第5回 中目黒 BLOCKS 藤井将之 第2章 なによりもその目が鋭く美しかったのです。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

人間はみんな世の中に出て自分の職業を選んで生きている。ニートなんていっている場合ではないのだ。
立木義浩先生は生まれた家が徳島の有名な写真館だったので、気がついたらカメラを持って世の中に飛び出していた。
料理人の藤井将之の場合は、東京電子工科大学で勉学に励む学生時代、昼間は大学に通い、夜はご多分に漏れず居酒屋でアルバイトをしていた。そこで働く同じ歳の料理人が自分よりもうんと立派にみえた。よし、おれも料理人になろうかと考えたのがこの道に入るきっかけとなった。
一方、資生堂SABFA<サブファ>の矢野裕子先生は、ラーメンで有名になった喜多方市に生まれた。資生堂へビューティーコンサルタントとして入社後1984年に結婚、奇しくも夫は資生堂の営業マンであった。夫の転勤に伴い彼女は資生堂を退社。しかしそのまま専業主婦になろうとはしなかった。同年資生堂美容学校の通信課程に入学し、3年後には美容師免許を取得。矢野はさらに上のクラスを目指しSABFAに入学した。現在、資生堂ビューティークリエーション研究センターに所属し、美容師のエリートたちに向けて教鞭を執っている。

シマジ:人間は所詮好きなことでメシを喰っているんだね。藤井が料理人になったきっかけは居酒屋だったそうだけど、その後どういう経路を辿ったの。

藤井:正直、料理人になるきっかけは、中山美穂のコンサートだったのです。

シマジ:それはどうしてなの。

藤井:アルバイト先の先輩が中山美穂のファンで、自分も先輩について彼女のコンサートにいったのです。300人くらいの小さなコンサートだったのですが、中山美穂が歌ったりしゃべったりすると熱狂の渦になって会場が盛り上がるんです。人を喜ばせたり感動を与えられるって凄いことだなと、その夜感じてしまったのです。自分が他人に喜んでもらえることをするにはなにがあるんだ。そうだ、料理人になろう、と閃いたのです。自然に大学は中退しました。23歳にして料理人見習いになったのです。

シマジ:カメラマンにも修業時代があって一人前になるように、料理人の世界も同じなんだね。

藤井:お店で働くようになるとよくいわれましたね。なんでそんな歳で料理人になるんだ、まず料理学校に行けば、と。ですから最初はフロアのサービスマンをやっていました。

立木:藤井も結構苦労してきたんだな。

藤井:でもその後原宿のオーバカナルで木下威征に出会ったことが、わたしにとっては運命的といえるかもしれません。

シマジ:人生はホントに出会いが大切だよね。

立木:おれはシマジと出会った結果かなりの損をしたと思っているが、藤井は木下と会ったときになにか感じるものがあったの?

藤井:ありました。木下はイケメンですが、なによりもその目が鋭く美しかったのです。わたしは完全に木下の魔力にやられました。

シマジ:それはタレーランがナポレオンにはじめて会ったときとよく似ているね。タレーランはナポレオンの目の色が地中海ブルーだと確信するんだ。この男を皇帝にしようとタレーランは思ったそうだ。

藤井:わたしも僭越ながら木下に追いつき追い越そうと、いまでもそれを目標にして仕事をしています。

シマジ:木下は人格者でもあるよね。

立木:それはどうして。

シマジ:おれが白金のオー・ギャマン・ド・トキオ地下一階のハナレに行くと、木下は二階から転がるように降りてきて必ず挨拶してくれるんだ。おれはいつも恐縮している。礼節があるということは人格者なんだ。

立木:じゃあ礼節のないシマジはまちがいなく人格者ではないな。

シマジ:そうでしょうね。おれは半端者ですよ。

立木:藤井と木下とは歳がちかいの?

藤井:向こうのほうが一歳上です。

立木:藤井のほうが下でよかったね。叶わない男が年下だとやりにくいものだよ。

シマジ:オーバカナルも一世を風靡したよね。

藤井:はい、あの店は調理場に14人の料理人がいましたが、それだけ大勢いても店が流行りに流行っていて料理を出すことだけで全員が精一杯でした。そんななかでわたしは木下に頭が上がらないことが山ほどありますが、オーバカナルで働きはじめたころ、いちばん後から入ったとはいえ、藤井君とみんなに呼ばれることが、どうもわたしとしては気にくわない。3日目でやめようかなという考えがよぎったとき、木下が藤井ちゃんといってくれたのです。それからみんなもわたしのことを藤井ちゃんと呼ぶようになりました。

立木:たしかに藤井が新米でも年下に藤井君と呼ばれるのは傷つくよな。やっぱり木下は人格者かもしれないね。

シマジ:この辺で矢野先生のお話を聞かないと福原さんに怒られるかもしれません。ところでSABFAは他の美容学校とどうちがうのですか。

矢野:一般的な美容学校は美容師免許を取得するための学校で、多くは2年制ですね。高校を卒業して入学する学生が多く、現在、全国に250校くらいはあるでしょう。東京の板橋には資生堂美容技術専門学校があります。これに対してSABFAは美容師免許を持つ方を対象としたプロのヘア&メーキャップアーティストを育成する学校で、少数精鋭主義が特徴です。板橋の学校が学校法人であるのに対して、SABFAは資生堂が運営する「私塾」という位置づけです。またメ-キャップスクールは全国にありますが、美容師免許を持つ人を対象にしているのはうちだけですね。

シマジ:SABFAも2年制なのですか。

矢野:うちには2つのコースがあります。ビューティークリエーターコースは週4日の授業で期間は1年間、定員20名です、サロンメーキャップコースのほうは、週1日で期間は半年間、定員18名です。両コースとも毎年北海道から沖縄まで全国各地の美容師さんが受験されます。サロンコースは週1日ですのでみなさん美容師を続けながら通学されています。

シマジ:全国から若者がやってくるのでしたらいろんなドラマが生まれるでしょうね。

矢野:はい、ときには小説以上の感動的な出来事もあります。SABFAのボディ・ペインティングの授業中のことでした。生徒同士が背中を貸し合い油性ペイントで絵を描く授業中、男女のペアで描いていたら、背中を貸している女性が泣き出してしまったのです。話を聞いてみると、2人が背中に絵を描きながら世間話がはじまり、どこの出身?と訊かれて彼女がある街の名前をいうと、男性の生徒がこういったそうです。
「僕の美容学校時代の大親友があなたと同じ街の出身でした。凄く仲がよくてよく一緒に遊んだんですが、そいつが不幸にも若くして白血病を患い、亡くなってしまったんです。そういえばあなたと同じ苗字だったなあ」
すると女性の生徒がこういったのです。
「それはわたしの兄です。生前、兄がよく口癖のようにいっていました。『お前が東京に出てきたらおれの大親友に会わせてやるからな。そいつはとってもチャーミングなやつなんだ』と。わたしは東京に出てきてからずっとその方を捜していたのです。あなただったのですね。こんなところで会えるなんて」
彼女は泣きじゃくっていました。わたしが男性に「あなたたちはお似合いの素敵なカップルのようね。きっと天国のお兄さまが2人を引き合わせてくれたのだから、お互い運命の人じゃないかしら」というと、彼は毅然としてこう答えたのです。
「彼女は本当に素晴らしい女性で思いやりもあって優しい。でもそんな彼女に応えるには、ぼくはあまりにも汚れすぎています」と。

シマジ:ロアルド・ダールなら短編小説が書けるくらいのエピソードですね。

矢野:卒業後、2人は自然と音信不通になってしまったようです。

立木:おれも早くシマジと音信不通になりたい。

藤井:じつにこころに沁みるお話でしたね。それでは料理を作りますか。

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今回登場したお店

Plaque Cuisine de GAMIN “BLOCKS”
ブロックス

東京都目黒区上目黒3-16-13 CUBE‐M 2F
TEL: 03-5724-3461
> 公式サイトはこちら (外部サイト)

ヘア&メーキャップアーティスト

矢野 裕子

資生堂の宣伝広告のヘア&メーク、NYコレクション参加など多岐にわたり活動。ヘア&メーキャップスクールSABFAの講師もつとめる。

> 公式サイトはこちら

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