撮影:立木義浩
<店主前曰>
わたしは25歳の春に集英社に入社して、秋には「週刊プレイボーイ」の新人編集者として世に飛び出した。そのころ「仮面」というユニークな店が千駄ヶ谷にあり、その店のオーナー経営者、江口司郎さんがわたしを「カナユニ」に連れて行ってくれたのが、そもそものはじまりであった。
あれから50年の月日が流れたが、「カナユニ」のメニューも味もこの50年変わることがなく、毎晩生バンドが入ってライブ演奏を聴かせてくれている。ウエイターのサービスもまた50年変わることなく、いつも最高のもてなしを続けている。今回の主人公バーマン、武居永治が日本一のベリーニとリモンチェッロを提供してくれるこの店には、オーナー横田宏さんのこころの広さと愛情が溢れているようだ。
10代、20代で「カナユニ」の従業員になった若者がいまでは還暦をとっくに過ぎて、黒々としていた髪の毛がいまでは白くなってきている。同じように25歳の青年だったわたしも、今年の4月7日でなんと75歳を迎えようとしている。
以前にも取材した「カナユニ」に敢えて2度目の取材をするにはわけがある。この大人のレストラン「カナユニ」が、来たる3月26日を持って閉店することが決まったのである。理由はビルが古く、耐震構造になっていないので取り壊されることになったためだ。
「それは惜しい!」という声が当然澎湃としてあがったのだが、オーナーの横田はこの店の歴史をそのまま別な場所に移すことは不可能と判断したらしい。それに自分を含め従業員が歳をとってしまった。泣く泣く閉店する横田さんのこころのうちは想像に余りある。
今回は武居バーマンを通じて、「カナユニ」の輝ける50年の歴史を語ってもらうことにした。今月の資生堂からのゲストは二宮久仁子さんである。
シマジ:二宮さん、あなたは幸運な方です。今月の26日で閉店してしまうここ「カナユニ」のバーカウンターに座れるなんて、じつは奇蹟的なことなんですよ。
二宮:ありがとうございます。こんな素敵なお店が閉まってしまうなんて残念ですね。
シマジ:ここのビルは古く、耐震構造になっていないので取り壊されるんですよ。
立木:この味のある雰囲気をそっくりどこかへ持って行くのは不可能だろう。この年季の入ったカウンターを運び出すのだって大変だろうし。
武居:それに従業員のわたしたちも歳を取り過ぎましたから、残念ですけど仕方ありません。
シマジ:いまそのウワサが東京中を駆け巡り、3月26日(土)の閉店の日まで予約がいっぱい入っているんだってね。
武居:はい、お陰さまで満員です。
シマジ:むかしは午前4時が閉店だったよね。
武居:そうです。それが10年くらい前に2時になりましたか。いまでは11時半にさせていただいています。従業員も年寄りばかりですから、体力の問題でそうさせてもらっているんです。
二宮:このお店はずっとこの場所にあったんですか。
武居:はい、ここに一軒ぽつんとありましてね。50年前から隠れ家のような店でした。
二宮:看板が少々わかりづらいですよね。
武居:オーナーの横田が敢えてそうしたんでしょう。
二宮:「カナユニ」というのは、どういう意味なんですか。
武居:これは「かなりユニーク」から作られたもので、オーナーの友人が命名したそうです。
立木:武居、ちょっと顔の汗を拭いてくれる?
武居:最も尊敬する立木巨匠のシャッターの音を聞いただけで、わたしの心臓が早鐘を打っている状態です。じつはこんな風に緊張してしまうイヤな予感がしていたので、シマジ師匠にはずっとこの依頼を断り続けていたんです。
立木:そんなに緊張することはないよ。気軽にカメラを見てくれる。それにしても、どうしてシマジが武居にとって師匠なの。
武居:昔からシマジ師匠は外国の取材から戻っては、わたしに「武居、こういうカクテルを作ってみな」と沢山教えてくださいました。それから師匠のエッセイに「カナユニ」のことやわたしのことを書いていただきましたので。
立木:そうか。シマジは「カナユニ」の宣伝部長として活躍していたのか。
武居:そのささやかなお返しに、ここでシマジ師匠のご本を沢山売らせていただきました。『甘い生活』などは500冊強は売らせていただきましたよ。
シマジ:お蔭で『甘い生活』は9刷までいって、文庫にまでなりました。
立木:500冊か。下手な書店より売ったんだね。
武居:今日はなにを作りましょうか。
シマジ:武居とおれの合作のベリーニ、と言いたいところだが、いまは桃のシーズンじゃないから、イチゴでベリーニもどきを作ってくれる。
武居:あれも人気がありますよ。
二宮:どういう飲み物なんですか。
武居:イチゴをジューサーにかけてカクテルグラスに入れ、プロセッコで割るんです。
二宮:美味しそうですね。それをいただきます。
武居:はいどうぞといいたいところですが、まずは立木巨匠が撮影するんですよね。
シマジ:そうです。二宮さん、ちょっと待ってくださいね。われらがタッチャンの撮影は速いですから。
立木:はい、お嬢、冷たいうちに召し上がれ。
二宮:いただきます。うん、美味しい!
シマジ:ベリーニだったらもっと美味いんですよ。
武居:このカクテルに名前をつけたんです。
シマジ:へえ、どんな名前にしたんだ。
武居:ペティアムール。どうでしょうか。
シマジ:ペティナイフのペティにしたんだね。おれだったらプティモールのプティを使って、プティアムールにするね。
武居:師匠がそうおっしゃるならそうしましょう。プティアムールですね。
立木:ここではシマジの言うことは絶対なんだね。
武居:師匠は「カナユニ」のオープン当初から50年間も通われているんですよ。わたしは40年に満たないくらいですから。
シマジ:武居はいくつになったの。
武居:66歳になりました。干支は虎です。
シマジ:「カナユニ」の料理はオープンのころから凝っていて、当時としては珍しいメニューがいろいろあったね。オニオングラタンスープにエスカルゴ、ビーフピラフにも人気があったね。
武居:あのころから横田オーナーは凝り性で、軽井沢の万平ホテルのシェフに献立を作ってもらったんです。当分の間うちに手伝いにも来てもらっていたそうですよ。
立木:そのころから生バンドは入っていたの。
武居:はい。当時から毎晩ちがうライブをやっていたそうです。
二宮:今度女子会で来ようかしら。
武居:申し訳ありません。26日の閉店まで、キャンセル待ちの方がいらっしゃるほど満杯なんです。
立木:シマジ師匠の力でなんとかならんのかね。
武居:こればっかりはどうしようもありません。
シマジ:横ちゃんは元気になったの。
立木:そうそう、オーナーの横田はどうしたの。
武居:去年の暮れに転んで腰を痛めてしまいまして、いま病院でリハビリ中なんです。
シマジ:横ちゃんが顔を見せないと寂しいね。
武居:閉店までにはクルマ椅子でも必ず来ますよ。
シマジ:そうだよね。彼が20代後半で「カナユニ」をオープンして、50年間愛し続けたお店だからね。横田宏の人生そのものだ。もう78歳になったのかな。
武居:そうです。師匠より3歳年上のはずですからね。