
撮影:立木義浩
<店主前曰>
毎朝、GAMIN(ギャマン)グループ各店のシェフたちが、午前10時には木下オーナーシェフがいる恵比寿の「オー・ギャマン・ド・トキオ」に集まってくる。ここの組織は体育会系というより軍隊に近いのではないかというくらい規律が重んじられていて、気持ちがいいほどだ。
「ハナレ」の新井シェフも昨夜は深夜2時にラストオーダーを受け、店を閉め片付けをして帰ったのは4時、寝たのは5時に近かった。すでに夜はすっかり明けていた。それでも午前10時のシェフ会議には悠々間に合って出席した。
挨拶と打ち合わせがすむとシェフたちは各店に帰り、2時から3時の間に「まかない」を作ってみんなで食べる。「ハナレ」のまかない料理の人気メニューナンバーワンは、シマジスペシャルの「エッグプラント」と炊きたてのご飯だそうである。これはわたしにとっても鼻が高いことである。
シマジ:新井はどうして料理人の道を選んだの?
新井:わたしは思春期のころから普通のサラリーマンよりも職人の世界に憧れていました。というのもわたしの父が普通のサラリーマンだったんですが、転勤が多く、わたしは小学生のころに埼玉、群馬、千葉、横浜と4つも学校を転校させられたんです。サラリーマン=転勤、と子供の頭にインプリンティングされてしまったんですね。
シマジ:なるほど。料理人になればそんなに転勤はないものね。
新井:まず東京を離れることはないですから。父はへたをすると1年ごとに転勤していました。中学校は横浜でしたが、高校の受験は仙台でした。仙台で公立も私立も受かったところで、父が埼玉に転勤することになり、結局わたしは埼玉の公立飯能高校に入学したんです。それから卒業後、料理人になるにはフランス語くらいマスターしたほうがいいだろうと思い、フランスに数ヶ月語学留学をして、帰国後、青山の「ル・コント」のレストラン部門で皿洗いとしてこの道に入りました。そこでいま中目黒の鉄板焼き専門店「ブロックス」をやっている藤井シェフと出会ったんです。
シマジ:「ル・コント」か。あそこのケーキは評判が高かったね。一時、藤井はこの「ハナレ」で新井と仲良く一緒に働いていたことがあったよね。
新井:そうです。藤井とはなんだか腐れ縁のようで、気がつくとわたしが彼の後を追っかけている格好なんですよ。
シマジ:それは腐れ縁というより、いい意味で深い縁(えにし)があるんじゃないの。
新井:そうかもしれませんね。1億3000万人日本人がいるなかで、藤井とこうもよく出会い、同じ道をたどっているというのは面白い現象ですよね。ところで先程の経歴の話に戻りますと、「ル・コント」は3年半で辞めました。そしてその頃はまだ若かったので、思いきって世界放浪の旅に出たんです。
シマジ:何歳のころ?
新井:23歳になったころですか。バックパッカーとしてバスと列車を乗り継いで、フランス全土、英国はロンドンを皮切りにアイルランドまで行きました。スペインもイタリアも2ヶ月間ぐらい放浪しましたか。それから東ヨーロッパに行き、ルーマニア、ブルガリア、チェコスロバキア、ハンガリーを経巡ってからアメリカ大陸に渡り、中南米を7ヶ月間放浪しました。
シマジ:若いときの貧乏海外旅行はためになったろうね。
新井:いろんな国の若者との交流は面白かったですね。ユースホステルはたいがい6人部屋でしたが、わたしが持参の鍋で料理を作るとみんな一気に打ち解けました。やはり同じ釜のメシを食べると急速に親しくなりましたね。
シマジ:日本に帰ってきてからはどうしたの?
新井:それが、帰国して六本木の「ヴァトゥ」というある商社が経営しているレストランに入ったら、そこにまた藤井がいたんですよ。
立木:えっ、新井は「ヴァトゥ」にいたのか。
新井:はい、立木先生がよくおみえになっていたことも覚えております。
シマジ:「ヴァトゥ」ってどういう意味なの?
立木:それはフランス語で「一か八か」っていう意味だよ。
シマジ:さすがタッチャン、常連だっただけのことはありますね。新井はその「ヴァトゥ」でどれくらい働いたの?
新井:5年以上は働きました。あそこで藤井が料理長になり、わたしが副料理長をやっていたこともありました。
シマジ:藤井と新井は何歳ちがいなの?
新井:藤井のほうが6歳上です。
シマジ:はたからみても藤井は甘え甲斐のある先輩に見えるけど、実際にはどうなんだ。
新井:そうですね。木下オーナーシェフもそうですが、うちの藤井は後輩の料理人を大事にしてくれるタイプです。
立木:そうか。藤井と新井は「ヴァトゥ」を辞めて、白金の木下のオー ギャマンに結集したんだね。
新井:簡単に言いますとそういうことです。まずは藤井が木下シェフの男の心意気に惚れて、続いてわたしが木下シェフに惚れたんです。
シマジ:サラリーマンの世界では上司を選ぶことはなかなかできないけど、料理人の世界は自由に上司を選べるんだね。
新井:ついこの間まで、木下が下駄の音を鳴らしながら、2階から地下まで降りてきていたのが懐かしいですね。シマジさんがくると必ず挨拶に降りてきましたものね。
シマジ:木下は律儀だね。いま全店で見習いを含めて約30人の料理人の面倒をみているというけど、若いときに暴走族のリーダーをやっていただけあって、木下がみんなに慕われているのがよくわかる。それは傍で見ていて気持ちがいいね。第一、木下自ら一生懸命働いているのがいいね。
新井:木下シェフは生まれながらのリーダー格なんですよ。わたしは会った瞬間、この人について行こうと思いましたから。
竹山:そういうリーダーをみつけた新井さんは幸せですね。サラリーマンの世界でこの人について行こうという存在はなかなか見つかるものではありませんものね。
シマジ:そうですね。尊敬するその人がどんどん活躍し、出世もして、社長になり会長になることって稀ですね。とくに大組織だと難しいでしょう。
竹山:立木先生とシマジさんのお付き合いも長そうですね。
シマジ:そうですね。わたしがまだ現役の若い編集者のころからですから、40年以上になりますか。フリーになってもこうして一緒に仕事をしたくなる関係はそういませんよね。
立木:シマジとおれはそれこそ腐れ縁ですよ。
竹山:お二人はお互いを信頼しきっていらっしゃるようですね。
立木:とんでもない。お嬢、おれはシマジをずっと疑っているんですよ。いつこいつに騙されるかもしれないというスリルが常にあるんです。まあ、おれはそれを愉しんでもいるんだけど。ともかくシマジはシバレン先生を騙し、今大僧正を騙し、開高先生を騙してここまで這い上がってきた男です。お嬢も騙されないように気をつけたほうがいいですよ。シマジは別名「毒蛇」といわれているんですから。
竹山:シマジさんに毒があるようにはわたしには見えませんけれど。
立木:シマジ、なんか言ってみろ。
シマジ:毒蛇は急がない。
新井:それはどういう意味なんですか。
シマジ:これは開高先生がタイから仕入れてきた俚諺なんです。
新井:リゲンってなんですか?
シマジ:まあ、庶民の間でよく使われていることわざのことです。毒蛇は自分が毒を持っていて強いとわかっているので、野原を進む時に何者をも恐れず急がず、泰然自若としてゆっくり進む。つまり、自信ある者は焦らない、という意味ですか。
新井:なるほど。
シマジ:そういえば竹山さんは中国に長く駐在なさっていたんでしょう。
竹山:はい、2004年から2009年まで上海に駐在していました。
立木:女性としては面白い体験だね。中国は漢字の国だけど、さとみという名前はどういう漢字を当てたの?
シマジ:鋭い質問だ。
竹山:はい、「さとみ」を「智美」と当てました。
シマジ:竹山智美さんか。賢くて美しいという意味ですか。うん、いい名前ですね。