
撮影:立木義浩
シマジ:ブルックラディというのはゲール語でしょうが、これはどういう意味なんですか。
島田:まずゲール語の発音を無理矢理英語で表記していますから、スコットランドの蒸留所の名前は読みにくいものが多いんです。
シマジ:たしかにこのスペルをそのまま読むと、BRUICHLADDICHはブルックラディックと読みたくなりますね。
島田:ですから生粋のスコットランド人でさえ、ゲール語を知らないとちゃんと発音できないそうです。それでブルックラディの意味ですが、「海辺の丘の斜面」という意味だそうです。
シマジ:なかなか牧歌的ないい名前ですね。
島田:向こうでは愛称として「ラディ」と言われています。
シマジ:その愛称を島田さんは店の名前にしたんですね。
島田:それが、「コウイチ、お前のバーの名前はラディにしろ」と有り難くもジム・マッキューワンさんが命名してくれたんです。そしてオープンのときにジムが自ら手書きで書いてくれものを店の看板やロゴにさせてもらったんです。
シマジ:ジムと島田さんの年齢の差はどれくらい離れているんですか。
島田:そうですね。30歳とちょっと離れています。ジムはもう引退していますが。
シマジ:ジム・マッキューワンはわたしと同じくらいですか。
島田:シマジさんはいまおいくつですか。
シマジ:76歳ですが。
島田:ジムのほうがちょっと若いと思います。彼は生まれついてのアイラ島の住人で、16歳のときから蒸留所で働き出したと言っていました。
シマジ:日本では蒸留所で働いている人は、大概、大学の農学部出身でしかも大学院卒が多いですが、ジムは16歳からの叩き上げだったんですか。シビれますね。根っからのウイスキー造りの職人ですね。
原田:ちょっとお訊きしてもいいですか。
シマジ:どうぞ。
原田:島田さんは英語がむかしからお得意だったんですか。
島田:はい。大学生のころから英語は得意科目でした。学生のころ何十回もバックパッカーで海外に旅をして英語は実践的に磨きました。お陰で大学を卒業するのに5年もかかりましたけど。
シマジ:島田さんは何歳からサラリーマンになられたんですか。
島田:24歳から社会人になりました。バックパッカーで海外の人たちとかなり仲良くなれましたので、自分としてはJICAなどの国際協力に関わるような仕事がしたかったんですが、夢叶わず、あるメーカーの営業に就職しました。そして29歳ごろ、このままサラリーマン人生を続けるか、それともなにか自分1人で生きられる道を選ぶか迷ったんですが、結局こうしてバーのオーナーバーマンになりました。
シマジ:若くしてそういう選択に迫られたとき、右に行くと楽だけけど、左に行くと困難だという決断において、賢人は「より難しい道を選べ」と言っています。島田さんの決断は正しかったんだと思いますね。第一、こうしてバーマンをやっているのは愉しいでしょう。
島田:はい。やりがいがあって毎日が愉しいです。
シマジ:わたしも71歳からにわかバーマンになって、週末、新宿伊勢丹メンズ館8階のバーのカウンターに立っていますが、いろんなお客さまがおみえになって刺激的です。まさに「バーカウンターは人生の勉強机」です。
島田:その通りです。先日もジム・マッキューワンのことをもっと知りたいというお客さまがいらっしゃいましたし、またブルックラディだけを垂直試飲していかれたお客さまもいました。嬉しい限りです。
シマジ:わたしも週末のにわかバーマンになってかれこれ5年経ちましたが、この間、嬉しいことに、わたしの下で働きたいという健気なお客さまが2人もいました。1人は当時早稲田大学3年生だったカナイ・ヨウスケで、自らわたしの書生になりたいと言ってきたのです。もう1人はいまわたしのバトラーをやってくれているミズマ・ヨシオです。彼はある会社の社長業を立派にこなしている忙しい身でありながら、男を磨きたいと言ってわたしの執事になってくれているんです。
原田:そのミズマさんは結婚されているんですか。
シマジ:9歳の子どもも1人いるよき家庭人です。
原田:奥さまがよくOKしてくれましたよね。
シマジ:ミズマの奥さんは「あなたがもっと魅力ある男になりたいなら、シマジさんの下で働いていらっしゃい」と言ったそうです。まさにいまどき珍しい良妻賢母ですね。
島田:そのおふたりはなにがしかの報酬は受け取っているんですか。
シマジ:それがボランティアなんですよ。せめてアフターでわたしが食事やお酒を奢るくらいです。
原田:へえ、タダなんですか。
シマジ:そうなんです。まったく、彼らには頭が下がります。
でも島田さん、いま全国で3万軒以上のバーがあると思いますが、スコットランドの蒸留所で働いたことのあるバーマンは、日本広しと言えどもあなた1人だと思いますよ。その体験談を聞くだけでも、ここ、ラディにきた甲斐がありました。
島田:ありがとうございます。はじめに思い立ったときは、バックパッカーで旅をしながらのんびり100カ所くらいの蒸留所を訪ねて、働かせてもらえないかじかあたりしてみようと思っていたんです。もし全部の蒸留所から断わられたとしても、それはそれで面白いかなと思って旅立ったんですが、最初に訪ねたアイラ島のブルックラディで実際に働けるなんて、夢にも思っていませんでした。
シマジ:しかもそのときジム・マッキユーワンに直接会えたことが、島田さんの強運なところですよね。
島田:本当に、いま思い出してもあれは幸運なことでした。「もっとウイスキーのことを知りたいんです。そのためにここの蒸留所で働きたいんです。みなさんがどういう思いでウイスキーを作っているのか、その空気感を肌で感じたいのです」とジムに思いの丈をぶつけましたら、「わかった。来週もう一度来てくれ」と言われました。
シマジ:それはかなり脈がある返事ですよね。
島田:はい。近くのユースホテルに宿泊して翌週またブルックディ蒸留所を訪ねましたら、ジムに「じゃあ、試しに1週間蒸留所に住み込んで、仕事を体験してみたらどうだ」と言われたんです。じつはこれはビジターが1人20万円支払って蒸留所に住み込んで働く体験コースだったんです。あとでわかったことですが、わたしはジムの計らいでタダで入れてもらったんです。
シマジ:タダだったんですか。それは凄いえこひいきですね。
島田:そのあとジムに呼ばれ「お前はこの蒸留所でもっと働きたいか」と訊かれたんです。
シマジ:いよいよ幸運の女神が微笑んだ瞬間ですね。
島田:「はい!」と答えると、蒸留所の敷地にある別な宿泊施設に案内されて「じゃあ、これからはここがお前の住みかだ」と言われました。その施設にはちゃんとした部屋が10室もあって、シャワーも付いていましたね。食事もほかの従業員と一緒にとることができました。元々はマネージャー用として建てられた施設らしいです。それからスタッフと一緒に本格的に働くようになったわけです。
シマジ:凄いですね。ブルックラディ蒸留所のスタッフの1人として雇われたわけですね。
原田:島田さんはボランティアで働いたんですか。
島田:いえいえ、ちゃんと給料はいただきましたよ。
シマジ:島田さんの場合は毎日住み込みで働いていたんですから、ボランティアというわけにはいかないでしょう。
島田:メインの仕事はウイスキーの熟成庫、いわゆるウェアハウスでの樽に関わる仕事でした。そこではでき上がった原酒を樽詰めして収納したりする仕事でした。ジムが働きはじめる前にこう言ったのを覚えています。「いいか、コウイチ。ウェアハウスのなかの仕事はウイスキーを一番肌で感じられる重要な仕事なんだよ」と。
シマジ:わたしも多くの蒸留所のウェアハウスを訪れましたが、あのウイスキーが眠っている空間は神秘的ですよね。しかも天使の分け前が立ちこめている、あの香りがまた堪らないですよね。
原田:その「天使の分け前」ってなんですか。
島田:それは樽から自然に蒸発していくウイスキーのことを言うんです。
原田:へえ、じつに詩的な表現ですね。