
撮影:立木義浩
<店主前曰>
間口一就バーマンは『バーの主人がこっそり教える味なつまみ』(柴田書店)という本も上梓している。その本がなんと7刷も版を重ねているという。序文に間口バーマンはこう書いている。
「私は料理人ではありません。レストランで働いたこともありません。調理師学校も行っていません。ただ一介のバーの主で、バーテンダーです。でもつまみがとっても大好きです。」(後略)
なんのなんの、間口バーマンはそう言いながら、170種類ものつまみの作り方を公開している。それらのカラー写真を見ているとどれもこれも食べてみたくなってくる。
また、美味しく作るコツはという問いに対して、彼はこう答えている。
1 つくる前に頭で何度も想像しながら、段取りを把握すること。3回くらいイメージしておくと、失敗の数がかなり減りますよ。
2 常に片付けながら調理を進めて行くこと。台所が散らかっていては、いけません。美味しさ半減です。テーブルの上の美味しさは台所の美しさに直結しています。
3 最後に、だれかの為につくること。自分自身だと、まっいいかぁと甘えで逃げられるけど、ひと様のためなら手を抜けません。それに「おいしい!」と誉めてもらえるチャンスです。誉められるほどに腕は確実に上がっていきます。
しかもこの170種類のつまみに合う酒は、『ロックフィッシュ』の看板である、冷蔵庫でキンキンに冷やした角瓶と炭酸とレモンピールで作る氷なしのハイボールだと宣伝しているのが、また憎いではないか。
シマジ:14年間も同じところでバーをやっていると、どうですか、客層というか、お客さまがどんどん入れ替わっていくということもあるのではないですか。じつはわたしはにわかバーマンになって5年目に入りましたが、オープン当初毎週のように来てくれていたお客さまがまったく来なくなったりするんですよ。彼はどうしているのかな、とバーマンとして気になることがたまにあります。
間口:そうですね。お客さまは集団でどんどん変わっていくものですよ。そういうバーが繁盛するんじゃないでしょうか。川の流れのようにお客さまが変わっていく、と言うとオーバーですが、淀まないことも重要なことですね。ところでサロン・ド・シマジでは、シマジさんは常連のお客さまの名前を呼び捨てにしていましたね。わたしもいつか「マグチ」と呼び捨てで呼んでもらいたいなあとあのとき思いましたよ。
シマジ:たしかに気がついたら、相手はお客さまだというのに「モリタ」とか「ムラカミ」とか「サノ」とか呼び捨てにしていましたね。ですが、決してぞんざいにそうしているわけではありません。このレトリックは若いころ今東光大僧正に教わったんですよ。今大僧正は自分より若い相手を「ヒグチ」や「シマジ」と呼び捨てにしていましたけど、そこにはお互いに通じ合う親しみが込められていたんです。はじめて会った人に対しては「○○○君」と呼んでいましたね。
立木:おれが「シマジ!」と呼び捨てにしているのは、シマジの「被害者の会」の会長をしているからなんだよ。
高橋:男の人って面白いですね。呼び捨てで呼ばれないとまだ親しくない関係ということなんですか。
シマジ:そうですね、高橋さんが仮に男だとして、友情を込めて「タカハシ!」と呼ぶようになるには、ちょっと微妙な時間がかかりますね。
間口:大切なお客さまをあんな風に呼び捨てにしているバーは世界中どこにもないと思いますよ。でもそこがまたユニークで、サロン・ド・シマジが流行っている所以かもしれませんね。
シマジ:まあ、うちのバーは伊勢丹メンズ館の8階にありますから90%は男性客ですからね。体育会ぽい雰囲気でワイワイ騒いでいるんですよ。
シマジ:でも間口バーマンも常連を大事にしているでしょう。
間口:それはそうです。バーは常連のお客さまでもっているようなものですから。
シマジ:わたしは25歳で編集者になってからいろんなバーに通いましたが、いまはなくなってしまった赤坂のカナユニというレストランバーによく行きました。そこでオープン当初カウンターに立たれていた塚本バーマンという方がいたんです。そのころすでに80歳を越していたんですが、わたしは酒の飲み方はその塚本さんに教わりましたね。
塚本さんは、バーマンとは絶対に喧嘩するなとも言っていました。
間口:喧嘩などしたら大損でしょうね。えこひいきも受けられなくなりますからね。
シマジ:塚本さんは、例えばハイボールにフケを入れることだってバーマンにとっては朝飯前だと言っていました。
間口:ああ、思い出しました。シマジさんのエッセイでアル・カポネのスピークイージーで働いていた方ですね。
高橋:スピークイージーってなんですか。
シマジ:1920年代のアメリカは禁酒法の時代だったんです。ですからこっそりコーヒーカップなどでバーボンを飲んでいたんですが、どこそこでバーボンが飲めるとわかると男どもは黙っていられず、簡単に(イージーに)喋ってしまうというところから、アルコールを密売する場所を「スピークイージー」と言っていたんです。
高橋:洒落た呼び方ですね。
シマジ:アメリカ文化も捨てたものではないでしょう。ところで間口さんは、シェーカーを振るんですか。
間口:あれはただの飾りです。うちのバーでは99.99%、ハイボールが飲まれています。
高橋:すみません。もう一杯お代わりしてもいいですか。
間口:高橋さんはイケますね。嬉しいです。
シマジ:わたしももらおうかな。
立木:じゃあおれにも1杯作ってくれる。
間口:喜んで。3杯作りましょう。そうだ、思い出しました。お客さまがバーに来なくなるケースのひとつとして、結婚がありますね。奥さまに財布の紐を握られてしまうんでしょうか。途端に来なくなりますね。
シマジ:それはわかる気がしますが、結婚するときに男性が収入をすべて明らかにして女房に渡してしまうのは日本人だけだと聞いたことがあります。欧米では考えられない行動のようですよ。
間口:やはり最初が肝心なんでしょうね。
シマジ:そういえば、最近の日本のサラリーマンの平均的な小遣いが1ヵ月3万8千円だと聞いたときはゾッとしましたよ。
間口:それで結婚しない男性が増えているんでしょうか。
立木:シマジなんかひと晩で使ってしまう金額だろう。
シマジ:それはひと晩というより一軒という金額ですね。それにしてもここロックフィッシュは安いですよね。
間口:たしかにここで1人1万円使うのは大変なことですよ。
シマジ:たとえばハイボールを10杯飲んだとしても税込みで1万800円ですものね。
間口:そんなにうちで飲んだら大変ですよ。角瓶をほとんど一本飲んだことになりますから。
シマジ:平均で何杯くらい飲んで行かれますか。
間口:そうですね、普通、2杯から3杯というところですかね。
高橋:すみません。わたし、とっくに4杯はいただいていますよね。
間口:高橋さん、そんなこと気にしないでください。あくまでも平均ですから。