第1回 西麻布 鮨 来主 荒川真也氏 第3章 “髪結いの亭主”の見事な指裁き。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

鮨処「来主」の規模は小さいけれど、店内には温かく、いい気が流れているのを感じる。それは荒川店主の元気な気と、奥方の由美さんの艶やかな気であろう。荒川真也は4歳年上の由美さんとはじめて出会ったその日のうちに「彼女を人生の伴侶にする」とこころのなかで堅く決心したという。恋の女神が2人を必然的に会わせたのであろう。それから荒川は由美さんに猛烈なモーションをかけた。そのころすでに由美さんはヘア&メーキャップアーティストの道を究めて、一流のプロを目指していた。プロ中のプロが行く資生堂の「サブファ」のコースの、まず半年コースを受けて、続けてさらに1年コースを目指していた。
そんな由美さんが荒川の情熱に負けて結婚し、なおかつ荒川の仕事を手伝うことになったのだ。ヘアを形作る由美さんの指先の動きはさぞかし優雅なものであっただろう。由美さんを「サブファ」で指導した矢野裕子先生が「由美さんが美容師を引退なさったのはもったいないことです」とわたしに語ったことがある。
しかし、鮨を握る荒川の見事な指の裁きに、由美さんは惚れ込んだのではないだろうか。

シマジ:しかしあれだけの美人の女性を女房にしたんだから、大将はたいした男だよね。タッチャン、そう思わない?

立木:思う、思う。美女の撮影を愉しみにしていたのに帰られてしまうとは、残念だった。

荒川:いやいや、そんなことを言われると照れますよ。

シマジ:大将が何歳のとき奥さんとめでたく結婚したんですか。

荒川:わたしが27歳のときでした。女房は31歳でしたか。

シマジ:むかしから年上の女房は金のワラジを履いてでも探せと言われたものですよ。

荒川:そうですか。でも出会ってから結婚するまで3年かかりました。わたしは世田谷の「青柳」には10年くらいいましたが、そのあと10回も店を変わりましたから、女房にはホントに頭が上がりません。そのころは「また辞めたの」とよく言われたものです。

シマジ:最初の店がよかったから、それ以上の店が見つからなかったんでしょうね。当然奥さんのほうが稼ぎもよかったでしょうしね。

荒川:そうなんです。そのころ女房は前途を嘱望され、人気もあるヘア&メーキャップアーティストでした。それを引退させてこの店を手伝ってもらっているんですから、まったく頭が上がらないんです。資生堂さんにもなにか悪いことをしたような気がしてしまうくらいです。

立木:まさに“髪結いの亭主”だったんだ。

シマジ:ある一時期はそうだったかもしれないけど、それから頑張って「来主」のオーナーになったんだから、たいしたものですよ。

荒川:じつはもう諦めていたら向こうから電話がかかってきて「付き合ってあげてもいいわ」と言われたんです。

シマジ:わかった。真面目に働いている大将の情に由美さんはほだされたんだね。

立木:最初はどこで彼女と知り合ったの。

荒川:世田谷の鉄板焼き屋というか、お好み焼き屋でした。

立木:うん、ひと目惚れっていいね。

荒川:ホントに照れます。もうやめてください。汗を拭かせてください。

シマジ:でも仲睦まじい相思相愛の夫婦って、傍で見ていても気持ちがいいよね。

荒川:ホントにもうやめてください。

シマジ:ところで鮨職人になる修行は厳しいだろうけど、何年くらいで表のカウンターに立てるものなんですか。

荒川:自分の場合は5年かかりましたね。最初はみんな便所掃除からはじまります。

シマジ:「青柳」の師匠にはなんて言われましたか。

荒川:「お前は不器用だからきっと伸びるだろう」とよく言われましたね。その理由は器用なタイプより不器用なほうが、余計に努力して精進するからだそうです。

シマジ:そうですか。大将がわたしにいつも握ってくれる、小指の第一関節くらいのシャリの大きさからは考えられない言葉ですね。

立木:シマジのような我が儘な客は相手にしないほうがいいよ。

シマジ:でもお鮨の世界にも流行ってあるんでしょう。

荒川:ありますね。わたしがまだ小僧のころはシャリを団扇で仰いで冷ましたものですが、いまは人肌くらいの温度が好まれています。それが5、6年前からこの世界の主流になっています。うちでもいまは湯煎を張ってシャリが冷たくならないように工夫しています。

立木:シマジ、資生堂からいらしたお嬢の話も聞かないとマズイじゃないか。さっきから退屈そうにしているじゃないの。

福田:いえいえ、面白く聞かせていただいています。

シマジ:そうでしたね。福田さんは晴れて念願の資生堂に入社されて、はじめはどちらに配属されたんですか。

福田:2012年に入社しまして、すぐに大阪に赴任しました。わたしは埼玉出身で、大学を卒業するまで関東から出たことがありませんでしたから、はじめての大阪ではじめての1人暮らしをスタートさせることになったんです。

シマジ:はじめての1人暮らしが大阪ですか。でも新幹線ならすぐ東京に帰れる距離ですよね。

福田:それが西日本デパート営業本部で九州地方を担当する部に配属になり、大阪で1人暮らしをしながら、週2~3日は九州で過ごすという、学生時代には想像もつかなかった生活を送っていました。

シマジ:でもそれはいい経験になったのではないですか。

福田:はい、3年間で九州全県と山口県、沖縄県を担当しました。

シマジ:それは貴重な体験ですよ。九州全県を見てまわるなんて普通はなかなかできないことですよ。

福田:そうですね。非常に貴重な体験をさせてもらい感謝しております。配属当初は右も左もわからない状態でしたが、得意先のバイヤーやBC(ビューティーコンサルタント)のみなさんにたくさんのことを教えられ本当に勉強になりました。

シマジ:まさに「可愛い子には旅させろ」の状況だったんですね。

立木:で、いまはなにをしているの。

福田:東京に異動になり、営業サポートグループという部門でSHISEIDOを担当しています。いってみればマーケティング部が構築したイベントなどの推進と調整を行う仕事です。

荒川:大学を卒業して大きな会社に入ったはいいが、新人が一人前になっていくにはどんな業界でも大変な関門がいろいろあるんですね。

立木:いまではこんな偉そうな顔をしているけど、50年前はシマジだって集英社の新入社員だったんだよ。きっと生意気な新人だったと思うけど。

シマジ:4月に集英社に入社したその同じ月の29日、集英社からほど近い如水会館で、わたしは新人ながら結婚式を挙げたんですよ。

荒川:それは凄いことですね。

シマジ:まあね。まだ正社員でもない立場でありながら、本郷専務とか石橋総務部長をお呼びして式を挙げたんですから。

福田:新婚旅行は行かれたんですか。

シマジ:仮採用の身分でしたがちゃんと行きましたよ。先祖の墓がある伊賀上野を中心にして伊勢とか鳥羽とか、今度サミットが開かれる賢島あたりをゴールデンウイークを利用して、1週間ばかりかけてまわりました。

立木:この図々しいヤツがよく首にならずに定年までいられたと、おれはいつも感心している。七不思議の1つだよ。

シマジ:どんな職業でもその仕事が大好きだったら、勤め上げられるんですよ。その道が好きだというのが重要ですね。そうすれば人間は命がけで働くものですよ。

荒川:なるほど。

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