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第8回 青山 Buca Junta 石川淳太 第1章 SHISEIDO MENを作った影の立役者なんですよ。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

「トラットリア・ブーカ・ジュンタ」のシェフ石川淳太は、わたしの親友石川次郎の息子であり、わたしは淳太が子供のころから知っている。淳太は高校を卒業すると単身イタリアへ渡り、フィレンツェにあるトラットリア<大衆料理店>の厨房に職を得た。皿洗いからのスタートだったが、才能と努力が認められるのにそう時間はかからなかった。半年後には見習いとして仕込みを任されるようになり、1年もしないうちに実際に料理をつくらせてもらえるまでになった。イタリア語も滞在1年が経つころから堰を切ったように喋れるようになっていた。1989年のことである。そのフィレンツェを皮切りにローマ、マントバで武者修行をしたのち、1997年に帰国した。縁あって、赤坂アークヒルズのJTの店「トラットリア・バルダルノ」の総料理長に任命されたのは、淳太がまだ28歳のときであった。

石川:立木先生、お久しぶりです。いつぞやは週刊誌の取材でオヤジと一緒に写真を撮っていただきました。今日はオヤジ抜きですがよろしくお願いします。

立木:ジローちゃんなら昨日シマジと取材したばかりだよ。ついにシマジもネタに困り、石川次郎&淳太親子に助けを求めたんだな。

シマジ:淳太、トラットリア・ブーカ・ジュンタのブーカってどういう意味だったっけ。

石川:「あなぐら」という意味です。

立木:なるほど、ここはあなぐらっぽいね。

シマジ:つまりこの店は“淳太の大衆イタリアンの隠れ家”ということだね。

石川:そんなところです。

立木:あれ、今日は資生堂からお嬢は来ていないんだね。

シマジ:本日はこちらの紳士、平田賢一さんが資生堂からのゲストです。平田さんは資生堂ビューティークリエーション研究センターのセンター長をされています。

平田:平田です。よろしくお願いします。いつもはうちの女性たちがお邪魔しているんですが、今日はむさくるしい男でごめんなさい。

シマジ:平田さんはSHISEIDO MENを作った影の立役者なんですよ。

石川:はじめまして、石川淳太です。平田さん、ようこそお越しくださいました。あとで美味しい料理を作りますので召し上がってみてください。

シマジ:今日はどうして平田さんに来てもらったかというと、SHISEIDO MENがどのように世に出ていったのかを詳しく訊いてみたいと考えましてね。

立木:そうだ、すべてのものごとには歴史があり、物語があるからね。

シマジ:早速ですが、SHISEIDO MENを売り出して何年目になるんですか。

平田:メンズのカッコいいシリーズを出そうという企画が社内で錬られたのは2001年、いまからちょうど13年前でした。わたしがまだ44歳で脂が乗っていたころでしたね。商品として世に出てからは今年で10年目になります。男性が一生使える高品質な化粧品を開発しようということで始まったのです。

シマジ:はじめはヨーロッパで販売されていましたよね。

平田:そうです。ヨーロッパで先行発売をして、その1年後に日本で中田英寿さんを起用して大々的にテレビコマーシャルを打って発売したのです。当時の責任者であったわたしは、知的冒険者としてのイメージを中田英寿さんが十分発揮してくれたと思いました。

シマジ:たしかにインパクトがありましたね。それにSHISEIDO MEN自体のデザインがいいですね。

平田:ありがとうございます。

立木:シマジ、こんなところにお前の落書きがあるぞ。

石川:それはオープンの日にオヤジと一緒にきてくれたシマジさんに、こちらからお願いしてサインしてもらったものです。

立木:シマジの得意の言葉が書かれてある。「絵空事 真 幻 歌心 漫ろに綴る 島地勝彦」

平田:それはどういう意味ですか。

シマジ:いやいや、深い意味はありません。いつもいい加減なことを書いているということですよ。

立木:珍しく謙虚なことをいうじゃないの。

シマジ:淳太、この店はオープンして何年になるの。

石川:早いもので、今年で6年目に入ります。ぼくは40歳までに独立して自分の店を作るのが夢だったんですが、38歳のときにオープンすることができました。

シマジ:ということは、いま44歳か、人生はこれからだな。見た目だって健康そのものじゃないか。

石川:ところがシマジさん、じつは去年の4月に大変な目に遭ったんです。ある日のこと、午後3時ごろに表参道を自転車でブラブラしていたら、急に手足が痺れてきて、ガードレールに掴まって休まなければならないほどでした。そのときちょうど目の前に交番があったので、どうにかそこに駆け込みました。ほとんど倒れるようにして「救急車を呼んでください!」とおまわりさんに頼んだんです。

シマジ:具合が悪くなったところがたまたま交番の前とは、強運だったね。

石川:ホントに運がよかったんですね。担ぎ込まれたところが広尾の日赤病院で、午後4時にはオペが始まったんです。表参道でおかしくなってから1時間以内のことでした。その夜、店を予約していたオヤジが「淳太、大丈夫か」と病院のほうに見舞いにきてくれました。

シマジ:あまりに突然のことで、ジローもさぞ肝を冷やしただろうね。そのあとはどのくらい入院していたの。

石川:4週間です。ステントを入れただけの手術だったんですが。シマジさんはバイパス手術をしたんでしょう?

シマジ:おれはもう歳だからステントくらいでは間に合わなかったんだろうね。

平田:わたしも49歳のとき、それまで口八丁手八丁で絶好調だった人生が、一瞬で暗転する経験をしたんです。右脳が脳出血でやられましてね。朝出社しようとして玄関を出た瞬間、左の膝がガクンといってそのまま倒れてしまったんです。でも意識だけはしっかりしていて、絶好調のこのおれがこのまま終わって行くんだという思いがありました。女房が救急車を呼んでくれてすぐに病院に運ばれたんで助かったんですが、救急車に乗るまでまだ意識はありました。ああいった状況の中では、むしろもっと早くに気を失ってしまいたかったというのが率直な実感ですけれども(笑)。

シマジ:壮絶な体験をなさったんですね。でも平田さんが凄いのは、障害者ゴルフ協会に入って、片手でプレイされながらもゴルフを愉しまれていることです。

平田:むかしは100を超えるとガッカリしましたが、いまでは108のダボペースでもゴルフが愉しくなりましたよ。

シマジ:平田さんのそのチャレンジ精神こそ、SHISEIDO MENを完璧につくり上げた精神だったんでしょうね。

平田:いまでもゴルフのときはSHISEIDO MENのUVプロテクターを必ず使っていますよ。もちろんシマジさんと同じように、毎朝毎晩SHIEIDO MENシリーズを使っています。

立木:ここに貼り出しているメニューをみていると、淳太の店は価格がリーズナブルだね。

石川:前菜盛り合わせ、パスタ2種類、メインディッシュ、まあステーキがよく出ますが、そしてデザートで約5,000円です。それにワインはイタリアワインを中心として、チリ、ニュージーランド、アメリカものが多いです。

シマジ:客層は若いんだろうね。

石川:それがなぜか出版社の老若男女が多いんです。

シマジ:それはジローの関係なのか。

石川:いえ、まったく関係ないんです。むしろ話しているうちにぼくが石川次郎の息子とわかってお客さまに驚かれることがあります。

立木:息子はオヤジと同じ職業には就かないほうがいいんだよ。

シマジ:どうして?

立木:なかなかオヤジを追い越せないだろうから。第一なんでもかんでもオヤジと比較されるのは息子にとって辛いじゃないか。

シマジ:たしかにジローをオヤジにもったら編集者になるのは大変だよね。男性誌5誌の名編集長をやったオヤジだからね。淳太が料理人の世界を選んだのは正解だったね。

平田:あの石川次郎さんの息子さんに生まれたんですか。それは大変です。淳太さんは独立心が旺盛なんですね。オヤジさんに頼らず我が道を行くのが最高ですよ。

石川:平田さん、ありがとうございます。いまから厨房に入り料理を作りますね。 

新刊情報

Salon de SHIMAJI バーカウンターは人生の勉強机である
(ペンブックス)
著: 島地勝彦
出版:阪急コミュニケーションズ
価格:2,000円(税抜)

今回登場したお店

Buca Junta
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前2丁目3−30
03-6808-6009
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