第10回 一関 ベイシー オーナー 菅原正二 第2章 「尊敬する人をみつけたら、勇気を持って一歩踏み出せ。」

撮影:立木義浩

<店主前曰>

たまたま本屋でみつけた「Stereo Sound」をパラパラめくっていたら、菅原正二の『聴く鏡』という連載をみつけた。いつもながら犀利な内容を達意な文章で綴っていた。資生堂の面々と立木撮影隊の総勢10人でベイシーに襲来したことを、ショーちゃんは「シマジ嵐」と表現していた。そしてこう綴っている。
――中でも特筆すべきことは季刊誌「マグナカルタ」の発刊だろう。その創刊号の広告をぼくは「朝日新聞」の朝刊で目にして、その日のうちに市内の書店に立ち寄って注文した。数日後、一番読みたかった項目を読み終えたあと「フム」と納得、ようやくその雑誌の全体をパラパラとめくってみると、何と「島地勝彦・責任編集」とはじめから断ってあるではないか!?油断とはこのことをいう。そして巻頭は「立木義浩写真館」である。知っている人がいっぱい関わっていたが、何と行っても立木さんの写真がデーンと飾っているところが「マグナカルタ」の格を上げているのは確かであろう。それにしてもこの本は値段が安すぎ!そのギャップにさえも「ジョーク」を覚えた――
 こんなことを堂々と書いてくれる後輩を持っているわたしは幸せ者である。

菅原 昨夜はみんなとどこで食事をしたんですか?

シマジ 当然「富澤」ですよ。

菅原 あそこのオヤジが今日はこれが美味いと選んでくれるところがいいですね。

シマジ 魚屋兼料理屋のところがまたいいね。

菅原 今日の昼食は?

シマジ マツモトの実家の<旅苑 松本>で岩手のマツタケをご馳走になってきました。ここのところ嵐で山は大荒れでマツタケは無理かなと心配していたんだが、ちゃんと土瓶蒸しを出してくれたよ。

菅原 シマジさんはマツモトを一関のバトラーとして使っているからそれくらいのことはしてくれるでしょう。

松田 仙台もお魚は美味しいですが、一関も負けていませんね。

菅原 岩手が三陸の海を抱えていますからね。そういえばだいぶ前の話ですが、1982年、ここで食べた戻りカツオはマイウー<美味い>でしたね。「何だい、これは。羊羹を噛んだ食感だ。醤油にこんなに脂が浮いているのに全然しつこくない!」ベイシーによく来る坂田明が絶叫していた。気仙沼から運んできてもらったものだったんですが、それからあのカツオを82年ヴィンテージとみんなで命名したくらい美味かったんです。

立木 話を聞いているだけでヨダレが出そう。

菅原 「マグナカルタ」の小泉武夫教授と先輩の「食の十番勝負」に載っていたんですが、カツオには右利き左利きがいるんですってね。

シマジ 小泉教授はそういっていたね。右利きのカツオは波に逆らって右へ右へと泳ぐので右側の身が締まっていて美味いそうだよ。ショーちゃんも繊細ないい舌を持っているからね。この間聞いたグレープフルーツの話をしてくれる?

菅原 グレープフルーツのような柑橘類は、仮に上のほうを北半球で下のほうを南半球と呼ぶとすると、両方食べ比べてみると赤道の上と下では全然味がちがうんですよ。

松田 そうですか。知りませんでした。どうしてですか?

菅原 多分太陽の関係なのでしょう。

立木 スイカもそうなの?

菅原 スイカは地面に転がっていますから一概に北半球南半球と決めつけられません。

立木 仙台からいらした“京香ちゃん”、ちょっとレンズをみてくれる。うん、たしかに鈴木京香に左頬のところが似ているね。

松田 わたし、カツオですか<笑>。

シマジ 松田さんはベイシーははじめてだそうですね。

松田 はい。お恥ずかしい話ですが、昨日スタッフに「あなた、一関のベイシーって知っている?」と尋ねたら、「松田さん、本当にベイシーを知らないの?」といわれました。すみません。

菅原 知らない人のほうがまともですよ。

シマジ 何で今日のショーちゃんはそんなに謙虚なの。

立木 どんな男も美人には弱いのよ。

シマジ ショーちゃんは偉大な男にも弱いんだよ。若いとき凄い怪物たちとじかあたりして親しくなったんだよね。まず野口久光先生のお話から聞かせてください。

菅原 人生にはオーラのある人に出会うと、まるで背中を押されたみたいに、じかあたりしてしまうことがありますね。野口久光先生との出会いもそうでした。わたしが早稲田の学生のころハイソサエティオーケストラに入っていたんですが、市川で主催された関東大会で早稲田が圧勝して、東京に戻る総武線の電車のなかで偶然にも野口先生と遭遇しました。そのとき先生は原稿を書いていらっしゃったんです。ちょうどわたしの席の真ん前でした。突然神が降りてきたみたいにわたしは立ち上がりツカツカと前に進み「野口先生ですか」と尋ねたのです。「はい、そうですが」と先生が物静かにお答えになり、東京駅に着くまでわたしはマシンガンのごとくしゃべりまくったのでしょう。もちろん学生ジャズコンペティションで優勝してきたことも語った。野口先生の書かれたジャズ評論も絶賛したのでしょう。名刺をもらい、何かあったらいつでも会社のほうに遊びにいらっしゃいというありがたいお言葉をいただいたのです。翌日、わたしは当然のごとく野口先生が働いていた東和映画の宣伝部を訪ねていました。

立木 野口久光さんはレコードのライナーノーツを書いたり、映画のポスターを描いたり多芸な人だったけど、どれもこれも格調があったね。

シマジ いつだったか横尾忠則さんも「あれはその辺の映画ポスターではない。アートだね」と絶賛していましたね。

菅原 野口先生の映画ポスターはいまのフランスでも評価されています。

立木 「禁じられた遊び」や「居酒屋」のポスターはいまでも思い出せるくらい強烈だったね。野口さんは日本全国の田舎にまで文化を発信していたんだよ。

シマジ ついには、その偉大なる野口久光先生の“鞄持ち”になっていった菅原正二という男も大したもんだよね。いまの若者に言いたいね。尊敬する人をみつけたら、まず、じかあたりするために勇気を持って一歩踏み出せって。

菅原 そうですね。それに野口先生はいいお顔をなさっていました。しかもお洒落でしたね。

シマジ ショーちゃんも白面の洒落男だけど、お洒落の技も野口先生から多く学んだんだろうね。

菅原 先輩だってシバレン先生や今大僧正や開高先生からいろんなものを盗んだでしょう。

シマジ 凄い怪物だと尊敬する人がいたら、まずその人の真似をすることが重要かもしれない。その3人はすでにいないから、いまおれはタッチャンから沢山のことを盗んでいるんだ。

立木 バカいっちゃいけない。おれはシマジに使われてから人生は終わったと思っているんだ。もう何の希望もなくなった。

松田 男の方の友情って素敵ですね。一関まできてよかったです。食べ物は美味しい。ベイシーの音は凄い。そしてみなさんの男たちのお話がとても興味深く面白いです。

シマジ 松田さん、男たちに、古いという形容詞をつけてください。

松田 いえいえ、先程からシェーカーを振っているマツモトさんも素晴らしいですわ。

立木 おい、一関の“役所広司”、お前もこっちにきて飲みな。もう一枚撮ってあげよう。

マツモト いえいえ、立木先生には昨日沢山撮っていただきましたから。

立木 シマジ、一関の人間はこんなに慎み深いのにどうしてお前は図々しいんだ。あっ、わかった。シマジは疎開者だったんだな。

シマジ おれは子供のときからエクスパトリエイトなんだよ。

松田 それはどういう意味なんですか?

菅原 先輩はヘミングウエイよろしく洒落て国外追放者といいたいのでしょう。

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