
撮影:立木義浩
<店主前曰>
「山田チカラ」で食事を愉しむ際には、可愛い手書きのお品書きが渡される。「おしのぎ」とはじめに書いてあるのは、空腹を凌ぐためのごく軽い食事だ。懐石料理の定番であるが、お酒を飲む人にはこれが結構嬉しかったりする。
「山田チカラ」の料理は一品一品に丁寧な仕事が施され、見た目にも美しい。
たまたまここに2015年1月6日のお品書きが残っていた。
おしのぎ、梅ブラディマリー、オリーブ、本マグロ 正油ヌーベ、白子、スパニッシュオムレツ、キノア、鰤スモーク、佐賀牛。
梅ブラディマリーは透明な色をしているので、山田料理人に質問した記憶がある。梅は和歌山産でトマトは高知産。それをミキサーで軽く撹拌してから、一晩かけて和紙を使ってゆっくり漉すのだそうだ。アルコールはウォッカを使っている。オリーブは例の柔らかい逸品である。白子はフグの白子で蒸してあった。その上にギンアンという甘美なタレがかかっていた。鰤のスモークはお椀の蓋を開けると煙が出てきた。佐賀牛は50グラムのヒレステーキだ。デザートには必ずアイスクリームになにかが添えられて出てくる。そのときはなんだったかのか忘れてしまったが、いまの季節ならバニラアイスクリームにメロンを泡立てたものがついてくるはずだ。
とにかく「山田チカラ」の料理は凝りに凝っているが、もたれるような感じはまったくない。それが「山田チカラ」の天才的な技なのだろう。
シマジ:「山田チカラ」にはメニューはなく、その日仕入れた食材によるお任せなんですよね。
山田:そうです。
シマジ:ここまで創作されるとアートに見えてきて、食べるのがもったいなくなりますね。
六角:本当にみた目に美しく、そして美味しゅうございました。明日からなにを食べようか悩んでいます。
立木:ここで必ずシマジがいうセリフがある。「これぞ『知る悲しみ』という」。
六角:そうです。わたしは「知る悲しみ」を知ってしまったんですわ。
山田:ありがとうございます。
立木:シマジ、資生堂からきてくれたこちらのお嬢の話をもっと訊いたほうがいいんじゃないか。
シマジ:そうだね。では六角由紀子さんにお訊きしますか。
六角:えっ、私のことですか。
立木:お嬢、食い逃げはよくないよ。
シマジ:アッハハハ。六角さんは子供のころ、大人になったらなんになろうと思っていたんですか。ちなみにわたしは小学校の低学年では消防自動車に乗るのが夢で、格好いい消防士になりたいと思っていました。
六角:まあ、そうだったのですか。私は2歳下の弟と5歳下の妹がおりまして、3人兄弟の長女として育ちました。親からは叱られることも少なく、手のかからない子供だったと聞いております。
シマジ:面倒見がいいお姉さまだったんですね。
六角:弟や妹の世話をする母の真似をして、人形にミルクを飲ませたり抱っこしたりするのが大好きでした。ですから将来は保育士になるのが夢でした。
シマジ:それがまたどうして資生堂に入社したんですか。
六角:先ほどもお話ししたと思いますが、母の影響ですね。母は私の口から言うのもおかしいですが、美人でした。
立木:お嬢をみればお母さまのことはだいたい想像がつきます。うん、美人だったろうね。
六角:学校の先生や、商店街などを母と一緒に出かけた先々でも「お母さん、美人だね」「お母さん、きれいだね」とよく褒められていましたので、そんな母を誇りに思っていましたね。そんな母の姿に憧れて私もいつしか化粧品に興味を持つようになりました。
シマジ:そう言えば先ほど六角さんは母上が素顔でいる姿を見たことがないと仰っていましたね。
六角:はい、母は鏡台に向かい化粧が仕上がるとニッコリと笑顔を作るのが習慣でした。夏の外出には日傘をさして紫外線からしっかりと肌を守り、夜は化粧を落としマッサージをしていましたね。髪の毛も毎晩ブラッシングして、髪をカーラーで巻いて寝ていました。
シマジ:で、資生堂との出会いは?
六角:母の化粧品の買い物について行くと、資生堂のビューティー・コンサルタントがいて、赤いマニキュアと長いまつげが印象的でとてもきれいでした。しかも優しくて素敵なお姉さまでした。高校生になるころには、私の将来の夢は保育士から資生堂BCへと変わっていました。
立木:自分の大好きなことがあり、それが一生の仕事になるというのが人生でいちばん幸せなことではないの。シマジなんて学校の勉強もしないで本ばかり読んでいて編集者になったんだから幸せ者だよね。
シマジ:タッチャンだって子供のときから写真を撮っていて、いまでも現役でこうして写真を撮っているなんて幸せ者の典型ですよ。山田シェフだってそうですよね。好きなことだから朝から店を開けて頑張れるんじゃないでしょうか。
山田:それは言えますね。
六角:たしかにうちも祖母の時代から資生堂の化粧品があり、親しみを持っていたこともありますが、CMから伝わる資生堂の世界観は私にとって特別なもので、将来の職業は資生堂のBC以外私には考えられませんでした。1979年春の「劇的な、劇的な、春です。レッド」というベネフィークグレイシィというシリーズの赤い口紅のリーフレットは当時11歳だった私の宝物でした。いま考えると私にとって資生堂は幼いころからの特別な存在でした。
シマジ:そして六角さんが憧れの資生堂にBCとして入社したのはいつだったんですか。
六角:1987年4月でした。大好きな化粧品に囲まれる仕事がスタートしました。入社して最初に学んだことは挨拶でした。ご来店いただくお客さまに対して感謝の気持ちを込めた挨拶をするためには、声のトーン、音量、スピード、お辞儀の角度がいかに重要かを学びました。何気なくしていたそれまでの挨拶とはまったく別物でした。
シマジ:それが資生堂の「おもてなし」の要諦なんですね。
六角:はいそうです。それからさらに、皮膚生理やメーキャップ理論、技術トレーニングなどを通して、BCとしての心構えを勉強しました。
シマジ:まさに六角さんは資生堂に入社して水を得た魚になったのですね。
六角:はいそうです。入社して5年目には「メーキャップコンテスト」で最優秀賞をもらいました。
シマジ:凄いですね。
六角:この賞はモチベーションアップに繋がりさらに仕事が好きになる大きな出来事でした。
シマジ:お母さまもさぞ喜ばれたことでしょう。
六角:母はもとより、コンテストに出場する際にトレーニングをしてくれた先輩や上司の方たちが、まるで自分のことのように泣いて喜んでくれたのは感動的でした。
シマジ:資生堂はホントにいい会社なんですね。後輩を育てる精神はおもてなしにも通じるものとして脈々と伝わっているんでしょうね。今度福原名誉会長にお会いしたら、このことを話しておきましょう。
六角:ありがとうございます。そして私はさらなる高みを目指して資生堂ビューティー・スペシャリストになるために、2010年、ビューティー・アカデミーにチャレンジしました。言ってみれば、ビューティー・コンサルタントの大学院です。
シマジ:「一瞬も 一生も 美しく」のコマーシャルに習って言えば、六角さんの命を一瞬も一生も資生堂に捧げているところが美しいですね。本日はありがとうございました。
六角:いえいえ、こちらこそこのような場に参加させていただき感謝しております。
立木:純粋な愛社精神というのは会社にとってはもちろん、個人的なことでも凄い原動力になっているんだろうね。お嬢、今日はおじさんも感動したよ。
山田:やはり仕事は「好きこそ物の上手なれ」ですね。