
撮影:立木義浩
シマジ:この「ヘルムズデール」はいつオープンしたんですか。
村澤:それは忘れもしない1996年3月18日の月曜日です。
立木:曜日まで覚えているって凄いね。感心した。
シマジ:いまから21年前ですね。
村澤:そうです。わたしがまだ26歳のときでした。
立木:村澤は人なつっこいしおしゃべりだから、当時から客あしらいも上手かったんだろうね。
シマジ:この店は自力でオープンしたんですか。
村澤:とんでもありません。わたしの師匠であり恩人である明坂さんのおかげでオープンできたんです。ある日明坂さんに、「村澤、お前の好きなバーを立ち上げてみろ」と言われまして、そのころすでにスコットランド病になっていたので、「スコットランド風のパブをやりたいです」と提案したところ、「ようし、やってみな」ということで、「ヘルムズデール」がこの世に誕生したんです。
シマジ:21年前といえば、バーやスナックはあったけど、本格的なブリティッシュパブはまだほとんどなかったですよね。
村澤:そうですね。しかも午前11時から午後11時まで営業するスコットランド風に、12時間営業体制でオープンしたんです。もっとも日本人に合わせて午後6時から午前6時までという時間帯で始めたんですが、実際パブが終わるのは午前9時ごろでした。
シマジ:あの頃、われら日本人はよく遊んでいたんですね。
立木:日本人にまだ元気があった頃だろうね。あの時代が懐かしいね。
シマジ:村澤は店長として命がけで働いたんだろうね。
村澤:ええ、まあ。いまでは日曜日は休みますが、そのころは休みなしでした。それから最初はここは立ち飲みのパブで、キャッシュオンデリバリー方式だったんです。
シマジ:いかにもあちらのパブ風だったんですね。
村澤:開店当初からパブ料理も出していましたよ。それまでに10回ほどスコットランドやフランスやスペインに出かけて行ってケルト文化を学んでいましたから。
シマジ:たとえば?
村澤:フィッシュ&チップスとか、キッパーとかハギスも見よう見真似で作っていました。
シマジ:この店はいつ自分の経営になったんですか。
村澤:2000年です。明坂師匠に「これくらいで譲っていただけませんか」と相談したら「ああ、いいよ」と気前よく譲っていただいたんです。ですから明坂さんは恩人でもあり、一生頭が上がりません。
シマジ:いまの営業時間は何時から何時までなんですか。
村澤:いまは時代に合わせて、午前11時半から午後4時までやって、2時間休んで6時から再オープンして午前2時まで営業しています。
松山:日曜日もお店はやっているんですか。
村澤:はい。うちは基本的に休みはありません。
シマジ:「ヘルムズデール軽井沢」を始められたのはいつからですか。
村澤:それは2011年からです。5月から11月までわたしが軽井沢に出向いて営業しています。
立木:村澤は働き者だね。
シマジ:午後6時から午前6時までやっていたのは、いつ頃までだったんですか。
村澤:ちょうど2011年の3.11の東北大震災が起こる頃までやっていました。わたしもそうですが、お客さまも年を取ってきて、朝まで飲むような人がだんだんいなくなってきたんです。それに若い人が昔のように、飲んでバカ騒ぎをすることも少なくなってきたので、午前2時に閉めるようになったんです。
シマジ:でももう21年もやっているって凄いことですね。
村澤:いまでは女性のお客さまもいらっしゃるようになりましたけど、オープンしたころはむさくるしいくらい、と言っては失礼ですが、男性ばかりが集まってくるパブでした。
シマジ:まさにスタッグパブだったんだね。(注 stag:男だけの、女性同伴なしの)ところで、よく有名なバーから面白いバーマンが育って、独立してまた面白いバーを作るという話を聞きますが、「ヘルムズデール」からも若いバーマンが巣立って行ったんでしょうね。
村澤:そうですね。シマジさんのお住まいから近いところに「ロータ」というバーがあるんですが、そこのオーナーバーマンの宮崎はうちで修業して巣立って行った男ですよ。
シマジ:そのバーの特徴はなんですか。
村澤:彼はカルバドスに詳しいです。一度行ってみてください。
シマジ:必ず伺います。
立木:シマジが気に入ったらおれが撮影に行くことになるな。
シマジ:人生は出会いが大切です。新しいバーの発見も重要です。ところで村澤は、いままでスコットランドにはトータルで何回くらい通ったんですか。
村澤:そうですね。15回は行きましたね。オーバーではなく、スコットランドはわたしの第二のふるさとです。スコットランド人が大好きなんです。スコットランド料理ももちろん大好きです。
シマジ:わたしもここのキッパーを食べるとスコットランドのことを懐かしく思い出しますね。あの独特の文化がいいですよね。
松山:いまでもイングランドから独立しようという運動があるみたいですね。
シマジ:むかしスコットランドはイングランドからいじめられていましたからね。
村澤:ウイスキーに重い税金をかけられて泣く泣く密造酒を作っていたんですよ。
シマジ:ツヴァイクの『メリー・スチュアート』なんて涙なくして読めない名作です。
村澤:そうです。スコットランド女王のメリー・スチュアートはイングランドのエリザベス1世にいじめられた末に42歳という若さで処刑されるんですからね。
シマジ:メリー・スチュアート女王の処刑ほど残酷なものはなかったとツヴァイクは冷徹に書いていますよ。「首斬り役人の最初の一撃の当たり所が悪く、首にくいこまず鈍い音を立てて後頭部を直撃した。咽喉のごろごろ鳴る音、呻き声が苦しみもがく人の口から漏れ出たが、高い声にはならない。第二撃は深く首にくいこみ、血がさっとほとばしる。第三撃でやっと頭は胴体から切り離される」そうだ、村澤、松山さんにラガブーリン16年をトワイスアップにしてシェーカーで振って出して上げてください。
松山:覚えていただきありがとうございます。嬉しいです。
村澤:了解しました。
シマジ:その後、髪の毛を掴んで頭を持ち上げようとしたら、かつらだけを持ち上げてしまい、血に染まった頭がどろどろと床に転がったんです。もの凄い光景に恐怖して見物者たちはぞっとちぢみ上がり、口もきけなくなったそうですよ。メリー・スチュアートの頭は刈り込んだ白髪の老婆のようだったそうですね。そのとき牧師がかろうじて声を振り絞り「女王の御霊よやすかれ」と叫んだんです。
村澤:ヨーロッパの中世は残酷な歴史の連続でしたからね。
シマジ:村澤、この際ブラッディ・メアリーを作ってくれないか。
村澤:シマジさん、ブラッディ・マリアとブラッディ・メアリーは違う作り方だというのはご存知ですか。
シマジ:たしかブラッディ・マリアは別名テキーラ・マリアと言われているように、テキーラを使うんでしたっけ。ブラッディ・メアリーはパリのハリーズバーで考案されたカクテルでウォッカが入っているんでしょう。どのみち血の代わりにトマトジュースで割っています。
村澤:その通りです。
立木:それはフランスのマリー・アントワネットに由来しているんじゃないか。彼女もギロチンで首を切り落とされているからね。
シマジ:多分そうでしょう。でもこの際メリー・スチュアートに捧げる献杯のカクテルとしてはこれしかないでしょう。
村澤:このいい加減さがシマジさんらしくてわたしは好きです。では、どうぞ。
シマジ:松山さん、「スランジバー アルバ ゴブラー!」と言ってください。
松山:スランジバー アルバ ゴブラー!これはどういう意味なんですか。
シマジ:スコットランドよ、永遠に!という意味です。スコットランド好きな村澤にピッタリな乾杯の言葉でしょう。
村澤:ありがとうございます。