
撮影:立木義浩
<店主前曰>
東京タワーの真下にある「月下」の名バーマン小澤伸光は、1年前まではフレンチの老舗グランメゾン「アピシウス」のシニアソムリエであった。また、その昔パレスホテルで働いていた若かりし頃の小澤バーマンは、日本ソムリエ協会を立ち上げた浅田勝美会長らとの勉強会に熱心に参加していた。まさに日本のワイン界の草分け的な存在の1人が小澤伸光なのである。
1970年代から日本でワインが注目されはじめたが、まだリーファー・コンテナ(内部を一定温度に保つ設備をもつコンテナ)がなかったその時代、ブショネ<傷んだ>のワインも相当数あったらしい。なにせフランスから運ばれてきたワインが貨物船に積まれたまま、2ヵ月間も東京湾に放置されていた時代なのである。
シマジ:小澤さんのお父さんはどういう方だったんですか。
小澤:ただただ真面目で実直な警察官でした。
シマジ:すると警察官の息子がバーマンになったというわけですか。
小澤:はい。
立木:お堅い警察官や教師の息子がとんでもない人間に育つことがたまにあるじゃないの。第一、シマジだって教師の息子だろう。教師の息子が週刊プレイボーイの編集長になったり、警察官の息子がシニアソムリエやバーマンになったりするのは、そんなに珍しいことじゃないさ。
小澤:じつはオヤジは57歳のとき、殉職したんです。
シマジ:えっ!それは小澤さんがいくつのときだったんですか。
小澤:すでに高校を卒業してパレスホテルで働いていました。ある日、徹マン明けで家には帰らず仮眠室に泊まることにして、ウトウトと眠っていたんです。そうしたら「すぐ家に帰れ」と言われたので帰ってみると、オヤジが布団に寝かされていたんです。オヤジは剣道4段の腕前でした。
シマジ:まったく言葉もありません。
小澤:でもわたしたち遺族は警視庁からも当時の原警視総監からも本当に手厚くしてもらいました。すでにパレスホテルで働いていたわたしに「いまからでも遅くない。お父さんの跡を継いで警察官にならないか」と勧めてくれたりもしたんです。
立木:それは父上が立派な警察官だったから、その遺伝子を継いでいる小澤さんに白羽の矢が立ったんだろうね。
小澤:そうかもしれませんが、警察官にはわたしはまったく向いていないと思い、丁重にお断りしました。
シマジ:小澤さんの礼儀正しさはお父さん譲りだったんですね。
立木:シマジのにわかバーマンとは、小澤さんはだいぶちがうわな。
小澤:いやいや、シマジさんはサマになっていますよ。第一シマジバーマンには華がある。いつもあんなにファンに囲まれて気持ちがいいでしょう。
シマジ:前夜に遅くまで原稿を書いて、今日は少し疲れているなと思った日でも、お客さまの嬉しそうな笑顔をみるとたしかに元気になりますね。
小澤:それが水商売の醍醐味ですよ。まさにお客さまは神さまなんです。わたしはいままでお客さまからいただいたすべての名刺を1万枚以上保管してあります。捨てたり紛失したりしたものは1枚もありません。そうそう、この間名刺を整理していましたら、シマジさんのPLAYBOYの副編集長のころの名刺が出てきましたよ。今度お見せしましょうか。お付き合いの長いお客さまになると、なかには1人で10回も名刺の肩書きが変わった方もいらっしゃいました。
立木:なるほど。名刺はその人が出世の階段を昇って行く足跡とも言えるんですね。
シマジ:浮き沈みもあるでしょうね。
小澤:とくに80年代のバブル以前と以後では凄い浮き沈みがありましたね。
シマジ:ところで、いま小澤さんはお姉さんと、以前ご実家だった家に住んでいらっしゃるそうですね。
小澤:はい、7歳年上の姉と、子供のころに育った小平のほうでふたりで暮らしています。念のため言っておきますが、わたし自身決してホモではありませんよ。何度か女性と同棲したこともございます。ただ結婚までは進展しなかったんですね。
立木:小平あたりでしたらまだ武蔵野の面影が残っているでしょう。
小澤:むかし多摩浄水場があったころは、夏はホタルが沢山飛び交っていましたね。家のなかまでホタルが入ってきましたよ。いまではさすがにホタルはいなくなりましたが、それでも庭の木々を見ていると季節の移り変わりを肌で感じますね。まだ家のまわりには雑木林がありますし、家の前を川が流れているんです。
シマジ:でもここから小平までは遠いですよね。
小澤:通い慣れるとそれほど苦にはなりませんし、小平は空気の美味さがちがいます。それにわたしのバーは3時ごろ終わるんですが、片付けをしたりグラスを洗ったりしていると、だいたい電車の始発の時刻になるんです。帰るときは必ずオシボリを30本持って行くんです。それを姉が洗ってくれて太陽の光で乾かして、出勤するときまた持って戻ってきます。
シマジ:それは素敵なお姉さんですね。
立木:やっぱりバーマンとしてシマジと小澤さんは格がちがいすぎはしないか。
シマジ:たしかにうちのサロン・ド・シマジのバーではオシボリもなければ、わたし自身お金も触らないものね。
倉本と鈴木<資生堂>:遅くなってすみませんでした。
立木:師走は忙しいから仕方ないだろう。あれ、お嬢は前におれが撮影したコじゃなかったか。
シマジ:さすがはタッチャン、鈴木さんは以前西麻布の浅井で撮った女性です。
立木:どうしてまた今日なの。
シマジ:鈴木さんは縁あってこのたびご結婚されて、田中さんになったんです。
立木:そうか、結婚して名前が変わると2度出られるんだ。お嬢をこれからは田中さんと呼べばいいの?
鈴木:会社では旧姓の鈴木で通しております。
シマジ:まあ、そんな硬いことは言わないで、タッチャン。今回は結婚祝いの一つとして撮影してください。
立木:お嬢、おめでとう。結婚生活は幸せですか。
鈴木:おかげさまで幸せのまっただ中におります。
シマジ:この間、伊勢丹のサロン・ド・シマジに彼女が旦那さんと仲良く来てくれたんだ。なかなか男らしい青年だったよ。
立木:わかった。お前は自分のバーで格好つけて、もう一度彼女が登場するように得意のえこひいきをしたんだな。
シマジ:ばれたか。まあ、そういうことですね。
それでは鈴木さん、小澤さんの肌チェックをやってみてもらえますか。
鈴木:わかりました。早速やりましょう。小澤さんはおいくつなんですか。
小澤:68歳です。
鈴木:もっとお若くみえますね。いままでなにか男性化粧品をお使いになっていらっしゃいますか。
小澤:まったく、なにも使ったことはありません。
鈴木:結果が出ました。凄いです。Cでした。
シマジ:それは凄いですね。武蔵野のきれいな空気のなかで生活していることが肌にいいのかもしれませんね。
小澤:でもシマジさん同様、わたしも葉巻は毎日吸っていますよ。
立木:では判定Cに乾杯するために、先程シマジが美味そうに飲んでいたマティーニをもう一度作ってくれませんか。みんなで乾杯しようぜ。
シマジ:小澤さんが作るマティーニは美味いよ。小澤さんがCをゲットしたことと鈴木さんの結婚を祝って乾杯といきますか。
鈴木:ありがとうございます。このカクテル、写真を撮ってもいいですか。
小澤:どうぞ、どうぞ。
立木:そのスマホの写真、あとで旦那にみせるんだな?
鈴木:はい。