
撮影:立木義浩
<店主前曰>
バーマン牧浦侑が日本語より早く英語を覚えたことは、彼の強運の一つと言えるだろう。中学生くらいから習って覚えた語学力は、所詮「外国語は外国語」で終わってしまうことが多い。ネイティブで覚えた英語力の強みを活かして牧浦は、バーマンをやりながら何度も僥倖を掴んだ。三つ星のフレンチのグランメゾン「ジョエル・ロブション」の専属バーマンに抜擢されたのも、おそらくその英語力を買われたからであろう。
牧浦の耳は言葉を聞く能力に長けているらしい。だから2ヶ月間スコットランド放浪の旅をしてロンドンに帰ってきたときは、すっかりスコットランド訛りになっていて、ロンドンの友人を驚かせたという。
シマジ:うん、これはイケる味だね。さすがマッドサイエンティストの特製リモンチェッロだ。
立木:おれもローマで飲んだが、店によって味が違うんだよ。
シマジ:いまからちょうど10年前、塩野七生さんと仕事をしていた頃に何度かローマに通ったんだ。食後酒としてよくリモンチェッロを飲んだが、たしかに店によって味が違っていたね。
牧浦:自家製のリモンチェッロはちょうど日本の梅酒と似ています。家によって、また店によって味が違うんです。
稲垣:飲みやすくて美味しいです。
牧浦:これを「酔うはちみつレモン」と言うお客さまがいます。
シマジ:洒落たことを言うね。ところで牧浦は、何歳のときにこのバーをオープンしたんだっけ。
牧浦:それは26歳のときでした。
シマジ:どうしてまた荒木町を選んだの?
牧浦:ぼくのいままでの職場があった場所と違い、この界隈の地域密着性が気に入ったんです。
立木:荒木町には飲食店は何軒くらいあるの?
牧浦:300軒以上でしょうね。
稲垣:えっ、この小さな街に300軒以上あるんですか。
シマジ:ここは迷路のようになっていて、ヴェネツィアの街を彷彿とさせるよね。
立木:それはお前の過剰なるリアリズムだろう。荒木町を歩いてヴェネツィアを思い出すというのは、なんか違うんじゃないか。
シマジ:そうかな。
牧浦:この店は7年目に入りましたが、母が近所で不動産業を営みながらカラオケを中心としたお店をやっていまして、そこはもう4年目になります。母は熱狂的なシマジファンなんです。じつを言うとぼくがシマジさんの存在をはじめて知ったのも、母から教えてもらったのがきっかけでした。母はシマジさんの本はすべて読んでいますよ。
稲垣:えっ、お母さまがシマジさんのファン? そして荒木町にお店を出していらっしゃるんですか。
牧浦:そうなんです。
立木:シマジは母上のお店には行ったのか。
シマジ:おれはどうもカラオケが苦手なんだ。
立木:歌わなくても一度はご挨拶に行くべきじゃないのか。
シマジ:わかりました。今度一緒に行きますか。
立木:よし、行ってやろうじゃないか。
シマジ:ところで、牧浦一人っ子なの?
牧浦:そうです。
シマジ:それもよかったんじゃないの。牧浦のいままでの人生について聞いていると、つくづく人生は運と縁とえこひいきだと思うんだ。
牧浦:そうでしょうか。
シマジ:そうだよ。だって高校時代のアルバイトから数えたら、水商売に入って10年で自分のバーを持つことが出来たというのは快挙じゃないか。
牧浦:言われてみるとそうかも知れませんね。
シマジ:いままで牧浦が「おれはついているな」と思ったときの話を聞かせてくれないか。
牧浦:そうですね。天王洲アイルのビアホール「T.Y.HARBOR」で働いていたときに、周りにワインの勉強を勧められてワインスクールに通うことになったんですが、そのスクールで出会った講師がロブションの方で、恵比寿のガーデンプレイスにある三つ星レストラン「ジョエル・ロブション」のバーマンとして働かないかと誘われたことですかね。
シマジ:それはまさに強運だね。朝目を覚ましたら、いきなりビアホールから一流フレンチレストランのバーマンになっていたんだ。あそこは外人のお客も多いから、牧浦の英語力が炸裂したことだろう。しかも「ロブション」のようなグランメゾンで働いたことで、多くの大事なことを学んだだろうね。
牧浦:大変勉強になりましたね。なにしろスタッフだけで50人以上働いていましたから。
立木:いろんな店を経験しているようだけど、なかでもいちばん忙しく働いたのはいつごろ、どんな店だったの。
牧浦:それはバブルの時代がとうに終わった時期でしたが、それでも六本木ヒルズ族にはまだバブルだったんでしょうね。店は夜11時から朝5時まで営業のいわゆるディスコスタイルのバーでした。毎週金曜日だけオープンするバブリーな店でしたね。そこでの仕事はきつかったです。なんせ顔を上げて仕事ができないんです。顔を上げようものなら200人分の怒号に近い注文が飛んでくるんですから。下を向きながらも耳に入ってくる注文だけで精一杯でしたよ。もう、そのお店は撤退してしまいましたが、六本木ヒルズにあった「ウルフギャング・パック」というお店の深夜営業でした。
シマジ:そういう店はチップが凄かったんじゃないの。
牧浦:まさに毎回チップの嵐でしたね。顔を上げたらチップが飛んできたこともありました。
シマジ:強運が強運を呼ぶってやつだね。牧浦の人生にはもっともっと強運があったろう。
牧浦:そうですね。神楽坂に間もなく店を閉めようという老舗バーがありまして、その噂を聞きつけて訪ねたんです。するとそのバーマンに気に入られて、骨董品のスピーカーやら、クリスタルのグラスやら色々と譲っていただいたことがありました。もちろん、お酒もです。でもその前にテストをされたんです。あるシングルモルトのラベルを隠して注がれて「これがなにか当ててみろ」と言われたんです。
シマジ:牧浦の舌を試したんだろうね。
稲垣:それで牧浦さんは当てたんですか。
立木:マグレでも当たったんだろう。
牧浦:淡い風味や、色合いからして、ピートを少量使用したスペイサイドかなと思ったんですが、たまたまその前夜、知り合いのバーで1980年代のアードベッグを飲んでいたんです。それで直感的に、「いや、違う。これはかなり古いアイラウィスキー」だと答えたんです。すると老バーマンが最初は驚いた表情を見せてから、改めて名前を聞かれました。その後は、「おれは引退するけど、この場所を継いでくれ!」の口説きが始まり・・・。
稲垣:当たってよかったですね。わたしもホッとしました。
牧浦:ぼくはすでに荒木町でオープンしてからまだ根を生やしていない段階でしたので、まだ移るわけにはいかなかったんです。その旨を説明しました。だけど、宝の山は戴いていきましたよ。
シマジ:すべて口が開いているボトルばかりだったんだろう。
牧浦:それはそうです。でも、ここだけの話、結構神経質だったみたいで保存状態は素晴らしかったです。27年もののオフィシャルのグレンモーレンジもありましたし、まだ少し入っているポート・エレンもありました。
立木:そのウイスキーはもう残っていないよね。
牧浦:6年前のことですから。もし写真を撮るなら、空瓶ならございます。
立木:おれは飲むために訊いたまでだよ。
シマジ:スコットランドへは行ったことはあるの。
牧浦:もう8年ほど前に約2ヶ月間、スコットランドを放浪しました。旅の終わり、ロンドンの名門サヴォイ・ホテルのアメリカン・バーのカウンター席に座ったときの感動は、いまでも忘れられません。ルイスというバーマンと親しくなって彼のオリジナルのマティーニを飲んだんですが、オリーブの代わりに千切りのキュウリが入っていました。それだけではなく、全体的にキュウリの風味がするので聞いたところ、そおっとキュウリを付け込んだラベルの貼っていない自家製のジンを見せてもらいましたね。彼もマッドサイエンティスト・バーマンでしたね。
シマジ:似たもの同士で気が合ったんだな。
牧浦:はじめのうちルイスは僕の英語を聞いてビックリしてました。見た目はアジア人、出てくる言葉はコテコテのスコティッシュでしたから。2ヶ月間の放浪でぼくの英語がすっかりスコットランド訛りになってしまっていたんです。
シマジ:それは耳のいい牧浦ならではのエピソードだね。