
撮影:立木義浩
井上:このメゴチは東京湾で捕れたものです。これがいわゆる江戸前です。ですから姿形に品があるでしょう。
シマジ:メゴチってむかしは2月、3月の魚でしたよね。
井上:そうなんですよ。銀宝も本来4月の魚でしたが、だんだん捕れる時期が遅くなってきています。海水の温度の関係でしょうか。しかも銀宝を捕る漁師がどんどん少なくなってきているんです。シマジさんが若いときは一人で5匹ぐらい食べられたと思いますが、いまでは一人一匹の、貴重な限定品になってしまったんです。
シマジ:今日は取材だからと言って3匹も揚げていただき、大変感謝しております。そうだ、メゴチも揚げる前にヌードを撮ってもらいますか。
井上:立木先生、ぜひお願いします。
立木:ではここに置いてください。早速メゴチのヌードを撮ろう。うーん、なかなかセクシーだ。タカギ、ストロボをそこから一発たいてくれ。
タカギ:了解しました。
立木:よし、メゴチのヌード撮影は終了!
井上:では揚げますね。揚げたメゴチをまた撮影してくださいね。
立木:もちろん、やわらかな黄色の衣をまとったメゴチも撮らせていただきます。
井上:はい、揚がりました。ここに置いていいですか。
立木:タカギ、レンズをカウンターの上に置くんじゃない。カウンターは店の命なんだぞ。
タカギ:申し訳ありません。
井上:やっぱり立木先生は人格者ですね。
立木:これは常識ですよ。はい、化粧したメゴチの撮影は完了!
シマジ:では清水さん、銀宝の次はメゴチを召し上がってください。これもスグレモノの天ぷらですよ。
清水:いただきます。うーん、美味しい!感激です。いままで食べたメゴチの天ぷらはなんだったんでしょうか。驚きました。
シマジ:次はハマグリといきましょうか。
井上:ハマグリは細かく切って揚げますね。ハマグリのヌードも撮影しますか。
立木:こうなったら、なんでも撮りますよ。
井上:ではどうぞ。
立木:これは簡単だ。はいOKです。
井上:では揚げますね。魚よりちょっと時間がかかります。
シマジ:大将、最後は豪華絢爛にここの特別天丼をお願いします。
井上:畏まりました。シマジさんが現役時代から召し上がっていた“シマジスペシャル天丼”といきましょう。
立木:ここでもシマジはスペシャルを作ってもらっていたのか。とんでもないやつだな。
井上:この話をシマジさんがエッセイに書いてくれたお陰で、よく“シマジスペシャル丼”をくださいと言われるようになりましたよ。
シマジ:へい、それは嬉しい話ですね。
恭兵:昨日もランチタイムに男性のお客さまに言われましたね。
井上:ではハマグリが揚がりました。
立木:なるほど。こうして最初から醤油を垂らしているんですか。ではタカギ、行くぞ。
はい、ハマグリも一丁あがり。
シマジ:清水さん、どうぞ、これも乙な味がしますよ。
清水:大きなハマグリですね。いただきます。細かく切っているから食べやすいです。美味しい!
井上:では最後の出し物は“シマジスペシャル丼”といきましょうか。
立木:なんかシマジの紐付きみたいで嫌だけど、この際、撮るしかないか。
井上:多分、立木先生、これがいちばん絵になるでしょう。なにしろ派手ですから。
立木:そうか。シマジを天ぷらにしたみたいに派手なんだな。タカギ、ライトを強く、ここに直接あててくれ。
タカギ:畏まりました。
井上:はい。“シマジスペシャル丼”の完成です。
立木:たしかにこれは派手だわ。タカギ、もっとライトを強くしろ。
清水:わあ、これをわたし一人でいただくんですか。
シマジ:はい、撮影が終了したら召し上がってください。
清水:凄いボリュームですね。
シマジ:美味しいから大丈夫です。
立木:“シマジスペシャル丼”、撮影終了!
シマジ:さあ、清水さん、どうぞ。
清水:美味しそうです。いただきます。
恭兵:この間女性のお客さまがいらして、最後に一人でペロリと召し上がって行きましたよ。
立木:シマジの元愛人じゃないだろうな。
シマジ:それは企業秘密です。恭兵君、それ以上言わなくてもいいんだよ。
清水:凄い天丼ですね。エビ、穴子、稚鮎、子タマネギ、ヤングコーン、いろんなモノが沢山入っていますね。うーん、たしかに美味しいです。
シマジ:清水さんは資生堂の代表者としてじっくり味わってください。
清水:いけない! わたしとしたことが食べる前にスマホで撮るのを忘れていました。
シマジ:大丈夫です。天下の立木巨匠があなたの代わりに撮影していますから、連載が開始になったらお友達に見せて自慢してください。
清水:はい。自慢させていただきます。
シマジ:むかしここのカウンターに、大将が編集長をした手作りの小冊子がありましたよね。
井上:よく覚えていますね。ありました。もう発行していませんが、多分まだ数冊残っているはずです。おーい、2階から「天兵ず倶楽部」を持ってきてくれない。
女将:はい、はい。これですね。
立木:おっと、女将さんがやっと姿を現わしたぞ。
女将:ごめんなさい。今日はお化粧もしていませんから。
立木:そう言わず、カウンターの向こうで息子さんを挟んで並んでくれない?
シマジ:うん、これはいい光景です。一家で商っている感じが出ていて、とてもいいですよ。
立木:もう少し笑ってよ。
シマジ:はい、笑いましょう。と言っても難しいよね。
立木:そんな感じ、OK。
清水:その「天兵ず倶楽部」の“ず”ってどういう意味なんですか。
井上:これは英語のアポストロフィーの意味です。
シマジ:天兵の倶楽部という意味だったんですか。でも大将が自ら編集長をして、表紙も手描きの絵にして、中身は手書きの原稿をそのまま印刷したんですね。
井上:ぼくは武蔵高校のころも美術部でしたので、絵を描くことが大好きなんです。
シマジ:当時は何部作っていたんですか。
井上:非売品で400部作っていました。
シマジ:発行形式は?
井上:年に2回か1回でしたか。
シマジ:そうそう。ここにある井上兵次一代記は面白かった記憶があります。清水さん、見てください。ここに書いてあるでしょう。「その日兵次少年は、集金先からお金はもらえなかったと嘘を言い、懐にした大枚35円をギュッと握りしめ、日が暮れるのを待った。夜陰に乗じてひたすら駅に向かう少年の脳裏に、先程別れを告げた愛馬とのせつなくも哀しい決意がよぎる」
井上:そうなんです。親父は佐賀の有田焼の窯元へ薪を配達する仕事をしていまして、馬車をつかってやっていたそうです。とにかく3日3晩佐賀から夜行列車に乗って、まだ会ったこともない小石川の親戚を頼りに、家出同然で夢中で上京してきたんです。ところがいざ訪ねてみると、8人も子どもがいる親戚の家ではとても面倒をみられないと断わられ、途方に暮れて、たまたま通りかかった天ぷら屋に入ったそうです。そこで食べた天ぷらの美味さに驚き、小僧として店に雇ってもらったのが、大きく言えばこの「天兵」のルーツだったんです。
立木:うーん、面白い話だ。NHKの朝ドラにでもなるような話だね。
シマジ:今度わたしの「全身編集長」を作ってくれたNHKの鈴木真美プロデューサーをここに連れてきましょう。
立木:シマジ、また新しい女ができたのか。
シマジ:違います。れっきとした男の敏腕プロデューサーですよ。ともかく天兵の先代は、まさに笈を負って有田から上京したんですね。じつに感動的です。
井上:ありがとうございます。