
<店主前曰>
マツモトとわたしは親子ほど歳が離れている。それでもわたしはマツモトに多く教わることがある。例えば「一関の近くで天然のウナギを食わせるところはあるのか」と訊くと、マツモトは軽いアクビをしながら答えた。「北上川の下流のほうの宮城県登米市に東海亭という天然のウナギを食べさせる店があります。明日の昼間、ドライブがてら案内しましょうか」「ぜひそうしてくれ」そしてわたしは翌日、何十年ぶりかで天然のウナギを賞味した。天然のウナギと養殖のウナギのちがいは、天然のほうが皮まで柔らかく抜群に美味い。しかも脂ののりかたがまったくちがう。北上川のなかでのびのび育ったウナギと養殖の生け簀で餌を与えられながら育ったウナギとは格がちがう。それはまるで一関育ちと東京育ちくらいのちがいがある。一関育ちはのんびりとしていてせこくない。あたたかい人間味に溢れている。一方東京育ちはどうもギスギスしてこまっしゃくれている。その証拠に私たち一行を一関駅まで迎えにきてくれたのは、自らマイクロバスを運転してきたベリーノホテル一関の社長斉藤賢であった。いまだ一関には本物のおもてなしのこころがある。だからわたしは一関が大好きである。
シマジ まず最初に「地水庵」という日本一の蕎麦屋に行きますか。
スタッフ一同 うれしい!
シマジ あれ、タッチャンとアシスタントのヤマグチがいないね。それにダイラクもいない。
資生堂コマツバラ そうなんです。立木先生はあとの新幹線で来られます。取材のはじまる午後2時にはアビエントに到着する予定です。ダイラクは今日はどうしても重要な会議がありまして、今回の出張には参加出来ません。
シマジ 残念だね。タッチャンが蕎麦好きだから考えた企画なのに。しょうがない。タッチャンはまた次の機会にすることにしようか。みなさん、こちらは今回の取材先アビエントのマツモトバーマンです。こちらはみなさんが今夜泊まるベリーノホテルのサイトウ社長です。
マツモト マツモトです。今日はよろしくお願いします。
サイトウ サイトウです。みなさま遠路遙々お越しいただきありがとうございます。ゆっくり一関を愉しんでください。
スタッフ一同 こちらこそよろしくお願いします。
30分もクルマで走っただろうか、一関に隣接している平泉中尊寺の近くの竹藪のなかにひっそり地水庵があった。入り口は小さいがなかに入ると堂々たる合掌造りの大きな民家を改造した店だった。
わたしたちは古典蕎麦とせいろ蕎麦を食べた。全員のホッペが落ちた。見事な蕎麦であった。それから一路一関のアビエントに急いだ。タッチャンとアシスタントのヤマグチともそこで合流した。アビエントは看板のないバーである。高校を卒業して仙台で修業したあとマツモトは故郷の一関に帰ってきてアビエントをオープンした。今年でちょうど18年になる。
岡元 はじめまして、岡元と申します。
シマジ タッチャン、マツモト、こちらは資生堂からいらした岡元さんです。岡元さんは『7つの肌を着替える美肌メイクのレシピ』『シンプル魅せメイク』<ともに扶桑社>というメイクアップの自著まで出している資生堂のヘア&メーキャップアーティストのトップに立っている方です。
立木 そんな大物を一関くんだりまで呼んで大丈夫なの。福原名誉会長に怒られないか。
シマジ タッチャン、一関をバカにしているな。ここは凄い町なんだよ。学問的には『言海』を作った大槻文彦の出身地なんだ。それから平泉には中尊寺が控えている。岡元さん、さきほど召し上がっていただいたお蕎麦は美味しかったでしょう。
岡元 はい、大変美味しゅうございました。
立木 シマジは岡元さんを蕎麦で釣ったのか。
シマジ 今日食べた蕎麦は北海道産の蕎麦なんですよ。
岡元 そうなんですか。北海道はわたしの故郷です。
マツモト 北海道のどちらですか。
岡元 北海道の足寄<あしょろ>です。松山千春さんと同じ故郷です。
シマジ マツモト、今日は気後れするなよ。岡元さんは大物だけどこころやさしい方だからね。
岡元 まずマツモトさんのお肌をチェックさせてください。
マツモト 怖そうですね。
シマジ 器械と岡元さんのどちらが怖いというんだ。
マツモト どちらもといいたいところです。ぼくには岡元さんは立派過ぎます。大病院にたかだか盲腸炎で入院して医院長自らに執刀していただくような畏れ多い気がします。
シマジ マツモト、そんなにびびることはない。肌にそのびびりが出て判定に影響するかもよ。
マツモト シマジさんまで脅さないでください。
岡元 判定が出ました。マツモトさんはDでした。夜の遅いご商売をしている割には保湿がちゃんとなされています。限りなくCに近いDですね。お肌の張りもあります。
マツモト ありがとうございます。Eになるかとずっと心配していました。
シマジ いま空気が乾燥しているなかでDは偉いよ。
マツモト 昨夜は4時に店を閉めましたが、家に帰って湯船にぬるいお湯を張ってそのなかに浸かりウトウトしていましたら、起きたら9時過ぎでした。3時間はお湯に浸かっていたでしょうか。
シマジ それが却ってよかったんじゃないの。
立木 じゃあ、みんなでレンズをみてくれる?そう、OK。
シマジ 岡元さんはいつごろ美容関係の仕事に就こうかと思ったのですか。
岡元 中学校のころから大人になったら何になろう、と考えていましたね。第一希望はキャビンアテンダント。テレビドラマ『アテンションプリーズ』の影響を受けたのでしょう。これだ!と思ったのですが、如何せん背が低いわたしには無理でした。そうしたらすぐ新たな目標が現れたんです。それは1枚のポスターとの出会いでした。いまでも鮮明に覚えています。近所の化粧品店に貼られてあった資生堂の『ピーチパイ』のポスターをみたときです。全身に電流が走るような衝撃を受けました。
シマジ そこなんだよね。才能のある人は早めに人生の進路を決めていますね。こちらの立木先生だって中学のころから映画館のなかで映画を写真に撮ったりしている。
立木 おれの話はいい。
シマジ マツモトは?
マツモト ぼくは18歳のときにバー業界の世界に飛び込んでいましたね。それで仙台で修業して18年前故郷の一関にこの店を出しました。
シマジ 人間はやっぱり若いうちに好きなものをみつけることが重要なんだ。なりたいものを早くみつけたほうが勝ちだね。
岡元 だからわたしは高校を卒業すると迷わず資生堂の美容学校に入学したのです。でも定員200人のところ応募者が600人以上もきていたんです。
立木 岡元さんが受かったのはシマジにいわせると、運と縁とセンスがよかったかららしいですよ。シマジがいいたいのはそうなんだろう?
シマジ 勝手におれのセリフを盗らないでくれ。じゃあ高校を卒業して生まれてはじめて親元を離れ一人暮らしをしたんですか?
岡元 入学と同時に女子寮に入りました。驚いたのはゴキブリをはじめてみたときです。北海道にはゴキブリがいなかったんです。
立木 岡元さん、ゴキブリに驚くなんて、可愛い。
シマジ いやいや、おれの親友のSM作家の館淳一はやっぱり北海道の出身で奥さんはたしか青森だったかな、二人が新婚でいたところにゴキブリが現れた。さっそくおれに電話が入り、急いで館のマンションに駆けつけて退治してやったことがあった。夫婦二人は壁に寄り添って震えていた。やっぱり北海道出身者はゴキブリが苦手らしいよ。マツモト、お前は大丈夫か?
マツモト ゴキブリは好きではありませんが怖くはないですね。
立木 マツモト、お前は誰かに似ているとさっきから思ったら、役所広司にそっくりだね。
マツモト 最近よくいわれます。
シマジ マツモト、お前がモデルで出たCMはいまでも仙台で流れているのか。
マツモト らしいですね。YouTubeでみられるようですよ。
岡元 どんな演技をなさってるんですか?
マツモト ただ歩いている後ろ姿だけです。
岡元 何のCMなんですか?
マツモト 仙台の有名な白松がモナカのCMです。
シマジ マツモト、今度仙台に行ったら白松がモナカを買ってきてくれないか。あれは美味いんだ。
岡元 シマジさんはシングルモルトもモナカも両方いけるんですか。
シマジ 美味ければ何でもOKです。