第5回 中目黒 BLOCKS 藤井将之 第3章 明治時代に生きているような錯覚に襲われる。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

わたしの自慢のネールアートをいつも美しく仕上げてくださる矢野裕子さんは、SABFA<サブファ>の“教授”である。キャピキャピの可愛いビューティーコンサルタントもチャーミングだが、資生堂のベテランの女性はこれまた味がある。年齢を重ねてますますチャーミングになっていくのはいい人生を生きているからだろう。たとえば矢野先生は社内結婚をしたが、その結婚には歴史的にみると大きな壁があった。彼女は会津若松出身でご主人は鹿児島の出身だという。会津藩と薩摩藩といえば、明治維新以来犬猿の仲である。多分両方のご家族に猛反対されたことだろう。それでも2人の愛は強かった。資生堂を早期退職したご主人はいま庭師をなさっており、方々の家の庭の木を刈り込んでいる。わたしがみるに、2人の結婚生活はじつにうまくいっている。1万組に1組といえるほど理想的で幸せなカップルだ。どうしてそんなことがいえるのか、それは矢野先生のお顔を拝見すれば一目瞭然である。無欲な仏さまのような菩提のこころがそのお顔に現れ、微笑みが輝いている。
 一方42歳の藤井将之はいままさに脂が乗っている料理人である。若い時から地道に努力を積み重ねた人間ならば、40歳を過ぎる頃には自信という人生のパスポートを手にすることができるのだろう。

立木:シマジ、たまには資生堂からベテランの先生をお呼びして、人生の大義を語らうのもいいじゃないか。いままでの道のりにはいろいろあったかもしれないが、いまの矢野先生にはゆったりした余裕さえ感じられるね。

シマジ:自分の大好きな会社とはいえ、結婚で一度退職した資生堂にしばらく経ってから復職し、ここまで技術を極め、いまやSABFAで若手の指導に携わっているというのは素晴らしいことだね。

矢野:いえいえ、わたしの人生なんてたいしたことはありません。気がついたらこうなっていただけのことです。

立木:シマジにもこれくらいの謙虚さがあれば、敵の少ない穏やかな人生を送ってこられただろうにな。

シマジ:相手がおれのことを敵だと思っていたとしても、おれ自身は相手を敵だなんてちっとも思ったことがないんだ。

立木:そこがお前の傲慢さだよ。

シマジ:おれの話はこの際置いといてよ、タッチャン。それより矢野先生は会津出身なんだが、おれはいままでの人生を振り返ると会津出身の人間とは相性がいいんだよ。

立木:そういえばお前を猫可愛がりした集英社の元社長若菜さんも会津出身だったよな。

シマジ:そうです。集英社で愉しいサラリーマン生活を送れたのは若菜さんあってのことでした。

立木:銀座のアイリン・アドラーのママもたしか会津出身じゃなかったか。

シマジ:そんな古い話はさておき、矢野先生のご主人は薩摩藩の生まれだ。歴史的にみて、会津藩は最後まで徳川家を守ったのに対して、薩摩藩は徳川幕府を倒した張本人だよ。

立木:薩摩藩の藩主といえば島津氏だ。島津と島地ではえらい差があるんだな。シマジの先祖はいったいどこなんだ。

シマジ:おれの先祖は三重県の伊賀上野だよ。

藤井:シマジさんのご先祖は忍者ですか。

立木:だからシマジは夜陰に乗じていろんなところに出没するんだな。

シマジ:そんな話はどうでもいいが、司馬遼太郎がこう書いているんだよ、「わたしは日本史を紐解くに、ホッとするのは会津藩があるからだ」と。
徳川を最後まで信じ守った会津藩に司馬遼太郎は滅び行く美しささえ感じていたんだろうね。その会津藩にとって最大の敵方である薩摩藩の男と出会い結婚したんだから、矢野先生はたいしたものだよ。

立木:お前と話しているとなんだか明治時代に生きているような錯覚に襲われる。いまではそんなこと関係ないだろう。

シマジ:いやいや、根っこではいまでもこだわりがあるらしいよ。おばあちゃんから孫へのいい伝えの力はすごい。子供のときに叩き込まれたことってなかなかこころから消えないものだよ。ところで藤井、次の料理を作っていていいよ。矢野先生はランチ抜きでいらしているんだ。急いであげて。

藤井:了解しました。このあとシマジさんに教わった「エッグプラント・シマジスペシャル」でいこうと思うのですが。

シマジ:それはやめておいたほうがいいよ。「ハナレ」の新井が可哀相だろう。あそこでいま人気メニューになっているんだ。お前が新井に教えたあと、あいつは自分なりにいろいろ研鑽してますます美味くなってきた。

立木:なになに、エッグプラント・シマジスペシャルだって。聞き捨てならない。藤井、いいからそれを作ってみろ。おれがこの目とこの舌でチェックする。

シマジ:タッチャン、それはそのうち白金の「ハナレ」を取材するときに披露したいので今日はどうか勘弁してください。読者がここにきて注文しても、いつも「エッグプラント」が食べられるわけではありません。鰹節を削る器械が必要なんです。

藤井:そうですね。新井を男にしましょうか。

シマジ:お前は木下に似て男気があるね。

藤井:それではホタテをポアレしてわさびとバターソースをかけて、キュウリとワカメを三杯酢で和えたものを添える料理を作りましょうか。

シマジ:それがいい。

立木:エッグプラント・シマジスペシャルってどうしても気になるな。

シマジ:必ず近いうちに取材しますから、愉しみにしていてよ。

藤井:そんなに気になるのなら、「ハナレ」に行けばいつでも食べられますよ。

立木:ここには木下得意のトウモロコシの上にウニを乗せたムースはないのか。

藤井:もちろん用意してあります。矢野さん、是非これを召し上がってください。うちの定番料理です。

矢野:冷たくって美味しいですね。うちの学校は西五反田にあってこことは指呼の間ですので、今度生徒さんたちと寄らせていただきますわ。お部屋もあるんですね。

藤井:軽く8名は入れます。是非いらしてください。お待ちしております。

立木:そのうち矢野スペシャルが出来たりして。

シマジ:うん、あり得るかもね。矢野先生とはなんども食事をしていますが、いい舌をしていますよ。なにしろ会津でニシンの棒煮を食べて育っているからね。

立木:それは郷土料理なんだね。

シマジ:会津といえばニシンを甘辛く煮た家庭料理があって、その器がまた凝っているんだ。

矢野:シマジさんはよくニシンを入れる器のことまでご存知ですね。

立木:わかった。それは若菜さんではなくアイリン・アドラーのほうから教わった情報だろう。おれはシャーロック・ホームズ並にカンがいいんだぞ。

シマジ:いつだったか若菜さんと飲んでいて会津の保存食のニシン煮の話になったとき、「シマジ、どうしてそんなことまで知っているんだ」と喜ばれたことがあった。「いやいや、全国郷土料理全集で知りました」とそのときは誤魔化しましたがね。

立木:ここで全部吐けば楽になるのに、お前は往生際が悪い男だね。

シマジ:人生には墓場まで持って行く秘密ってものがあるんです。

立木:シマジの秘密はみなバレバレだよ。自分だけ秘密と思っているだけで、みんなはすべてを知っている。

シマジ:藤井、メインディッシュはなんだった。

藤井:メインはマグレ鴨のローストにしようかと考えています。

立木:それはパリでおれに作ってくれたやつだよな。

藤井:はい。それを覚えていてくださるとは、自分は泣きたいくらい嬉しいです。あのときは柚胡椒を探してパリ中を走り回り、ネギを焼いて添え、フォンドボーで作ったソースをかけて召し上がっていただきました。ご飯を寿司飯にしましたら、立木先生はお代わりまでしてくださいました。

シマジ:タッチャン、結構えこひいきされているじゃないの。

立木:おれはお前ほど大きなえこひいきをされたことはない。あくまでも品のいい、小さなえこひいきに留まっているよ。なあ、藤井。

藤井:ええと、なんてお応えしたらいいか。うーん、困りましたね。

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今回登場したお店

Plaque Cuisine de GAMIN “BLOCKS”
ブロックス

東京都目黒区上目黒3-16-13 CUBE‐M 2F
TEL: 03-5724-3461
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ヘア&メーキャップアーティスト

矢野 裕子

資生堂の宣伝広告のヘア&メーク、NYコレクション参加など多岐にわたり活動。ヘア&メーキャップスクールSABFAの講師もつとめる。

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