
撮影:立木義浩
<店主前曰>
ここに一冊の本がある。『銀座 マルディ グラのストウブ・レシピ 和知徹シェフのワールド・ビストロ料理』(世界文化社)、これは和知徹が世界を駆け巡って料理のヒントを得た絢爛豪華な料理本である。料理の写真もじつに美味そうである。しかも定価がオールカラーで1,600円(税別)と安い。家庭で料理を作る人にとって大いに参考になる一冊だろう。1974年、フランス・アルザスで誕生したストウブの鍋は、創業者フランシス・ストウブとポール・ボギューズら名だたるシェフたちの共同開発で生まれたという。どっしりした鋳鉄の鍋は、まさに肉ヤキスト、和知シェフの魔法の鍋である。たとえば長ネギのブレゼにしても、この魔法の鍋に入れれば美味なる蒸し焼きが簡単にできる。独り者はこの本を和知の店に持参すればどんな料理でも作ってもらえるはずである。
シマジ:和知さんはいつ頃から料理人になろうと思ったんですか。
和知:そうですね。高校2年生の頃ですか。じつはわたしはヨーロッパのテキスタイルに興味があったんです。なかでも織物の町リオンの生地が好きで、どうしたらヨーロッパに行けるかと考え、手段として料理人を選んだというのが動機でしょうか。辻料理専門学校を卒業後、お城を改造した辻料理フランス校で学ぶことが出来ました。ただし初めの頃のわたしは、料理人としてはオチコボレの一人でしたね。でも辻静雄校長が作った『料理大辞典』を卒業のときにいただいたのは嬉しかったです。1冊10万円もする豪華な本でした。料理人として芽が出るのが遅く、「平松」で8年修行したあと銀座の「グレープ・ガンボ」で3年働き、それからいまの「マルディ グラ」をオープンしたんです。
金塚:「マルディ グラ」という店名にはどういう意味があるんですか。
和知:フランス語で「肥沃な火曜日」という意味で、謝肉祭(カーニバル)が最高潮に達する最終日を指すんです。アメリカのニューオリンズ・ジャズ・フェスティバルがこの頃に行われるんですが、キリスト教の断食前の、いわば“食べるお祭り”のことを言うんです。
シマジ:なるほど。アメリカの南部にはフランス人の移民が多く行きましたから、その風習が残っているんですね。
和知:外国人のお客さまからは「『マルディ グラ』とはいい名前をつけたね」と褒めてもらうことがよくあります。
シマジ:和知シェフは、若いころから食の一人旅をしていたんですか。
和知:はい。20代早々から世界中を回っていました。
立木:シマジも世界中をかなり回ったようだが、お前はすべて集英社の取材費だろう。和知シェフとはわけが違うんじゃないか。こちらはすべて自腹だよ。
シマジ:まったく仰る通りです。でも若いときこそ世界を回る旅をたくさんしたほうが勉強になりますよね。定年で引退してからよりも百倍その人の人生に役に立つと思います。
和知:その通りです。ですからわたしは一人旅以外にも、うちの若いスタッフを連れて年に数回はニューヨークに行ったり、バスク地方に行ったり、パリに行ったり、フィレンツェに行ったりしています。
シマジ:それは社員旅行としては豪華ですね。
和知:そのせいか、うちの従業員たちは13年から14年はここで働いていますが、辞めた子が1人もいないんです。
シマジ:それは名前からして和を知っている和知さんの、従業員に対する面倒見の良さもあるからでしょう。いまキッチンは和知シェフを含めて3人で、フロアも3人ですね。もし和知さんが急に食の一人旅を思い立ったら大変ですよ。
和知:そうなんですが、新しい料理を仕込みに行くのもわたしの使命みたいなものですから、そのときはみんなに我慢してもらっています。
立木:お客さんにも、だね。それにしても和知徹とはいい名前だね。徹底的に和を知るというのは人生の重要な要諦だよね。島地勝彦より上質だ。むかしから名は体を表すというじゃない。
和知:ありがとうございます。親父が聞いたら嬉しがります。
シマジ:和知さん、「情熱大陸」の取材のときのお話を聞かせてください。あれは実質24分くらいの番組ですよね。現地取材は何日間行かれたんですか。
和知:旅自体は15日間でしたが、カメラマンの方はこの店を含めて、丸々1カ月間はカメラを回していたようですよ。
シマジ:まさに情熱のカメラマンだ。
和知:今回は中央アジアのウズベキスタンをはじめ、カザフスタン、キルギスと回ったんですが、あっ、そうそう、むかしはキルギスもキルギスタンといっていたらしいですよ。あの辺はソ連の支配下のころはロシア正教にさいなまれたらしいですが、いまは大半がイスラム教徒の国に戻っています。でもほかのイスラム教の国とは違い、男性はお酒をこっそり飲んでいましたね。しかもお酒の値段がウォッカでもワインでもビックリするほど安いんです。まあ、飲酒にはゆるいイスラムの国でした。
シマジ:和知さんがはじめて食の一人旅をしたのは20代早々と仰っていましたね。
和知:はい、20歳のときにはじめて食の一人旅をしました。スペイン、イタリア、バレンシア、そしてコートダジュールまで足を延ばしました。そのときにスペインのパエリアや、ミラノのオッソブッコなど、本場の味を体験しました。
シマジ:ああ、オッソブッコというのは仔牛のすね肉の煮込みですね、サフランライスがついている。
和知:そうです。ともかく旅は一人旅に限ります。一人旅にこそ旅の醍醐味がありますね。旅行と旅の違いは大きいですよ。
立木:和知シェフ、いいことを言うね。シマジ、お前がいままでやってきたのは取材旅行だったんだ。一人旅なんて一度もやったことないだろう。
シマジ:まったくありませんね。どこかに一人で行っても、必ず誰かが空港に迎えに来てくれていましたからね。
和知:旅行は複数の仲間でやるものです。
シマジ:なるほど。
和知:そういえば、コートダジュールに行ったときは驚きました。浜辺に寝そべっている女性がみんなトップレスなんです。話には聞いていましたが、いざとなると目のやり場に困ったものですよ。ははあ、これがヨーロッパのバカンスなんだなと思いましたけど。
シマジ:今回の「情熱大陸」の取材旅行は、映像的には和知シェフの食の一人旅風に纏められていましたね。
和知:実際のわたしの食の一人旅もあんなもんです。
シマジ:市場に行って羊を一頭買いましたね。
和知:はい。あれを実際に自分でしめたんです。そしてあのとき世話になっていた家族のために、わたしが料理を作ってあげたんです。
シマジ:みんな美味しそうに食べていましたね。
和知:あそこにいたお父さんはじつはわたしと同い歳で49歳だったんですが、自分の方が老けている、とお父さんは凄くショックを受けていました。
金塚:どう見ても和知さんは49歳には見えませんよね。わたしは40代の前半かと思っていました。そうそう、お肌のチェックをしなければなりませんでした。すみませんが、和知さん、こちらに来ていただけませんか。
和知:わかりました。
金塚:和知さんは西暦何年生まれでいらっしゃいますか。
和知:1967年です。
金塚:ではこのマシンでチェックします。判定が出ました。Dでした。
和知:Dはいい方なんですよね。
シマジ:和知さんはいままでのこの連載を読んでいるんですね。
和知:はい、面白くて全部読んでしまいました。
シマジ:そういえば金塚さんは和知さんの「情熱大陸」の番組はご覧になりましたか。
金塚:ごめんなさい。それが拝見していないんです。
和知:ここに「情熱大陸」のDVDがあります。これをぜひ観てください。
金塚:ありがとうございます。お借りします。今度主人と必ず来ますから、そのときお返しします。
和知:どうぞ、どうぞ。