
撮影:立木義浩
<店主前曰>
“縁は異なもの味なもの”とはよくいったものである。
今回登場する鮨処「来主(くるす)」の店主、荒川真也の奥方由美さんは、以前、資生堂のサブファ(SABFA / Shiseido Academy of Beauty & Fashion)に学んだ腕利きの美容師であった。そこで教えていたのが矢野裕子さんである。矢野さんにはいま伊勢丹サロン・ド・シマジでネールケアの仕事(予約制)を担当していだたいている。わたしの右親指のスコットランドの国旗も、左親指の伊勢丹のタータンチェックも矢野さんのネールアートの作品である。
まだカナイ書生がわたしの右腕として働いていたころ、矢野さんの案内で3人で「来主」を訪ねたのがわたしとこの店との縁の始まりであった。女将さんが矢野さんを先生、先生と呼んでいるのを不思議に思い、訳を尋ねてみて、二人がかつて師弟関係にあったことを知った。
「来主」はカウンター6席のみの大人の鮨屋で、店主の荒川を囲むようにL字に配置されたその6席は、毎晩予約でいっぱいである。
わたしは血糖値を低く保つためにシャリの大きさを小指の第一関節くらいに握ってもらうのだが、荒川の握りは見事だ。ネタも抜群で、隣席のカナイは「先生、ぼくの22年間の人生でいちばん美味いお鮨です!」と絶賛したくらいであった。そんなわけでわたしは、このときから店の常連の1人に加えていただいたのである。
立木:それにしても狭くて可愛い鮨屋だね。まあ、おれはシマジのおかげで狭いところの撮影には慣れているからいいんだけど。
荒川:立木先生、誠にすみません。
立木:いいの、いいの。ドンドン料理を出してくれる。このカウンターで撮ろう。
荒川:わかりました。では早速いきましょう。
シマジ:今日の資生堂からのゲストは福田夏子さんです。
福田:資生堂から参りました福田です。よろしくお願いします。
荒川:資生堂と聞いただけで緊張します。
シマジ:それはまたどうしてですか。
荒川:女房が以前大変お世話になった会社だからです。
女将:資生堂の方ですか。嬉しいです。わたしはサブファで矢野裕子先生にお世話になりました。
福田:えっ、女将さんは美容師さんだったんですか。
女将:そうなんです。
シマジ:なんでも女将さんは腕利きのヘア&メーキャップアーティストだったそうです。
女将:いまでも、どうしてもという方にはやってあげています。
立木:美容師を辞めてまでここで働いているというのは、亭主が余程腕の立つ鮨職人ということなんだろうね。
荒川:いえいえ。ではまずタコとアワビの蒸したものをどうぞ。
福田:わあ、美味しそう。
立木:お嬢、ちょっと待ってね。すぐに撮っちゃうからね。
福田:存じ上げております。
立木:はい、どうぞ。
福田:いただきます。うーん、美味しいです。
シマジ:これはどういう料理なんですか。
荒川:タコのほうは40分くらいカツオ節だけで蒸したもので、アワビは3時間くらい酒、水、昆布、塩で蒸したものです。
福田:だからこんなに柔らかいんですね。
荒川:はい。次はしめサバとコハダですが、コハダはバッテラ風に白板昆布で巻いています。
立木:凝っているね。では撮影しよう。こちらにくれる。
シマジ:白板昆布ってあのとろろ昆布の原料ですよね。
荒川:そうです。とろろ昆布を削って削って、最後の1枚になったところをバッテラに使うんです。
立木:撮影は完了。はい、お嬢。
福田:いただきます。しめサバもコハダのバッテラもビックリするほど美味しいです。
シマジ:お茶では寂しいでしょうから、一本おつけしましょうか。
福田:いえいえ、これから会社に帰って仕事がありますから、お茶で結構です。
シマジ:福田さんはランチは抜いていらしたんでしょう。
福田:はい、担当の田中理恵さんから厳重にそう言われていましたから、完全に抜いてまいりました。
荒川:ではおつまみの最後は、長崎の壱岐のマグロの大トロを炙ったものです。立木先生、お願いします。
立木:これも美味そうだね。お嬢、ちょっと待っててね。
シマジ:このあとは握りオンパレードですか。
荒川:そうです。握りはまず平目の昆布締めからいきます。それからマグロの中トロと赤身です。そしてスミイカ。車エビといきましょう。
立木:はい、お嬢、どうぞ。
福田:いただきまーす。うーん、この大トロは口のなかでとろけますね。いままで食べた大トロと比べものになりません。美味しい!
立木:この握りは色味がいいね。ヤマグチ(アシスタント)、もっと下から明かりを向けろ。そうそう、そうだ。OK。ではお嬢、どうぞ。
福田:ありがとうございます!ランチを抜いてきてホントによかったです。それにこんなに美味しいお鮨を食べられるなんて、資生堂に入ってよかったです。
荒川:最後はデザート代わりに厚焼き玉子をどうぞ。
立木:まだあったのか。どうせ写真は4枚しか使わないんだろう。
シマジ:でも一応撮っておいてください。
立木:わかった。ではこのカステラ風な厚焼き玉子を撮ろうか。
荒川:これは毎日文明堂に注文して届けてもらっているんです。
シマジ:アッハハハ。ホントに文明堂のカステラそっくりですね。
立木:はい、お嬢。文明堂のカステラをどうぞ。
荒川:福田さんは女性としては早いですね。もう召し上がったんですか。足りないようでしたらいくらでも握りますよ。
福田:もう十分です。美味しゅうございました。ありがとうございます。ではカステラをいただきます。まあ、この食感はホントにカステラみたいですね。生まれてはじめて食べました。
シマジ:この新鮮な美味いネタを大将は毎朝築地で仕入れてくるんですよ。
福田:毎日ですか。何時に出発するんですか。
荒川:日曜祭日以外は毎朝7時半に大森の自宅をオートバイで出発して、築地に8時半には入ります。行く店は決まっていますので、そこで仕入れて10時過ぎには店に帰ってきて、その夜の仕込みにかかります。仕入れるときは常連さんのお顔を思い浮かべながら、その方の大好物を仕入れるようにしています。
シマジ:そうか。予約が入っているから今夜来るお客の顔が簡単に浮かぶんだね。
福田:常連さんも嬉しいでしょうね。一つお願いしてもいいでしょうか。
荒川:なんなりと、どうぞ。
福田:ボーナスが入りましたら、女子だけで6人で予約してもいいですか。
荒川:どうぞ、どうぞ。喜んで受けさせていただきます。
シマジ:大将は意外と女性に弱いんだね。
荒川:ちがいます。資生堂にどうも負い目を感じているんです。女房もお世話になったことだし。
シマジ:そうか、資生堂の女性に弱いんだ。福田さんがここで女子会をやるときは是非大判振舞いしてあげてくださいね。
荒川:当然です。お任せください。
福田:でもこんな美味しいお鮨を食べるともう回転鮨には行けなくなるかも。
シマジ:若いうちに「知る悲しみ」を知っておいたほうが、人生は幸せになりますよ。
福田:なるほど。わかりました。女子会をここで決行します。そのときはよろしくお願いします。
荒川:こちらこそ。