洟垂れ小僧のときから、男気って必要なんだよ。もっとも、タケちゃんの不幸はケンカがめっぽう強かったことだろうね。

木下 そうかもしれません。気がついたら歴とした不良仲間のリーダーになっていましたからね。高校生になったころには、暴力団の組長に可愛がられて、事務所に行くと必ず5万円くれました。あるときなど、高校に一斉検挙で警察がなだれ込んできたことがありました。そのころヤクザ者の端くれになったにはなったんですが、いわゆる足を洗うのがこれまた難しい。やめるのには勇気が必要なのです。組織から抜け出したいと思ったわたしが、組織の者が大勢集まっているスーパーマーケットの前に呼び出され、大立ち回りをやってボコボコに木刀で殴られていたら、映画のシーンのような奇跡が起こったのです。わたしの親父は180センチの長身で100キロは優にある巨漢でした。よく日焼けしていて白髪だったんです。親父がその場にのっしのっしと現れると、まるで十戒の映画のように人垣が真っ二つに割られたように分かれた。多分オフクロが碁会所にいる親父に通報したんでしょう。親父は若者から木刀を奪い取ると、息子のわたしの頭を血が吹き出すくらいに思い切り殴り、「これで勘弁してやってくれ」とドスの利いた声でいったんです。これで不良の道から卒業出来ました。

鎌田 偉いお父さまですね。警察に助けを求めることなく、現場で、先程シマジさんから聞いた“男気”を発揮なさったんですか。

立木 まるで感動の青春映画の一コマだね。

木下 さあこれからどうして生きようか。そのとき親父に料理人になりたい、といったんです。そうしたら授業料は自分で稼げ、といわれて、親父の会計弁護士事務所で1日1万円で働かせてもらうことになった。

シマジ ヤクザの事務所は1日5万円で弁護士事務所は1日1万円か。

立木 それは裏街道と表街道のちがいだろう。

シマジ またどうして料理人になりたいと思ったの。

木下 まず大学は到底無理。就職だってどこも雇ってくれるところもない。高校生のころから仲間と麻雀やって、腹が減るとよくわたしがその家の冷蔵庫にあるもので、チャーハンを作ったりしていて、それが大好評だったのです。

シマジ リーゼントの不良のタケちゃんの作ったチャーハンか。美味そうだね。

木下 ともかく1年間親父の事務所で働いてお金を貯めて辻調理師専門学校に入学したんです。

シマジ どうしてまた辻調理師専門学校を選んだの。

木下 一枚の辻調理師専門学校の宣伝ポスターに惹かれたんです。フランスの古い城の前で料理人になろうとする若者たちが、いかにも幸せそうに微笑んでいる写真だったのです。頑張ればフランスにだって行けるじゃん、と単純に思ったのです。わたしの世代は第2次ベビーブームで子供の数が半端じゃない。人数が多いから競争も自然と激しくなる。わたしは年齢もみんなより上でしたから、とにかく朝一で教室に入り、一番前の席に座っていましたね。わたしの人生であんなに勉強したことは後にも先にもありませんでした。

立木 それは自分で稼いだお金で授業を受けているからだろうね。親の脛を囓っていちゃそうはいかないだろう。必死さがちがうんだろう。

木下 そうかもしれません。まず学校でも成績をあげてフランス留学組に入りたい、何とか数々の試験にパスしてフランスの城に住み込める資格を取りました。そこでも激しい競争があって、試験をしてどんどん落とす。結果上位3番目までの成績の人だけが超一流の三ツ星レストランで見習いとして働くことが出来るんです。幸運にもわたしはその機会を勝ち取ることが出来た。

鎌田 凄いですね。お母さまもお父さまもお喜びになられたでしょう。

木下 ええ、お陰さまで。でもなんとかここまできたんですが、そこからがプロの道としての試練が待っていました。超一流レストランに仮配属されたんですが、所詮はお客さん扱いでしたね。肝心の料理は教えてもらえず、皿洗いとか雑用が多いんです。だからちょっと失敗してもあまり怒られない。一方給料をもらっている料理人見習いは失敗するとボコボコに殴られる。それをみて学校からの見習い期間が終わったら、もう一度ここで正式に見習いとして雇ってもらおうと決心したんです。

シマジ そのファイティング・スピリットこそいまの木下シェフが存在する原動力だね。

木下 勝手口に何日も何日も立ち続けました。はじめは問題にされず梨のつぶてでした。こうなったら根比べですから、徹底抗戦の構えに入りました。三ツ星レストランは皿洗いに正式に入るのだって難しい。でもある日厨房から顔見知りの中堅のシェフが出てきて「わかった。もういい。お前、なかに入って手伝ってくれ。」と、帽子とコートを渡されたんです。そのときの感激はいまでも忘れません。同じ年頃の見習いと1,000人分のキャビアをあしらったアミューズを作る手伝いをさせられた。その若者とわたしを合わせて1人前だったのでしょう。働いてみると研修時代と厳しさがまったくちがいました。

シマジ いよいよプロとして第1歩を踏み出したわけだ。

木下 わたしの場合、観光ビザで日本とフランスを行ったりきたりという生活を約3年間していましたが、フランスでは観光ビザで働くのが厳しくなり、しばらくイタリアで働いていたこともありました。

立木 フランス料理とイタリア料理を両方出来てよかったじゃない。

木下 そうですね。だからここ(2階)はフランス料理で地下1階では和食とイタリアンをやっています。1階ではランチでイタリアンをお出ししています。

シマジ 料理のコツって一つの料理の道を究めると、相通じるものは一緒ではないだろうか。

木下 わたしは若いときは中華料理の門を叩き、皿洗いをするから中華料理を教えてくださいといって習ったものです。

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鎌田 ここの器が凝っていますね。

木下 陶芸家のお客さまがすべて持ってきてくれるんです。

立木 これぞ「アカの他人の七光り」じゃないの。

シマジ まったくそうだね。

立木 これから出る料理は何ですか。

木下 真鯛のカルパッチョです。どうぞ。

鎌田 美味しい!鮮度がちがいますね。

木下 ありがとうございます。

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資生堂ビューティトップスペシャリスト 

鎌田 由美子

洋装から和装に至るまで、ラグジュアリーなセンスで多くのモデルや女優のヘア&メーキャップを手がける。教育活動や美容研究にもその技術力をおしみなく発揮している。

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キャーヴ ドゥ ギャマン エ ハナレ
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