撮影:立木義浩
<店主前曰>
「カナユニ」の横田宏マスターは昨年の年末に転んで腰を痛め、現在リハビリのために入院中である。今年になって横田マスターは「カナユニ」の閉店礼状をしたためた。何千通送ったことだろう。オープン以来いまでも通ってきてくれるお客はさすがに少なくなったけれど、そのご子息やお孫さんたちが通ってくれているのである。50年という歴史の重みを噛みしめながら、万感の思いを込めて、横田マスターは切々と綴っている。
拝啓
今も又、瞬く間に年が明けて、滑るように現在が過去になって行く今日この頃でございます。
1964年まだ日本にはコンピューターがほとんどなくて、野村證券と全共連に米ユニバックの製品が一台ずつ入っているだけだった時代。
スイスの事務機メーカーの販売会社のセールスマンをしておりました時に、右隣の席に座っていた稲益弘充君の父親が建てた現在のビルで、左隣に座っていた岡崎豊君に「カナユニ」と云う名前をつけてもらって始まったのがレストラン カナユニでございました。
それ以来50年間皆様方からは実に温かい叱咤激励を戴き、昭和の文化を注入し続け育てて頂いたお蔭様をもちまして、やっと現在のバランスらしいものが少し保てるようになってまいりました。
1990年代の終わり頃から、いづ(ママ)れ覚悟しなければならないだろうとは感じておりましたが、今回二度目のオリンピックを迎えるに当たり、東京の都市の近代化の一端としてこのビルも建替えられる事が決まりました。
長年に渡り、皆様の生活の一場面に登場させて頂きましたレストラン カナユニを、最後にもう一た度だけでも見ていただければと、2016年の3月26日(土曜日)迄は営業の許可をいただきました。
とは云え何分、20代10代でスタート致しましたスタッフも、ほとんど還暦を過ぎてしまいましたので真に勝手ではございますが夜は11時ラストオーダーとさせていたければ幸いでございます。そのかわり夕方5時半からは毎日元気で、お客様方をお迎え致す所存でおります。
想い起こしますと、東京オリンピックから東京オリンピックの間、元赤坂のすみっこの地下室で、一日の休みもなく沢山のミュージシャンの方々の力をお借りしながら存在し続けたレストランとして、皆様方の記憶に留めていただくことが出来れば心から光栄に存じ上げます。
敬具
レストラン カナユニ 横田宏
立木:これは泣ける閉店礼状だね。
シマジ:そうでしょう。実際わたしはこころのなかで泣きました。しかも万年筆で書かれた「横田宏」という丁寧なサインに横ちゃんの性格と感謝の気持ちが表れているでしょう。
武居:ありがとうございます。マスターは病室でコツコツと文章を推敲し、出来上がった礼状一枚一枚に直筆でサインをしたんです。それを、この店でいただいたお客さまの名刺宛てに、何千人に出したことかわからないと言っていました。その想いが通じたのか、今年に入って久しぶりにお越しいただいたお客さまもおりますし、閉店の3月26日までお陰さまで満員御礼なんです。
二宮:今日はじめて、しかも営業時間外にこちらのお店に伺って、こんな感動的なお手紙を読ませていただいて光栄です。わたしもジンときてしまいました。
シマジ:しかも名文でしょう。堅苦しくなくて上品で、親しみやすさが滲んでいます。
立木:まさかシマジが書いたんじゃないよね。
シマジ:天地神明に誓って、横田宏マスターが渾身の力を振り絞って、病室で書いたものですよ。武居、ちょっとしめっぽくなってきた。二宮さんになにか新しい飲み物を作ってくれるか。
武居:それではわたしがまだ20歳そこそこのころに考えついたカクテルをお出ししましょう。題して「ボンヌイ・オスロ」と名付けました。
シマジ:それは「おやすみなさい、オスロ」という意味だったよね。
武居:そうです。オスロの街を見下ろしながら、グラマーな白人女性が囁くイメージで作りました。
立木:グラマーとは古いね。シマジはフルボディーと言っているよな。
シマジ:どちらでも意味がわかればいいでしょう。これはなにが入っているんだっけ。
武居:まずラム酒、コワントロー、それにフレッシュなグレープジュース。今日はキュウリを使っていますが、正式には大きなセロリが入ります。それを囓りながら、美女が静かに飲むわけです。
二宮:わたしでいいのかしら。
シマジ:十分資格があります。立木巨匠にすぐ撮影してもらいますから、存分に味わいながら飲んでください。
立木:はい、一丁あがーりー!
二宮:いただきます。うん、これは飲みやすくて美味しいです。爽やかですね。真夏にピッタリなカクテルです。
立木:おれはここで何度もマティーニ・オンザロックを飲んだことがあるが、あれを1杯作ってくれる。懐かしくて飲みたくなってきた。
武居:かしこまりました。マティーニ・オンザロックはこの店の一番人気の飲み物だったんです。シマジ師匠がヴェネチアのハリーズバーで覚えてきた、ベリーニを出す前のことですが。巨匠、はい、どうぞ。
立木:このレモンピールの香りが好きなんだ。
武居:ありがとうございます。巨匠のために特別大きいのにしました。
シマジ:おれもなにか注文していい?
武居:師匠、どうぞ、どうぞ、なんなりと。
シマジ:久しぶりにブルショットといこうかな。
立木:いつものスパイシーハイボールじゃないのか。
シマジ:たまには浮気をしてみることで、スパイシーハイボールの価値を再認識できるんですよ。
立木:へえ、そういうものなの。
二宮:お訊きしていいですか。ブルショットってなんですか。
武居:いい質問です。いまの若い方でブルショットを飲む人はいなくなりましたね。これは普通のバーでは出てこない飲み物です。上等なコンソメスープを使える店でないと作れません。うちには幸いレストランで作るコンソメスープがありますから、簡単に出来ます。ここにあるコール・コンソメを少し温めて普通のコンソメに戻します。それにウォッカを入れてシェークします。お好みでブラックペッパーをかけます。
シマジ:二宮さん、これは忙しいニューヨークのウォール街で誕生したカクテルなんですよ。パーティーに行く前に、ビジネスマンが馴染みのバーで一杯引っかけて行くんです。コンソメスープの脂が胃壁を守るといわれています。
二宮:わたしもいただいていいかしら。
武居:どうぞ。2杯分一緒に作りましょう。
立木:カナユニのようにオーセンティックバーが併設されているレストランなんて他にないよね。
武居:そんなに褒めていただきありがとうございます。また汗が出てきました。
シマジ:ここは全席禁煙ではないのがいいんです。シガレットはもちろんのこと、葉巻も吸えますし、パイプもOKなんです。
武居:ではブルショットをどうぞ。
二宮:美味しいです。生まれてはじめて飲みました。ところでブルショットってどんな意味なんでしょうか。
シマジ:牛のひと突きという意味です。
立木:まるでシマジのことじゃないの。
シマジ:違います。この1杯で元気になるという意味ですよ。