
撮影:立木義浩
<店主前曰>
わたしが自分の仕事場にプライベートバー「サロン・ド・シマジ」を作る以前は、毎晩のようにいろいろなバーに通っていたものである。
「バーカウンターは人生の勉強机である」この言葉は当時もいまも確信を持って力説している。
バーマンたちはまるでマジシャンのように手際よくカクテルを作り、お客の自慢話から悩みまで、神父のようにニコニコしながら聞いてくれるのだ。
シマジ:杉山さん、今日は酔ってしまったってホントですか。
杉山:はい、少し。伊藤さんが作ってくださったカクテルがとても飲みやすくて美味しかったので、一気に飲んでしまいました。
シマジ:じつはいままで杉山さんに飲んでいただいたものは、カクテルも水割りもハイボールも、すべてノンアルコールだったんですよ。
杉山:えっ、そうだったんですか。
シマジ:わたしは資生堂の担当の田中さんから、今回ゲストとして来ていただく杉山さんはお酒が全然飲めない方だと聞いていましたから、伊藤バーマンに事前に頼んであなたの飲み物はすべてノンアルコールにしてもらったんです。
杉山:お気遣いありがとうございます。じつはわたしはアルコールに弱い体質なんです。結婚前、夫の誕生日のお祝いにとわたしが予約した高級レストランに行き、シャンパンで一緒に乾杯したことがあったんですが、緊張して飲み過ぎてしまったのか、気がついたら床に寝てしまっていました。自分で招待しておきながら、結局彼が支払いを済ませてくれていました。今思い出しても、本当に恥ずかしい失態です。
シマジ:そのとき彼は、このコにはおれがついていてやらないと、とおそらく思われたんでしょうね。それから何年後に結婚したんですか。
杉山:ちょうど1年後です。
立木:なかなかいい話じゃないの。それまであなたは彼に片思いだったんじゃないの。
杉山:じつはそうでした。それにしても今日いただいたのがすべてノンアルコールだったとは驚きました。伊藤さんはまるでマジシャンですね。
伊藤:いえいえ、シマジさんから事情を聞いて、ノンアルコールで、と頼まれたのでそうしたんです。
杉山:それでよかったと思います。アルコール入りをまともに飲んでいたら、いまごろ床に寝ていたかもしれません。ありがとうございました。
シマジ:あれくらいまともに飲んだら床に寝ているどころか、救急車を呼んでいたかもしれませんよ。そんなことをしたらご主人に怒られますよ。
立木:じゃあおれが撮ったカクテルもノンアルコールだったのか。シマジ、ちゃんとアルコール入りのカクテルで撮り直ししようじゃないか。
シマジ:まあそれはジョークとしても、わざわざ撮り直そうと言うタッチャンの執念は凄いね。
立木:フェイクはレンズを通すと必ずバレるものなの。まあ今回は大丈夫だけど。
シマジ:本物志向のタッチャンらしくていいですね。ところで杉山さんはどうして資生堂に入りたいと思ったんですか。
杉山:もともと美容に興味が強いタイプではなかったんですが、成人式の準備に化粧品を購入するため、母に連れられてデパートの化粧品カウンターにはじめて立ち寄ったのが、資生堂でした。そこで生まれてはじめて、自分に合ったスキンケアやメーキャップを親切に教えていただいたんです。初心者だったので沢山購入したわけでもなかったのですが、とても丁寧に対応していただき、購入後嬉しくてワクワクした気持ちで帰宅したことをいまでも覚えています。そのときに対応してくださったビューティーコンサルタントの方がキラキラして見えて、とても印象に残っていたため、就職活動は迷わず資生堂を受けました。現在は、資生堂公式オンラインショップ「ワタシプラス」のブランド施策を担当しております。
シマジ:なるほど。運命の女神が資生堂に導いてくれたんでしょうね。ところで伊藤バーマンは、どのような経緯があってここにバーマンとして立っているんですか。
伊藤:最初は茨城県の古河にあった「DEEP」というバーに勤めたんです。当時は住む家もなく、そこの高田マスターの提案で、会社の事務所にベッドを置かせてもらって寝泊まりしていました。高田さんに出会わなければ、この世界には入っていなかったでしょう。
シマジ:うん、たしかに人生にはそういう運命的な出会いというのがありますね。
立木:シマジが集英社に入社することもなく、出版界で有名な本郷保雄さんと出会うこともなかったとしたら、おれたちの出会いもなかっただろう。そうしたらおまえは一体なにをしていたんだろうね。
シマジ:そう考えると人生って怖くなることがありますね。伊藤さんはそのバーには何年お世話になったんですか。
伊藤:ぼくは生まれつき飽きっぽい性格なんですが、高田さんのところでは3年弱働かせていただきました。それから東陽町のホテルに移り、ホール担当だったんですが、そのホールにバーカウンターがありまして、ぼくはもっぱらバーの仕事をするようになったんです。そんなある日「CASK strength」という名前の格好いいバーがあるのを知って飲みに行ったんです。それがここの店でした。すぐに働きたいと思ってお願いしたら、早速面接していただき一発で採用されたんです。まあ篠崎社長に拾ってもらった感じですかね。
シマジ:伊藤バーマンの明るさと、お酒が大好きだということが決め手になって篠崎社長が雇ってくれたんではないですか。
伊藤:その後篠崎社長にはいろいろと高価でオールドレアなシングルモルトを飲ませていただきました。とても勉強になりました。
立木:バーマンとしていい酒の味を知らないとお客に勧められないものね。それは重要なことだよ。
シマジ:篠崎社長が伊藤バーマンの才能を認めたからこそ、取締役にして独立第1号の「CASK strength」をこうして任せているんですよ。
伊藤:ありがたいことだと感謝しています。でもお酒の世界は知れば知るほど奥が深いですね。
シマジ:スコットランドに行かれたことはあるでしょうが、どこの蒸留所がよかったですか。
伊藤:それぞれの蒸留所に個性があり、香りも味も違っていてどこも好きですが、アイラ島のラガブーリンで飲んだ18年ものは出色でしたね。
シマジ:ああ、ラガブーリンの蒸留所でしか飲めないあれですね。
伊藤:現地でしか飲めないありがたさのバイアスがかかるんでしょうか、あれは美味かったですね。それから篠崎社長にご馳走してもらったんですが、ボウモアの1964年はいまでも舌が味を覚えているくらい美味かったですね。
立木:たしか西麻布に「ボウモア」という、ボウモアだけ売っている洒落たバーがあったよね。
伊藤:はい、わたしも一度行ったことがありますが、残念なことにいまはありません。
シマジ:あそこはいいバーでしたね。こんなにシングルモルトが流行る前に締めちゃったのがじつに残念ですね。いまやっていれば大繁盛していただろうにね。わたしはあの店にはよく行きましたよ。あのころたしか他に「オールドパー」という店もあったような記憶がありますね。
杉山:シマジさんが日本のウイスキーでいちばん好きなのはなんですか。
シマジ:杉山さん、いい質問です。わたしが日本のウイスキーのなかで一番好きで、これまで一番飲んだのは、サントリーの山崎ミズナラです。いまでは幻のウイスキーになってしまいました。ミズナラシリーズは2010年から発売されて、2014年を最後にそれ以降は出ていません。杉山さん、もしどこかで機会があったら香りだけでも嗅いでみてください。はじめは白檀の香りがして、アフターノートは桃の香りがします。
立木:シマジ、山崎のミズナラを飲ませろ。お前のバーにはあるんだろう。
シマジ:まあほんの少しなら。じゃあ今度の撮影のときにね。