
撮影:立木義浩
<店主前曰>
先月のことだが、歌舞伎座で海老蔵の「助六」を観た後、「特選とんかつ すぎ田」に、元書生のカナイと、タニ、ユズキを連れて駆けつけた。通常8時に閉店する店を、特別に9時まで開けてもらうというえこひいきでもって、我々はとんかつを食べることができたのだった。
無理を承知で電話を入れると、いつも店で働いているお母さんが出た。
「シマジです。すみませんが、マスターに代わっていただけますか」とわたしが言うと、電話を代わった相手はマスターではなく、だが妙に聞き慣れた男性の声がした。その声はこう言った。
「あまりにもここのとんかつが美味いので、休みの日だけ丁稚奉公をしているタルサワです」
タルサワは美食家で稀代のユーモリストである。その彼がまた店に来てとんかつを食べていたのであった。電話の主がわたしだとわかり、イタズラしたくなったのだろう。
「タルサワ、マスターに代わってくれる。マスター、今夜どうしても『すぎ田』のとんかつを食べたいというやつがわたしを含めて4人いるんですが、歌舞伎が終わるのは8時40分なんです。なんとか1時間延長して営業をしてもらえませんか」
「わかりました。シマジ先生のために店を開けて待っています」
マスターは二つ返事でえこひいきを約束してくれた。感激しながらスパイシーハイボールセットを持って駆けつけたのはいうまでもない。タリスカー10年、サントリー山崎プレミアムソーダ、ピートで燻製をかけたブラックペッパー、それにプッシュミルのセットである。
すぎ田のとんかつを初めて食べた3人の仲間は、感動のあまりホッペを落として帰ってきた。そのうち拾いに行くことだろう。
シマジ:お父さんがここに店をオープンしたのは29歳のときでしたか。
佐藤:そうです。それまで親父は、いろんな店で修行していたそうです。
シマジ:いろんな店と言うと?
佐藤:中学を卒業すると、最初は大宮のとんかつ屋に住み込みで丁稚として働いたそうです。当時の丁稚奉公は店に寝泊まりしていたそうですね。それから親父はもっと料理のことを覚えたいと考えて調理学校に入学して、洋食の道を選んだそうです。その後は飛行機の機内食のコックをやったり、海外にも行ったり、いろんな店で修行を積んだんですが、最終的には振り出しに戻って、ここでとんかつ屋を始めたんです。
シマジ:それじゃあ並みのとんかつ店とはわけが違いますよね。
佐藤:日本一のとんかつを揚げようと考えていたと言っていましたね。
シマジ:この脂っこくないさわやかなとんかつは、まさにお父さんの発明なんですね。
佐藤:油は最初の頃からオランダのラードを溶かして使っています。2つの鍋を使って、温度を変えて揚げているんです。
シマジ:オランダから輸入したラードを使っているんですか。だからこんなに軽く揚がっているんですね。
佐藤:そうだと思います。
シマジ:お父さんはもともと浅草の方なんですか。
佐藤:そうです。ここから目と鼻の先で親父の親父、つまりぼくの祖父が帽子屋を営んでいたんです。祖父は学生帽協会の会長をしていました。親父は浅草の町が大好きだったようです。ですから修行の末、ここに戻ってきたんでしょう。とんかつ屋をオープンすると同時に、いまでも店を手伝ってくれている母と結婚したんですが、もともとここは母の実家で魚屋を営んでいたんです。
シマジ:「すぎ田」という屋号は?
佐藤:親父の旧姓です。
立木:話が面白くなってきたところで、ごめん。3人で一緒にレンズを見てくれる。シマジ、なんか面白いことをいって2人を笑わせろ。
シマジ:そう急に振られても、わたしはタレントじゃないんですから・・・。そうだ、スコットランドで乾杯するとき、必ず「スランジバー」と言うんです。スランジーと言って口を横に開いたままキープしましょう。
全員:ジーーーー。
立木:それいいじゃない。いつもスランジーーーで行こうか。
シマジ:佐藤マスターはいつごろから店を手伝っているんですか。
佐藤:手伝うと言っても、初めはトイレ掃除ぐらいでしたけど、高校生になってからですね。
シマジ:ここは家族経営ですものね。
佐藤:はい、いまも母と妻に手伝ってもらっています。
國司:油も高級ですが、パン粉も細かくてスグレモノですね。先程のお話で、「ペリカン」というパン屋さんの特製でしたか。
シマジ:その話を最初にわたしに教えてくれたのは、柘製作所の柘社長と三井常務です。
佐藤:そうでしたか。お2人には1週間に2回は食べにきていただいています。そうだ、シマジさん、今度いらっしゃるときは前もって言ってください。ペリカンの食パンとロールパンを買っておいて差し上げましょう。美味しいですよ。
立木:シマジ、お前はまた自分だけえこひいきされたいのか。
シマジ:すみません、佐藤マスター、タッチャンの分もお願いできますか。帰る途中、わたしが立木事務所にパンを運ばせてもらいます。まったくタッチャンはヤキモチ焼きなんだから。
國司:お2人はホントに仲がよろしいんですね。
立木:たんなる腐れ縁だね。シマジに会ったらもうおしまい。こんなふうにこき使われて早40年過ぎてしまいました。
國司:そんなに古いご関係なんですか。
シマジ:ここにいるみなさんが生まれる前から、タッチャンとは一緒に仕事をしていましたよ。あっ、お母さんは別にして、ですよ。お母さん、なにか一言お話してください。
母:そうですね、主人はとんかつをお総菜のひとつではなく、立派なご馳走にしたいといつも言っておりました。
立木:さすがにお母さんの言うことは違うね。たしかにとんかつって家庭でも揚げようと思えば揚げられるし、スーパーでも売っている。でもこの店のとんかつは、まるっきり格が違うと感じるね。お母さん、あとで息子さんと2人の姿を、暖簾をバックに撮らせてもらえますか。
母:えっ、こんな偉い先生にわたしまで撮ってもらうなんて・・・。
シマジ:お母さん、せっかくですから撮ってもらったほうがいいですよ。ところで佐藤マスターは、いつごろからお父さんと2人でカウンターのなかに立たれたんですか。
佐藤:大学卒業と同時に親父の隣に立っていました。
シマジ:じゃあ、しっかり手取足取り教えてもらったんでしょう。
佐藤:それが、そうじゃないんです。親父は多分、教え方というものを知らなかったんじゃないかと思うほど、なにも教えてもらったことがないんですよ。
立木:おれがやっているのを見て技を盗め、とお父さんの背中に書いてあったんじゃない?
シマジ:大学を卒業して家業を継いだのに、そうだったんですか。
佐藤:はい。でも自分なりに研究してはいました。学生の頃から評判のとんかつ屋には何度も通いましたし。とんかつ以外でも、美味しいお店にはいまでも出かけて行くようにしています。
シマジ:ここの休みは木曜日でしたよね。だから行けるんだね。
佐藤:浅草は江戸時代からの古い町ですから、うなぎ、てんぷら、すし、そばの有名店が沢山ありますよ。
シマジ:とんかつっていつごろからのものなんですか。
佐藤:大正の末期に上野御徒町あたりから流行りだしたようですね。