
撮影:立木義浩
立木:では3人でレンズを見てくれる。
シマジ:ではみんなでレンズを見て「スランジバー!」と言いましょう。
一同:スランジバー!
立木:OK。あとは3人で勝手に話していてくれれば、1人1人の表情写真はバッチリおさえるから大丈夫。
シマジ:では早速島田さんにお訊きしますね。島田さんはブルックラディ蒸留所でどれくらいの期間働いたのですか。
島田:ビザの関係もあって、残念ながら半年しか働けなかったんです。
シマジ:勤務形態はどうだったんですか。
島田:月曜日から木曜日までは朝8時から午後4時半まで働き、金曜日は朝8時から2時半で終わりでした。
シマジ:では土日は休みだったんですね。
島田:はい。ですから週末はアイラのほかの7カ所の蒸留所巡りをしましたね。
シマジ:島田さんはブルックラディ蒸留所の敷地のなかに住んでいたわけですから、通勤時間はほとんどゼロですよね。
島田:はい、その点は本当に恵まれていましたね。
シマジ:ジム・マッキューワンには直接いろんなことを教えてもらったでしょうが、具体的にどういうことを学びましたか。
島田:ジムにはウイスキー造りの神髄を教えてもらったと思います。彼は子どものころはガキ大将的存在だったそうですが、いまも親分肌の非常に面倒みのいい方でした。ですからわたしはジムのことを「スコットランドのオヤジ」と思っているんです。あるとき連れていかれたのが、ウェアハウスの一番奥の方でした。湿度がとても高くて、足がズブズブ入ってしまうようなぬかるみがある場所でした。そこでジムがこう教えてくれたんです。「コウイチ、ここには4回蒸留でアルコール度数90%のシングルモルトが眠っているんだ。なんのためだと思う?:通常、ウイスキーの熟成の限界は30年くらいがいいところなんだ。その後はアルコール度数が少しずつ落ちて40%を切るくらいになる。でも、90%という極めて高いアルコール度数のウイスキーは、もしかすると80年、いや100年の熟成だって可能かもしれないと実験しているんだよ。当然のことだが、おれがこのウイスキーを飲むことはできない。80年後、この樽に眠るウイスキーが果たして美味いかどうかはわからない。でもこうして実験してみるのは大切なことなんだ。おれたちはウイスキー造りの先人たちが作ったフォーマットでいままでやってこられたが、後世のためになにか別のフォーマットを残さなければならないとおれはいつも考えているんだよ。
シマジ:いいお話ですね。その実験中の樽は何樽くらいあったんですか。
島田:20樽くらいありましたね。
原田:ジム・マッキューワンさんはいままでお仕事で日本にいらしたことはあるんですか。
島田:ボウモア蒸留所のブランドアドバイザーやマスターブレンダーをしていた頃、ジムは世界中を飛び回っており、しょっちゅう日本に行ったと言っていましたね。ブルックラディに移ってからも定期的に来日していました。私が帰国してからも3,4回は来日しセミナーがあるたび私の紹介をしてくれました。その頃から、「もう日本に来るのは最後だから、アイラに遊びに来い。いつでもウェルカムだ」とも言ってくれました。ですからわたしがアイラ島へ行くと、いつもジムには「お帰り」と言われるんですよ。
原田:島田さんにとってアイラ島は第二の故郷みたいなものなんでしょうね。
島田:そうですね。それくらいわたしにとっては大切な場所です。それと同時に、ジムがアイラ島をこよなく愛しているのがとても強く伝わってくるんです。例えば、いまアイラ島の人口は3400人くらいなんですが、働くところが少ないために、若者が仕方なく島を出て行かざるを得ない現状を嘆いていましたね。そしてジムはアイラの放牧地を畑に変えて、将来的にはアイラ島の大麦だけで作ったウイスキーをもっと作らなければいけないと言っていました。そういう意味合いで、先程飲んでいただいたアイラバーレイ2006年を作ったんでしょう。それからどこの農家が作ったかわざわざ表記しているのは、作った農夫に誇りを持ってもらいたいからだと言っていました。
原田:ジムさんの熱い思いに打たれますね。
島田:そうなんです。またジム自身はゲール語はできないのですが、ブルックラディのマネージャーのダンカン・マッキャブリーさんはゲール語スピーカーでした。いまアイラの小学校ではゲール語を教え始めていて、アイラガーリック(アイラ方言のゲール語)が絶滅しないように努めているようです。スカイ島のゲール語とアイラ島のゲール語は少し違うということもダンカンさんが言っていましたね。
シマジ:その土地の古い言語がなくなるのは寂しいものでしょうね。
島田:たしかにそうだと思います。でもわたし自身にとって、アイラ島でジムを通じていろんな才能のある人たちと出会えたのは人生の財産です。じつはわたしは2年前に結婚して、新婚旅行でアイラ島に妻を連れて行ったんですが、そのときはジムがレストランを予約していてくれて、家族ぐるみの歓迎を受けました。ジムの家にも招待されました。
シマジ:外国人である日本人を自宅に招くということは、よっぽど島田さんのことを気に入った証拠ですよ。
島田:たまたまそのときはわたしの誕生日と重なっていたのですが、ジムはちゃんと覚えていてくれて、バースデ-プレゼントに、と彼が引退するときにボトリングした記念のファイナルボトルを贈ってくれたので感激しました。名前をダイアナボトルと付けていましたね。
シマジ:それはまだ開けていないんですか。
島田:はい。結婚10周年記念のときに開けて、まずは妻と飲んでみようかと思っています。
原田:蒸留所での半年間の仕事を終えた日は、どんなお気持ちだったんですか。
シマジ:原田さん、それはなかなかいい質問です。
島田:それが、結果的にとても感動的な最終日になりました。当日、「とうとうこの蒸留所ともお別れだな」と心のなかで思っていたら、ちょうど2時過ぎにジムがわたしのところにやってきて、「今日でコウイチは最後だな、おれとちょっとドライブしよう」と1時間くらいアイラ島を回って蒸留所に戻ってきたんです。するとウェアハウスのなかにはもう人っ子1人残っていませんでした。まあそんなものかと思っていたら、ジムが「みんな帰ってしまったか・・・。仕方がない。じゃあコウイチ、おれ達二人で飲もうか」とショップのドアを静かに開けたんです。すると、蒸留所で働いている全員がそこにいるではありませんか。そしてみんなで「スランジバー!」と合唱してわたしを迎えてくれたんです。
原田:それは感動的ですね。
シマジ:ジムが島田さんを外に連れ出したのは、みんなが送別パーティーの準備をするための時間をつくりたかったからなんですね。
島田:そうだったんです。みんなの顔を見た瞬間、涙が出るほど嬉しかったです。
原田:ええ、聞いているだけで涙が出てくるようなお話です。
シマジ:さすがは親分肌のジム・マッキューワンですね。島田さんをビックリさせたかったんでしょうね。
島田:おかげで一生忘れられない出来事になりました。
シマジ:ちょうど最後の日が金曜日だから、2時半に全員仕事が終了することも考えていたんでしょうね。
島田:いま思うと、ジムもなかなかの役者でしたね。そんな素振りを一つも見せずにいて、別れの挨拶もしないうちに全員帰ってしまったのか、とわたしが落胆していたところに「みんな帰ってしまったのか。じゃあおれと飲もう」なんて言われてジンとしていたところに、全員で「コウイチ!コウイチ!」のラブコールが一斉に起こったものですから、驚きました。
シマジ:落胆のあとの嬉しい驚愕ですね。
立木:それは素敵な大人のイタズラだね。
島田:あんなサプライズが用意されていたとは夢にも思いませんでした。
原田:みなさんにも一生の思い出になったんではないでしょうか。このこころ温まるイタズラは、そうできるものではないでしょうから。
シマジ:ブルックラディ蒸留所はじまって以来、はじめてのユニークな送別会だったのではないですか。
島田:そうかもしれませんね。