
撮影:立木義浩
立木:シマジ、資生堂からお越しいただいたお嬢に、そろそろなにかと訊く時間じゃないの。
シマジ:そうでした。川口さんがそもそも資生堂に入社しようと決心したきっかけはなんだったのですか。
川口:はい、大学2年のとき、ふらりと入った書店で移動時間にでも読もうと何気なく手に取った林真理子さんの『コスメティック』という小説を読んで、絶対化粧品業界に入ろうと、まずは業界を決めました。
シマジ:そのように一遍の小説がきっかけで一生の職業を選んだりする気持ち、わたしにはよくわかりますよ。わたしが編集者になろうと決心したのは、イタリア映画のフェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』を観たからです。芸能記者役のマルチェロ・マストロヤンニがあまりに格好よかったので、集英社を受けたんです。
立木:そうやってシマジが編集の世界にやってこなければ、お前とおれとの出会いは生涯なかったろうな。考えてみると、人間の出会いって不思議なものだよね。
シマジ:そうです。川口さんが資生堂に入社していなければ、こうしてお目にかかることは不可能だったでしょう。そして川口さんは、今日こんなに美味しいフレンチを召し上がっていなかったでしょうね。
川口:ホントにそうですね。資生堂に入ってよかったです。第一、わたしなどモデルでもないのに、天下の立木義浩先生に撮影していただくなんて、最高に光栄なことです。
立木:嬉しいことを言ってくれるじゃない。じゃあもう一枚撮ろう。お嬢、レンズをちょっと見てくれる。そうそう、OK!
シマジ:川口さんが化粧品業界の中でも資生堂に決めた理由はなんですか。
川口:ちょうどそのころ化粧品専門店に足を運ぶようになり、ディスプレイされているブランド「キオラ」のパッケージが独特で面白く思い、店頭のBCさんに「なんでこのボトルは歪んでいるんですか」と訊いたときに、そのブランドコンセプトが斬新だったことが印象的でした。また、大阪の梅田地下にあるドラッグストアの中の、資生堂の売り場から放たれる活気づいたオーラにいつも魅了されていました。そこで資生堂の各ブランドが放つ個性や世界観に触れては感動し、化粧品メーカーなら資生堂しかない、絶対に入る!と気持ちがかたまっていきました。
シマジ:とは言っても、資生堂に入社するのは簡単ではなかったでしょう。
川口:おそらく、絶対に資生堂に入りたい!という執念のようなものが、私の全身から滲み出ていたんでしょうね。
シマジ:ただ学科ができても、就職試験は運が左右しますよね。
立木:シマジなんか運だけでここまで生きてきたようなもんだよな。
シマジ:そうですね。76歳になってつくづく思うのは、人生って「運と縁とえこひいき」ではないかということですね。どんなに実力があっても上からの引きがないと、サラリーマンの世界で出世して自分の思い通りに仕事ができるようにはなりませんものね。川口さんは念願の資生堂に入社して、どういうお仕事をなさっているんですか。
川口:資生堂が運営するWEBサービス「ワタシプラス」からLINEの公式アカウントが誕生しました。そこでお店の情報、オンラインショッピング、化粧品や美容の情報など、さまざまなコンテンツを提供するための、企画立案と運営を担当しています。具体的にはLINEのお友だちに向け、各ブランドの情報発信、ブランド担当者との調整やLINE限定キャンペーン企画、無料公式スタンプ企画などを実施しています。一方で新しいデーターベースを活用した企画や、新しいシステム開発・導入に向け、パートナー会社さまや専門分野の担当者と連携し、LINEの向こう側にいるお客さまとのONE TO ONEコミュニケーションの活性も日々考えています。
立木:いまお嬢が説明したことをシマジは理解できたのか。
シマジ:まったくわかりませんでしたが、ともかく、ネットの時代になったということなんでしょうね。これを読んでいる若い読者は理解していると思いますよ。理解できないのはタッチャンとわたしだけでしょう。わたしはネットでモノを買ったことがまだ一度もないんですから。タッチャンもそうでしょう。
立木:そんなわかったことを訊くんじゃない。
シマジ:川口さんが資生堂に入社したころのお話をしてくれませんか。
川口:はい、入社した2005年4月から資生堂販売株式会社北九州支店に配属になり、化粧品専門店の営業担当からわたしの資生堂人生がはじまりました。北九州に赴任して、はじめは担当エリアの広さに戸惑いましたが、人口3万人ほどの小さな街の化粧品専門店から、商業施設にテナントとして多数展開している企業型化粧品専門店など、個性のある幅広い得意先を担当させていただきました。
シマジ:北九州支店には何年いたんですか。
川口:2008年4月に小田原支店に転勤になるまでの3年間です。転勤が決まったことを当時のお得意先の奥さまに告げたとき「川口さん、あなたが担当になってくれていままでありがとう。短い間ではありましたけど」というコメントを添えた発注書をいただいて、胸にこみ上げるものがありました。あの頃の経験が、資生堂におけるわたしの現在の活動の原点であると思います。
シマジ:うーん、とてもいいお話ですね。仕事をしていてこみ上げる感動を体験したというだけでも、資生堂に入社した価値が十分あったということですね。
川口:ありがとうございます。赴任地2カ所目となる小田原時代は、資生堂支社にとっていちばんの拠点となる担当店で、我が社の最高級ブランドを導入すべく、社長や従業員やセクションBCが一丸となって店頭活動に一層熱を入れて取り組み、毎日ブランド導入への想いや活動好事例、売り上げ詳細などを記入した日報で日々コミュニケーションをとっていました。無事導入に至ったときの達成感とお店の方々の喜ばれる姿はいまでも忘れられないのですが、そのときのチームBCがなんと世界大会で入賞したのです。日々の店頭活動、プラス、練習に励む姿をそばで見ていたので本当に嬉しかったです。BCさんの対応スキルや情熱があれば、施策はなんにもいらないのではと思うほどでした。
立木:シマジ、いままでのお嬢の話わかるよな。
シマジ:感動的な現場のお話、よくわかりましたよ。
川口:生まれ育った関西の地元を離れ、新入社員で北九州に配属になり、新しい土地で社会人デビューを果たし、心身ともに張り詰めた毎日で、予想した通り、遠距離恋愛も終了し(笑)、毎日仕事が終わると深夜からでも上司や先輩やBCさんたちと食事をしていました。でもそこで、仕事の話からプライベートな話まで、地元から離れた土地で家族のように多くの時間を共に過ごせる仲間がいたことで、気持ちが本当に支えられました。と同時に、九州も小田原も新鮮な魚をはじめ美味しいものが沢山あったので、かなり太ってしまいましたけど・・・。それに営業は泥臭い作業が多々あるので、イベントのときなど重たい荷物をハイエースに積んだり、棚卸しの日には商品の出し戻しをしたりなど、二の腕もかなりたくましくなりました。
シマジ:まさに男顔負けの仕事をしていたんですね。
川口:入社当時、社会人になる自分に向けて願掛けのように買った一張羅のジャケットがあるのですが、日々の営業活動で汗や涙をずいぶん染み込ませたと思います。サイズもパツパツになり、間もなく着られない状態になってしまいましたが、いまでも大切に持っています。あっ、そうそう。田坂シェフにお肌チェックをしないといけませんでした。田坂さん、こちらに座っていただけますか。
田坂:ここでいいですか。
川口:はい。田坂シェフは西暦何年生まれですか。
田坂:1973年です。
川口:お肌に透明感がありますね。計ってみましょう。・・・まあ凄い、Dでした。
田坂:Dはどうなんでしょうか。
シマジ:いいほうですよ。普通はEが多いんです。田坂シェフは賄い料理でもやっぱり美味いものをよく食べていらっしゃるんでしょう。それに、今日の謝礼として資生堂からいただくSHISEIDO MENの化粧品を毎日使えば、すぐにCになり、Bも夢ではないですよ。