
<店主前曰>
健康のバロメーターは快食、快眠、快便である。気の合う人と食事をするのは悦楽のひとつである。仕方なくひとりで食事をするとき、わたしは馴染みの店に行って、シェフを相手に話しながら食事をすることが多い。快食というものは、毎食、粘膜に快感を与えることなのだ。精神に安定を失うと不眠症になるようだが、お陰さまでわたしは鈍感なのか、よく眠る。毎晩、午前1時に眠り、朝8時までトイレに1度も起きず爆睡している。おまけに、昼間、よくシエスタを愉しんでいる。だからわたしは快眠の人である。ところが快便はというと、6年前、大腸がんの手術をして、肛門にかなり近い大腸を15㌢ばかり切除してから、あの偉大なる”快感”は失われてしまった。手術後は、3段ロケットみたいに、3回に分離され放出されるのである。第1弾目は見事な姿形をしているのだが、2弾目は少し柔らかくて頼りない。3段目となるともう液体状態である。それが少し間隔を置いて出てくるのだ。だから、トイレの滞在時間は普通の人の3倍はかかる。新人オギノのインタビューは大丈夫なのかなと心配しながら、わたしは便座に座っていたのである。
シマジ どうした、オギノ。編集者になって最高の役得は、じかあたりなんだぞ。
立木 それが大変だったんだ。まるで新實さんとお見合いしてるみたいだった。ついには新實さんに、どうして編集者の道を選んだのかと、反対にインタビューされていた。
シマジ オギノは編集者になったばかりだから、しょうがないだろう。とにかく、オギノ、編集者はじかあたりだ。おまえが酒屋で働いていたとき、試飲でよくシングルモルトを飲んだだろう。ただボトルを眺めていては味も香りもわからない。パソコンやテレビで有名人をみているのは、ちょうどシングルモルトの写真を本で眺めているようなものだ。じかあたりしないで、ただその人を遠くで眺めているのは、シングルモルトの香りも愉しまず一滴も飲まずにボトルをただ眺めているのと一緒なんだよ。
オギノ その比喩はぼくには身にしみてわかりますね。
シマジ 編集者のさらなる特権は天皇陛下以外はだれでも電話1本で会えることだ。
立木 シマジなら天皇陛下でも会えるんじゃないの。
シマジ そうだ。天皇陛下で思い出したことがある。今東光大僧正が昭和天皇を中尊寺の金色堂へご案内したときのことだ。お二人だけで金色堂のなかに入り、「この棺に施されている装飾の貝殻は、最近の研究でわかったことでございますが、遠く南方のトンガ地方のものだそうでございます。それは藤原家がトンガと貿易があったという証拠だそうでございます」と大僧正が滔滔とご説明したら、陛下が応えていったそうだ。
「どうかな」
この一言にさすがの天下の今東光大僧正も、二の句が継げなくてたじたじだったそうだ。
立木 さすがは昭和天皇だね。今さんも顔色なしだな。
シマジ それから気を取り直した大僧正が「建てたころの金色堂の屋根は金でピカピカ輝いていて、北上川を上ってくる鮭が目を回したそうでございます」というと、再び昭和天皇が「どうかな」とお応えになったそうだ。
立木 昭和天皇は稀代のユーモリストだったんだね。チャーミングな話だね。
シマジ それから今さんとおれは、おたがい何か洒落たことをいうと、昭和天皇の真似をしていつも「どうかな」といい合ったもんだ。
立木 どうかな。
BC新實 素敵なお話ですね。今日名古屋からきてよかったですわ。
シマジ 今さんでも昭和天皇にじかあたりすると、こんな面白い体験をするんだ。取材って、まさにじかあたりそのものだよ。オギノ、鶯谷のよーかんちゃんにじかあたりして面白かったろう。
オギノ はい。面白かったです。興奮しました。
シマジ あのよーかんちゃんはタダモノじゃないぞ。あの怪物は・・・。
立木 その話はシマジが席を外しているとき、オギノに朗読してもらってたっぷり聞いたよ。
シマジ えっ、オギノが朗読したのか。セオより上手かった?
立木 セオよりずっと上手かったよ。
オギノ この連載は担当編集者がシマジさんの文章を代わる代わる朗読する習わしになっているんですか。
シマジ いやいや。ネスプレッソ・ブレーク・タイム@カフェ・ド・シマジの田中克郎弁護士との対談のとき、セオにやってもらっただけさ。
立木 いや、シマジはよくセオに自分のエッセイを朗読させるんだ。それも無理矢理にね。
シマジ どうかな。
立木 いままでシマジと取材した人はほかにいるのか。
シマジ 鋭い質問だ。
立木 別に鋭くもないよ。当たり前の質問だ。
オギノ はい。ここに持ってきた「リベラルタイム」に掲載されている『ロマンティックな愚か者』で、スピリチュアリストの江原啓之さんにシマジさんと一緒にお会いしました。朗読いたしましょうか。
シマジ じゃあ、やってみな。これは「リベラルタイム」の宣伝になる。渡辺編集長も喜ぶだろう。
立木 シマジの宣伝にもなるしな。
シマジ どうかな。
BC新實 ぜひ聞かせてください。わたくし江原さんの大ファンですの。
オギノ ではぼくの書いたリードからいきます。
立木 おいおい、オギノの宣伝もするのかよ。
シマジ タッチャン、いいじゃないの。新人にまず自己PRをさせてやってください。
立木 こいつはすでにシマジのウィルスに相当感染しているな。
オギノ ではリードから参ります。ここからシマジ御大の本文です。
<唯物史観だけで判断するのは本物のインテリではない。摩訶不思議な唯心論まで研究しないと真のインテリとはいえないのだ。これはわたしが若いとき親炙した今東光大僧正の言葉である。
いまわたしの目の前にいる江原啓之はこぼれるような笑顔の持ち主だ。聖なるグッズが飾られている部屋の天井には、まるでバチカンみたいに天使の絵が描かれている。
『これはまさしくバチカンの礼拝堂のミケランジェロの絵を思い出しますね』とわたしが尋ねると、江原は『なんちゃってバチカンです』と笑った。
「わたしはいつも『天は見て御座る』と思っているんです。いいことも悪いこともバレバレなんです。だから独りでいるときはこの部屋で慎んで時間を過ごしております」
「むかしの人はそういうことを愼独といっています。ここは現代のパワースポットですね」
「はい。礼拝堂も噴水も御座います」
「江原さんは若いとき神主さんになるために神道の修行をなされたのに、どうしてここにはマザー・テレサやアッシジのフランチェスコの立像が祭られているのですか」
「はい。祈りはすべての道がローマに通ずるように、行き着くところはみなひとつなのです」
「このお宝はどうして集められたのですか」
「半分は自分で聖地巡礼して買ってきたもので、半分はいろんな方からの贈り物です」
「このきれいなリアドロの天使像はご自分で買ったんですか」
「いいえ。これはいただき物です」
「ここの受胎告知は」
「これは自分で買ってきたものです」
「江原さんはよく婦人公論の新年号の表紙になりますね」
「はい。それは魔除けというか、福のお裾分けというか、瀬戸内寂聴さんや美輪明宏さんも一緒のお役目を果たしています」
「そういえば、ある女性が江原さんのお姿を携帯の待ち受け画面にしていました」
「きっと」その方には御利益があるはずです」
江原啓之は多いときは年に160回講演して全国を回り、生きる力を説いた。その資金でいま立派な聖なる殿堂を建てたのである。3階には福島原発から避難してきた母と子が無償でいままで住んでいた。まるで日本のマザー・テレサを目指しているようだ。オペラも本職顔負けのバリトンである。
「歌は遅咲きの狂い咲きです」とまた笑った。>
BC新實 まるで取材現場に行っているような錯覚に襲われました。
立木 江原さんとシマジは合いそうだな。シマジ、おれより好きになったんじゃないだろうな。
シマジ タッチャン、神に誓ってそんなことはございません。でも江原さんが伊勢丹のサロン・ド・シマジに遊びにくるっていってましたがね。
立木 あんなに全国講演している方だから、シマジ、それはリップサービスだよ。
シマジ 江原さんがサロン・ド・シマジにくるかどうか、賭けますか。
立木 おまえはどうしてそんな自信があるんだ。
シマジ 天はすべてをみてござるですよ。それにしても江原さんはふくよかなツヤツヤの肌をしていたね。きっとSHISEIDO MENを使っているんじゃないかなあ。
立木 訊けばよかったのに。
シマジ 大丈夫。サロン・ド・シマジにいらしたら、買ってもらいましょう。
立木 それは自信過剰っていうもんじゃないか。
シマジ いやいや。それくらいおれからプレゼントしますよ。あの神々しさはタダモノではない。感動した。きっと御利益が5倍くらいで返ってくるさ。
BC新實 わたくしもお会いしたいです。
シマジ 新實さんもじかあたりの意味がおわかりになったようですね。