第10回 広尾 ア・ニュ ルトゥルヴェ・ヴー 下野昌平氏 第3章 ミッシェル・ブラスという天才との運命的出会い。

撮影:立木義浩

シマジ:下野シェフはいつごろからカレー屋さんになろうと思っていたんですか。

下野:それは子どものときです。

シマジ:高校を卒業して辻調理学校へ入ったのはどうしてですか。

下野:わたしとしては漠然と大学に進もうかなと思っていたんですが、担任の先生に相談したところ、「この成績で大学進学は無理だろう」と言われ、それなら少しでも興味のある料理の専門学校に進もうかと決心したんです。

シマジ:なんであれ、自分の好きな道を選ぶほうがやり遂げられるでしょうね。事実、下野シェフはこうして一流のシェフになったんですから。

下野:いえいえ、どうも学校というところはわたしの性分に合わないようで、辻調理学校のフランス料理のコースに進んだんですが、そこでも落ちこぼれでした。

シマジ:まあ、天才というのはそんなもんでしょう。

下野:いえいえ、辻調理学校からフランスへ留学したんですが、そこでも「お前は帰れ」と言われたくらいです。わたしがフランス料理に目覚めたのは、ミッシェル・ブラス師匠に出会ってからでした。

シマジ:ミッシェル・ブラス料理人は、名前だけは聞いたことがあります。

下野:ミッシェル・ブラス師匠は、若い頃からどこにも修業に行ったことはないという、まさに生まれついての天才料理人なんです。牛肉やラギオール・ナイフで有名なフランスのオーブラックという地域にある、両親がやっているビストロで腕を磨いたそうです。

シマジ:ミッシェル・ブラスのことはどこで知ったんですか。

下野:たまたま料理の本に載っていたのを見て、この人に絶対会ってみたいとそのとき思ったんです。ちょうどわたしが30歳そこそこのころ、ミッシェル・ブラス師匠が洞爺湖リゾートホテルに自分の店をオープンしたんですが、わたしはなんとかツテを使って潜り込み、天才に会うことができたんです。

シマジ:まさに運命の出会いですね。

下野:それから幸いにも2カ月間ミッシェル・ブラス師匠の技を直接見ることができたんです。そのレストランはいまでも人気ですが、ホテルのなかで営業している「ミッシェル・ブラス・トーヤ・ジャポン」です。全てのレシピの持ち出し禁止が条件で2カ月間働いたんですが、いままで自分はなにをやってきたんだろうというカルチャーショックを受けました。全てが違っていたんです。ソースの作り方1つとっても見たことがない技でした。ですから、なぜソースの味がこうなるのか、ということをそれから真剣に考えるようになりました。

シマジ:ミッシェル・ブラスはいくつぐらいの方なんですか。

下野:多分70歳くらいでしょう。

シマジ:料理人生の師匠に会えたのは下野シェフの強運ですね。

下野:たしかに、師匠と思える料理人に出会えたことは幸運でした。もしミッシェル・ブラスに会っていなかったら、今日のわたしは存在していませんね。

シマジ:わたしも編集者になっていくらか成功できたのは、25歳で柴田錬三郎先生にお会いし、28歳で今東光大僧正にお会いし35歳で開高健先生にお会いできたからだと感謝しています。おっと、忘れていた。こちらの立木義浩先生に出会ったことも、そのひとつでした。

立木:シマジ、取って付けたようにおれの名前を出さなくてもいいんだよ。いずれにしろ、こうしてお前に面と向かって文句を言えるのは、いまやおれしかいなくなってしまったことは間違いないが。

別府:立木先生とシマジさんは、かなり長いお付き合いなんですね。

シマジ:多分別府さんが生まれる前から一緒に仕事をしています。タッチャンと仕事をしていると愉しいんですよ。

立木:おれはシマジには辟易しているんだが、こいつを1人にすると暴走しかねないから、見張り役も兼ねているんだよ。

シマジ:下野さんはオーブラックのミッシェル・ブラスの本店には行ったことがあるんですか。

下野:もちろんあります。オーブラックの田舎にあるんですが、三つ星のビストロでした。とくに師匠のお母さんが発明した、ジャガイモをマッシュして、名産のトムと呼ばれるチーズとニンニクを使った、アリゴという料理は有名です。洞爺湖の三つ星レストラン「ミッシェル・ブラス・トーヤ・ジャポン」のメニューにもアリゴは入っています。

シマジ:うーん、そのアリゴが食べたくなりました。今年は1人でも洞爺湖まで行ってみたいです。

立木:嘘つけ。フルボディの女と行こうとしている魂胆がありありだ。

シマジ:じゃあ、タッチャンと一緒に行きますか。

立木:おれは嫌だね。お前と食事するとうるさすぎる。ご免被る。

下野:そのときはいつでもご紹介いたしましょう。

シマジ:アリゴというその素朴な田舎料理で、ミッシェル・ブラスはおそらく料理の神髄を知ったんでしょうね。それにしても下野さんがミッシェル・ブラスに会ったとき、いままでの料理の知識がなにも通じなかったというのは凄い話ですね。感動しました。

別府:1つ幼稚な質問をしてもいいでしょうか。

シマジ:なんなりと訊いてください。

別府:下野シェフがほかのレストランに行ったとき、料理をスマホで撮ったりするんですか。

立木:これは面白い質問だね。

下野:スマホで撮ったりはしませんが、美味しい料理だと頭に映像を残しますね。むしろうろ覚えのほうが、その味を再現しようとしたときに自分流が出ていいんですよ。それは「ミッシェル・ブラス・トーヤ・ジャポン」で鍛えられましたね。

シマジ:なるほど。むしろそのほうが、オリジナリティーが出てくるわけですね。

下野:でもいま思い出しても、ミッシェル・ブラス師匠の料理は10年くらい先を行っていましたね。

別府:どこにも修業に出ていないというのが凄いですね。師匠はお母さんなのかしら。

シマジ:そういえば、われらが立木巨匠も、どこにも修行に出てはいないんですよ。実家が四国の有名は写真館で、お母さんが写真を撮っていたんです。むかしNHKの朝ドラにもなった「なっちゃんの写真館」のモデルだったんですよ。

下野:ミッシェル・ブラス師匠と環境がよく似ていらっしゃいますね。

シマジ:そういえばそうですね。

立木:むかしの話は止めてくれ。

シマジ:どうして?

立木:おふくろを思い出すと泣きたくなるから。

シマジ:アッハハハ。上手い大人のレトリックですね。ところで、下野シェフのこれからの夢はなんですか。

下野:それはわたしの可愛い弟子たちを一本立ちさせてあげることですね。GINZA SIXの13階に「ロムデュタン シニエ ア・ニュ(L'homme du Temps signé à nu)」を作ったのもその第1歩です。この世界もいま人材確保が大変で、料理人になったらやはりオーナーになりたいと誰でも思っているでしょうから、若い料理人にそのチャンスを与えてあげるのがわたしのこれからの使命だと思っています。弟子に対するわたしのモットーは「好きにやれ」です。むかしは師匠に言われた通りに忠実にやるのがフランス料理だったんですが、よくよく考えてみると、いまは食材もどんどん変わっている時代です。思考錯誤しながらでも、ともかく自分でやってみよう、という精神でないといけません。自分が目指すのはこういう料理だ、ということを早く掴んでくれたら嬉しいですね。

シマジ:たしかに、自分の就いた職業でトップクラスを目指すのは大事なことですね。たとえるなら、編集者となったからには、やはり編集長を目指さなければいけません。

立木:シマジ、お前はいくつの雑誌の編集長をやったんだ。

シマジ:週刊プレイボーイ、PLAYBOY、Bartの3つでしたね。

立木:だからお前はやり過ぎなんだよ。

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