撮影:立木義浩
<店主前曰>
静谷和典バーマンは硬派で有名な国士舘大学に学ぶかたわら、アルバイトでアパレルの販売員として渋谷の西武百貨店で店頭に立っていたという。その、むかし取った杵柄のせいか彼は見るからにお洒落であり、イケメンである。
肉体も締まっている。それもそうだろう。高校は江川卓が卒業した栃木の作新高校に学んだ。そこで競歩のトレーニングに明け暮れたという。どちらかの足が地面から離れてはいけないというあのスポーツだ。なんと競歩でインターハイにも出た男である。
いまは四谷3丁目に住んでいて、新宿3丁目にある「リベット」までは、行きも帰りも競歩で通っているそうだ。
佐藤:あっ、そうだ。忘れないうちにというか、わたしが酔っ払わないうちに、静谷さんのお肌チェックをしましょうか。
シマジ:いい考えです。
佐藤:静谷さん、わたしの隣に座っていただけますか。
静谷:はい。
佐藤:静谷さんの生年月日を西暦で教えてください。
静谷:1985年6月13日です。
立木:若いねえ。シマジとおれがアメリカに取材に行ったのは、たしか1977年だったから、それから8年後に生まれたんだね。
シマジ:タッチャン、おれたちが年を取ったのも当たり前ですね。
佐藤:ではお肌のチェックをしますね。 ・・・凄い!Bでした。
静谷:Bはどんなに凄いんですか。
シマジ:この連載に登場する男性はDがいちばん多いんです。Cもあまり出ません。ですからBはたいしたものですよ。
立木:Bは珍しいんじゃないの。
佐藤:今日は謝礼としてSHISEIDO MENからシマジ・セレクトのアイテムを差し上げます。これを毎日使うとシマジさんのお肌のように、さらにピカピカになりますよ。
シマジ:静谷、近い将来、Aも夢ではないかもしれない。明日からこのなかに入っているクレンジングフォームで顔を洗い、ハイドレーティングローションをたっぷりつけて、それから保湿液モイスチャーライジングエマルジョンを顔全体にのばすように塗る。そのあと美容液のアクティブコンセントレイティッドセラムを顔の下から上に向かい、引き上げるように顔全体に馴染ませる。そして最後にトータルリバイタライザーアイを目の周りに、これも丁寧に塗り込めば、静谷のその完璧な肌はいつまでも精悍さと若さを保つことができますよ。
立木:シマジはまさにSHISEIDO MENの宣伝部長だね。それだけよどみなく説明できるのはたいしたもんだ。
シマジ:この連載をもう5、6年やっていますからね。それにわたしは全部毎日使っていますから。
静谷:そんなにいろいろつけるんですか。驚きました。
シマジ:2ヶ月後くらいに、伊勢丹新宿店のシガーバー「サロン・ド・シマジ」に来るとき、本館1階のSHISEIDOの売り場に寄って肌チェックをしてみてください。もしかするとAになっているかも。
静谷:そうですね、しばらく頑張ってまたお肌チェックを試してみますか。うちの店から伊勢丹までは、ものの3分もかかりませんから。
佐藤:静谷さんは頑張り屋さんですから、やれないわけがありません。先ほどシマジさんに聞いたんですが、ウイスキー検定3階級で全国1位達成したそうではないですか。
シマジ:しかも3級2級は100点満点、1級は97点だったんだよ。
静谷:いえいえ、あれはマグレだったんでしょう。
立木:どうして静谷はバーマンになったの。
シマジ:タッチャン、わたしがいま訊こうとしている質問を取らないでくださいよ。
立木:ごめん。そうだ。おれは写真を撮らなきゃならないんだ。
シマジ:大学を卒業して、最初はどこへ就職したんですか。
静谷:学生時代のアルバイトの関係もあり、アパレル業界のニコルに勤めたんです。同期は横浜fカレッジなどのファッション専門学校出身者が多かったですね。
立木:でも国士舘大学とアパレルってどうしても結びつかないよね。
静谷:若いときはアパレルが好きだったんです。ところが、ニコルで数ヶ月働くと個人売り上げがNo.2になっていて・・・
シマジ:凄いじゃないですか。
静谷:それが、ぼくの場合はむしろモチベーションが保てなくなってしまったんです。こんな感じでこのまま10年働いて店長になったとして、自分の人生としてはいかがなものかという思いに悩まされたんです。「辞める」と言ったら、上司に「君は販売としての才能があるから、辞めるのは勿体ない」と言ってもらいましたが、自分としては、同じ接客業でももっと打ち込めて自分に合うものがあるんじゃないかと考えるようになったんです。そしてあるとき、バーマンはどうだろうという考えが閃いたんです。まあ、お酒が好きだったことも当然ありますが。そして結局、飛び込みでこの世界に入ったんです。
シマジ:まあ仕事は好きでないと勤まらないからね。それまで好きだったアパレルよりバー稼業に気持ちがいったんだね。
静谷:アパレルは2時間接客して頑張っても、お客さまに「また今度にします」と言われればそれまでなんですが、バーは入店してもらえば、お客さまは最低でも1杯は飲んでくれますから空振りがない商売なんです。そこが気に入りました。
シマジ:なるほど。ところでバーの世界に入ったのは何歳のときだったんですか。
静谷:23歳でした。西麻布のとあるバーに飛び込みで入ってから新宿のバーで働いたり、世田谷のバーで働いたりしたあと、小さいながらもオーナーバーマンになれました。「バーカウンターは人生の勉強机である」という格言をシマジさんは作っていらっしゃいますが、まさにその通りだと思います。お酒が入ると人間は本音で話し合えるものですよね。
立木:静谷にはバーのほうがアパレルより愉しかったんだ。シマジは伊勢丹でバーもアパレルもやっているんだろう。
シマジ:そうです。わたしは自分ではデザイン画など描けませんから、専門のデザイナーに描いてもらっています。シーズン毎に私がこれぞと思うアイテムを出していますが、この夏用にはグルカショーツやカプリシャツなどを企画して商品化しました。
立木:今度、静谷に見てもらって売れるかどうか訊いてみたらいいよ。
シマジ:それはいい考えですね。今度伊勢丹に来たら見てみてください。
静谷:ぼくはとっくにアパレルは卒業しました。ですからあいにく、意見を訊かれても無理ですね。
シマジ:でも静谷のように飛び込みから始めて一流のバーマンになるのは大変なことだよね。
静谷:研修期間は給料が14万ほどでしたから、大変でしたよ。実際5年くらい修行してやっとここまできたという感じですかね。
シマジ:「グレンリベット」が「静かなる谷」だと知ったときの様子を教えてください。
静谷:新宿のバーで働いていたころ、グレンリベットのハイボールの作り方を練習していて、気がついたら朝の9時過ぎでした。お店は3時に終わったんですが、それからが若いバーマンにとっての修行の時間なんです。それで、10時を過ぎたころ何気なく紀伊國屋書店に入り、シングルモルトの専門書をパラパラと読んでいて、グレンリベットのページを開いたときです。グレンリベットの意味が「静かなる谷」だということがわかり、ハッとしました。これはぼくの名前ではないか!静谷だ!と思ったときの震えるような感動はいまでも覚えています。将来、独立して店を持つときは、「リベット」という名前にしようとそのときからずっと考えていました。
佐藤:いいお話ですね。
シマジ:本当に偶然とはいえ、運命的な言葉との出会いですね。まるでバーマンになるためにつけられたような名前ですね。
静谷:静谷という苗字は、栃木県の一部にしかないそうです。いままで同じ苗字の人に会ったことがありません。
立木:「グレンリベット」が自分の苗字の「静谷」だと知って、その後の修行の励みにもなったんだろうね。
静谷:そうかもしれません。