
撮影:立木義浩
<店主前曰>
シマジ:以前からお訊きしようと思っていた質問を思い出しました。飯塚シェフはどうしてこのレストランを「Ryuzu」と名付けたんですか。
飯塚:それは簡単です。わたしの名前が飯塚隆太といいますので、「イイズカ」の「ズ」と「リュウタ」の「リュウ」を組み合わせて「Ryuzu」にしたんです。はじめは、ラテン語で素材とか食材という意味の「マテリエス」とする案もあったんですが、それよりも自分の名前をもじった店名にしてみようかと思いまして。
シマジ:そのほうがよかったと思いますね。「マテリエス」より「Ryuzu」のほうが覚えやすいし、響きもいいでしょう。
飯塚:ありがとうございます。
シマジ:「Ryuzu」はオープンしてまもなくミシュランの一つ星をもらっていますよね。
飯塚:それが、おかげさまで、いまは二つ星になりました。
シマジ:店の雰囲気もいいですね。先程もタッチャンと話したのですが、ここの天井が高いのが、凄く気持ちがいいです。
飯塚:わたしが自分の店を持つ条件の一つが、まず天井が高いことでした。それから、地下でもエレベーターがあること。
シマジ:それはまたどうしてですか。
飯塚:じつは義理の父親が車椅子生活なもので、この店に来てもらうとき、そのほうが喜ばれるだろうと思ったんです。いまのところ、まだ実現してはいないんですが。
シマジ:飯塚シェフは親孝行の息子さんですね。その気持ちが通じてきっとお義父さまは近いうちに来られるでしょう。
飯塚:はい、その日を愉しみに待っているんです。
シマジ:シェフの夢が叶えられたこのレストランで、シェフの作る料理を召し上がったら、お義父さまは感激するにちがいありませんね。わたしはいままでいろんな料理人たちの話を聞き、自慢の料理を数多く食べてきましたが、彼らが若いときに、世界的に有名な料理人の作る料理の味をどれくらい自分の舌で知ったか、それが凄く大事なことのように思っています。その点、飯塚シェフはいまから20年以上も前に、フランスを経巡ってその当時のお金で150万円も使って食べ歩いた貴重な経験がありますから、それがいまの料理にずいぶん反映されているんではないでしょうか。
飯塚:その通りだと思います。あの食べ歩きの旅は、わたしの料理人人生に大きな影響を与えてくれました。たしかシマジさんのエッセイに「人生で重要なことはじかあたりだ」ということが書かれていたと思いますが、料理人も美味いものにじかあたりすることが大切なことなんです。口のなかの粘膜は、鍛えれば鍛えるほど敏感になりますからね。
シマジ:わたしの親友で、フランス料理の食べ歩きを現地に赴いては愉しんでいる男がいるんですが、彼の話を聞いていると、料理もじかあたりが真実を知る最高の手段だと思います。たとえば、ナイフでも有名なラギオールにある「ミシェル・ブラス」ですが、あそこは親父の時代は三つ星だったのですが、息子のセバスチャンの時代になってそれが返上されてしまったそうですね。
飯塚:そのようですね。
シマジ:親父が現役のころ、テーブルに挨拶に来るとエプロンがおびただしく汚れていたそうです。それは自分で一心不乱に料理を作っていた証拠だと、わたしの親友は感激したそうです。
飯塚:あそこの「ガルグイユ」というサラダは美味かったです。約30種類の野菜を1個1個丁寧に調理して、それを合わせて出していましたからね。
シマジ:それがいまの「ガルグイユ」は単なる野菜サラダになってしまったと親友は落胆していました。しかし同じようなことが、わたしが働いていた雑誌の世界にも言えるんです。雑誌の編集長はレストランのシェフと似ています。編集長が交代するということは、シェフが代わるのと同じで、雑誌の味付けが変わってしまうんです。
飯塚:それは面白いお話ですね。
シマジ:いいか悪いかは別にして、タイトルの付け方からレイアウトまで変わってしまいます。
飯塚:たしかにどの世界でも、そこの“味”を引き継ぐということは非常に難しいことだと思いますね。
シマジ:わたしが50年間通った「カナユニ」というレストランが赤坂にあったんですが、そのビルが立ち退きのために閉店になり、2年ぶりに外苑西通りに再オープンしたんです。驚いたことに、50年前にわたしが食べて感動した料理の味が、いまもそのまま新たな店で再現されているんですよ。料理人はこれまでおそらく10数人は代わったと思いますが。
立木:なになに?「カナユニ」が再オープンしたのか。知らなかった。シマジ、今度おれを案内しろ。
シマジ:もちろん。
飯塚:それは稀有な例ですね。
シマジ:いまは28歳の女性料理人が頑張ってやっているんですが、大したものです。
飯塚:最初の料理人が偉かったんでしょうね。
シマジ:「カナユニ」のオニオングラタンもタルタルステーキもビーフピラフもデザートのクレープシュゼットも、昔のままです。最初の料理人は軽井沢の万平ホテルのシェフを務めた人でした。
飯塚:フランス料理の世界では、そういう天才がたまに誕生するようです。たとえば「キノコの魔術師」などと言われるシェフが現われたりします。また自分の畑を持っていて、朝そこに植えているハーブを採ってくるシェフがいたりしますね。
シマジ:その方はまさに「ハーブの魔術師」ですね。
飯塚:そうですね。わたしもその領域を目指しているのですが。
シマジ:帝国ホテル専務の田中総料理長のお墨付きをもらっているんですから、飯塚シェフは大したものですよ。
飯塚:いえいえ、まだまだこれからです。ところでシマジさんが、これぞ!と美味礼賛される料理とはどんなものなんですか。
シマジ:いわゆる“最期の晩餐”ってやつですか。
飯塚:美味い!と感動して、長きにわたり召し上がっている食べ物です。フランス料理にこだわらず中華でも和食でもかまいません。
立木:シマジは人間の肉以外、なんでも食べているヘンな男だよ。
シマジ:そうですね、ただ一品を挙げろと言われたら、やっぱりヤマドリの刺身でしょうか。
飯塚:ヤマドリって野生の、尻尾がきれいな野鳥ですよね。あれを刺身で食べるんですか。
シマジ:そうです。まあ、これほどえこひいきされているわたしでも、猟期に1羽か2羽、食することができるかどうかなんですが、これは美味ですよ。最近ヤマドリを一緒に食したのは、弁護士の久保利先生と、伊勢丹「サロン・ド・シマジ」のサンデー・バトラーであるミズマ、そしてたまたまそのとき店の遠くの席に1人で座っていたモリタ、の4人で、でしたかね。
立木:シマジ、1人忘れてはいませんか。むかしお前にご馳走になったことをおれはちゃんと覚えているんだよ。たしか渋谷のほうにあった店だったような記憶がある。
シマジ:思い出しました。「うずら」でしたか。
土屋:ヤマドリって、どんな味がするんですか。
シマジ:土屋さん、鋭い質問です。魚にたとえるなら上等なシビマグロですかね。それに徳川家のために栽培されたのが始まりという三河の特別な高級わさびを付けて食べるんです。そのわさびというのが、品のいい辛さなんですよ。キジも食べましたが、ヤマドリのほうが断然上ですね。すべて雄しか食べられません。雌は種の保存のために捕ってはいけないことになっているんです。
飯塚:ははあ、ヤマドリは味が微妙で焼くよりも生で食べたほうが美味いんですね。
シマジ:さすがは飯塚シェフ、そうなんです。
土屋:シマジさんはそれをどこで召し上がっているんですか。
シマジ:鋭い質問です。岩手県の一関の猟師にお願いして捕ってもらっているんです。ヤマドリを撃ち落とすと電話で報せがくることになっています。そのヤマドリを一関からわたしの行きつけである西麻布の「コントワール・ミサゴ」に送ってもらい、土切シェフに捌いてもらっているんです。もちろん特別なわさびも買ってもらっています。
立木:今年のヤマドリはおれに喰わせてくれよ。
シマジ:喜んで!