創業160年を越える秋田の老舗蔵に生まれた佐藤さんだが、東京でフリーライターとして活躍し酒づくりとは無縁の生活を送っていた。あるとき、仕事で静岡の磯自慢を口にする機会があったという。
「秋田の蔵元に生まれているにもかかわらず、それまで日本酒をおいしいと思ったことがありませんでした。磯自慢も期待をせずに口にしたら、非常においしかったので本当にショックで。その頃は、仲間とワイワイするために安いお酒を飲んでいたし、つくりにどれだけ手間暇かかっていて、どんな人がつくっていて、どういう表現をしているかなどまったく気にしていませんでした」
そのあともおいしいお酒との出合いがあり日本酒に開眼。酒づくりへの意欲は自然と高まり、2007年から蔵に戻って修行を始めた。
「小さい頃は、『子供は蔵に入るな』と言われていましたし、酒のことはもちろん、自分の蔵のことをまったく知らない状態。ただ、歳をとって初めて蔵に入ったのですべてが新鮮だったし、自分の蔵が何のために存在してきたのかも、偏見なく歴史的に調べることができました。そうすると、うちの蔵は曾祖父の時代に協会6号酵母を出したことで、非常に業界に貢献していることがわかったんです」
日本醸造協会では酒づくりのための酵母を頒布しており、協会酵母は全国の酒蔵で使用されている。日本酒には30種類ほどの酵母があるが、6号酵母は昭和5年(1930年)に『新政』の醪(もろみ)から分離されたもので、現役の酵母としては日本最古を誇る。しかし佐藤さんが蔵に戻った時点では、6号酵母を使用した酒は一部であった。
「酵母も新しいのがどんどん出てきて香りがたくさん出るのが多くなっている。そのおかげでコンテストに夢中になって、どこも酒の質が均一化してしまっています。だから僕の蔵では一番古い6号酵母と、秋田の米しか使わないと宣言しました。米は保存性が高く流通性もあるので秋田の蔵でも兵庫の山田錦の酒をつくることができる。でも、みんなで同じ酵母使って、同じ米を使っていたら酒の質が同じになってしまう。そういうものを崩して、地元に結び付けたものがイメージとして必要だと思いました」
今でこそ、醸造用アルコールを添加した普通酒が一般的になっているが、戦争が始まる前までは、日本酒は純米しか存在しなかった。国が酒税確保のためにアルコール添加を承認したことから、戦後の日本酒の酒質が変わっていった。佐藤さんの酒づくりは、伝統を崩した革新的なつくりをしていると見られがちだが、むしろ日本酒が盛んだった時代の、正当なつくりを目指しているともいえる。
「今のうちの酒をみると、素材はうちの曾祖父さんの頃とあまり変わらない。ただ、飲む人の嗜好も違いますし、つくり手の受けてきた環境や背景も違うので、比較はできないと思います。酒づくりの歴史は古く伝統があるので、変えてはいけないものと、勝手に変わる部分がありますが、意識を変えなければいけない部分もある。今の日本酒はアルコール添加を無意識にやっているけれど、それはたかだか戦後半世紀の製法です。僕らは曾祖父の時代のつくりに憧れて、そこまで回帰しようと思っています」
蔵に戻ってから短期間で次々とチャレンジを成功させている佐藤さんが思う理想の日本酒とは?
「伝統的製法である生モト系をメインとした仕込みに切り替えましたし、いずれ自社の田んぼで育てた米で酒づくりをしたいという夢もあります。うちのポリシーは「伝統的だけど、保守的ではない」ということ。伝統的な事に挑戦するときにはリスクも多くありますし、出る杭を打たれることもあるかもしれませんが、僕は保守的なことは絶対したくない。プライドとして、酒質を調整するための添加剤などについても一切使用しません。
もともとフリーライターとして仕事をしているときは、シナリオや小説を書くのが好きでした。僕にとって日本酒は、そういったものと同じように、つくり手を表現する作品として捉えています。飲み手も、『今日は映画を観に行くか? それともあの酒屋であの酒を買うか……』と、日本酒を日用品から少し離れた域で考える方が多くなってきたのではないでしょうか。もともと日本酒は高級酒ですし、そういうところに戻ってきたという事。日用品としてビールを飲むとすれば、ハレの日にじっくり飲みたい酒として日本酒を選んでいただければいい。確かに日本酒の消費量は減っていますが悲観的になることはなく、あるべきところに戻ってきたのだと思います」