第2回 神宮前 La Patata 土屋孝一氏 第3章 人の喜ぶ顔はすべての原動力である。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

土屋孝一シェフはよっぽど自家製のものが好きらしい。わたしの大好きな“甘夏のタルト”に使う甘夏も、自分の庭に植えている甘夏の木からもぎ取ってきたものだという。その他にもブドウ、ビワ、サクランボ、ウメ、クリの木まで植えて育てているそうだ。もちろんそのウメでは自家製の梅酒も作っている。

シマジ:料理人には家庭ではいっさい料理をしないという人も多いですが、土屋シェフはどうなんですか。

土屋:ぼくは反対に家でも料理をしています。ですからよく親族や友達が家に遊びにきます。それほど凝った料理を出すわけではなく、冷蔵庫にある食材で作るだけなんですが、みんなが美味しい美味しいと食べてくれると嬉しいですね。

シマジ:人の喜ぶ顔を見るのがお好きなんですね。

土屋:以前スキューバダイビングをやっていたとき、カタマランという双胴船の上でご飯を炊いてこしらえた寿司飯と、潜って獲ってきたイカで握り鮨を作って仲間に振舞ったことがあります。

廣井:お話を聞いただけで美味しそうです。食べたくなりました。

シマジ:海の上で食べるイカの握り寿司って贅沢ですね。醤油もちゃんと用意していったんですよね。

土屋:もちろんです。生姜も用意して行って、船の上ですりおろしました。

立木:それにしても30年も同じ店でシェフをやっていると、常連のお客の息子や孫が来るようにもなるんじゃないの。

土屋:よくありますね。小学生だった坊ちゃんが立派なサラリーマンになって奥さんを連れて来てくれたりすると、嬉しくなりますね。さすがにお孫さんが単独で来たことはまだありませんが、そのうち来るようになるかもしれません。

シマジ:いまいただいているパンももちろん自家製ですよね。

土屋:はい。そういえば、あそこに飾ってあるヒョウタンもぼくが種を取って乾燥させて作ったものですよ。ヒョウタンは驚いたことに、イタリアのレストランでも飾っているのを見たことがあります。調べてみますと、東洋のヒョウタンがシルクロードを渡ってイタリアまで伝わったらしいです。

廣井:ヒョウタンって、もともとなんの果物なんですか。

土屋:ヒョウタンはウリ科の植物で、果実の中央がくびれています。昔は成熟した果実の中身を取り出して乾燥させて、お酒を入れる容器にしたんです。当時の生活のなかでは容器として重要だったんでしょう。まだ瓶もプラスチックの容器も発明されていないころの話ですが。

シマジ:あそこにあるヒョウタンはかなり変色しているんじゃありませんか。

土屋:うちも以前は葉巻もタバコもOKでしたから、燻されてあんな色になってしまったんです。

立木:土屋シェフは体つきからみてもスポーツマンでしょう。

土屋:はい、若いときはなんでもやりました。中学、高校と水泳部で、成人してからは水上スキーをはじめサーフィンもやりましたね。江戸川はいまのようにきれいな川ではなくてドブ川でしたが、あそこでも水上スキーをやっていましたよ。

シマジ:土屋さんの62歳という年齢からすると、若い頃は平凡パンチや週刊プレイボーイを熱心に読んだ世代ではないでしょうか。

土屋:まさにその通りです。うちにはパンチもプレイボーイもありましたから、よく友達が集まってきましたね。プレイボーイの人生相談が好きでした。創刊号から始まったシバレンさんの人生相談も面白かったし、今東光先生の人生相談も、それから開高健先生の人生相談も面白かったですね。欠かさず読んでいました。まさしくぼくの青春時代の師匠たちでしたね。

シマジ:沢山の作家の先生方が人生相談の回答役をやっていましたが、わたしが担当したのは奇しくもその3人でした。ありがとうございます。

土屋:そうだったんですか。あの3人は面白かったです。辛辣でユーモアがあって、毎週、まずあのページから読んだものです。シバレン先生はダンディな方だったんですか。

シマジ:着ているものもお顔もダンディでしたが、こころもダンディでしたね。柴田先生はわたしが編集者になって最初に出会った大物作家でした。公私ともにいろいろな人生の知恵を教えていただきました。

土屋:今さんはどういう方だったんですか。

シマジ:今東光大僧正は、それはそれは豪放磊落な方でしたね。声も野太くて迫力がありました。まさに博覧強記の方でしたね。そして笑顔が美しく、よく人を笑わせてくれましたが、自分で言って自分で呵々大笑することもよくありましたよ。

土屋:開高先生はどういう方でした。

シマジ:開高先生はグルメというよりグルマンでしたね。一緒に食事をしていて、わたしの2倍の量をペロリと召し上がっていましたからね。できたら土屋シェフのこのイタリアンを食べてみてもらいたかったですね。

土屋:シマジさん、嬉しいことを言ってくれますね。

シマジ:開高先生の人生相談では、ここにいるタッチャンに写真を撮ってもらっていたんです。こんな名人にザラ紙の活版ページで連載してもらっていたんですよ。

立木:しかも1枚2000円の原稿料でな。

シマジ:話がまずい方向に行ってしまったようです。話題を変えますか。

廣井:いまシマジさんは「乗り移り人生相談」を連載していますよね。

シマジ:はい。わたしの師匠3人に乗り移って回答する人生相談として、わたしのメルマガに掲載しています。わたしは人生で3つの大学を卒業したと思っているんです。柴田大学、今大学、そして開高大学です。硬軟織り交ぜてずいぶんいろいろな勉強をさせてもらいました。まあ言ってみれば、わたしは柴田先生にとっては息子のような年齢でしたし、今先生にとっては孫みたいなものでした。今先生とは約50歳離れていましたから。開高先生とは11歳違いでしたから、素敵なお兄さんであり、おもしろい兄貴という感じでしたね。この3人の師匠に会えただけでもわたしはこの世に生まれてきた甲斐がありましたね。それから立木巨匠ですか。

立木:シマジ、とってつけたようなことは言わないでくれる。たしかにお前の面倒をおれはかなりみてきたつもりだけど。

廣井:でもお2人の関係は素敵ですね。シマジさんと立木さんのように、現役を引退してからも、こうしてかつてのコンビで仕事を続けているってあまりないことなんでしょうね。

立木:シマジが現役を引退したとき、じつはおれはホッとしていたんだよ。それがまさか、こいつがその後ゾンビみたいに蘇るとは思っていなかったし、ましてや自分がこんな風にまたこき使われるとは想像もしていなかったのよ。

シマジ:わたしはタッチャンと仕事をしているのがじつに愉しいんですよ。

廣井:あっ、そうそう。土屋さんのお肌チェックをするのを忘れていました。土屋さん、ここにおかけください。土屋さんは西暦何年生まれですか。

土屋:1955年です。

廣井:凄いです。判定がCでした。

シマジ:凄い!62歳でCってどういうことですか。

立木:自分で美味いものを作って食べているから、栄養満点なんじゃないの。

土屋:そうですか。肌の手入れなんて一切したことはありませんが。

シマジ:今日の謝礼として贈られるSHISEIDO MENを明日から毎日使えば、きっと2ヵ月後にはBに昇格しているんではないですか。

廣井:詳しい使い方はこのパンフレットに書いていますから、参考にしてください。

土屋:これをシマジさんは毎日使っているんですか。

シマジ:はい。わたしはもう12年間、毎日使っています。

土屋:どうりでお顔がツヤツヤですものね。

立木:いやいや、シマジはツヤツヤというよりもテカテカじゃないの。光り過ぎなんだよ。

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