第6回 浅草 BAR DORAS 中森保貴氏 第2章 静と動、中森バーマンの二つの顔。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

シマジ:『旅するバーテンダー -浅草発。究極の一杯に向けてヨーロッパを駆ける-』(双風舎)の中にこんな一節がありましたね。スペインで一人旅をしているとき、怪しげな公園を通り過ぎようとすると、突然2人の男が現れて、「サルサはこうして踊るんだ」と1人の男に足を絡めとられそうになった。そのとき、あなたが瞬時にして相手の足を払い、宙に浮いた男の体が腰から地面に叩きつけられたという。あの場面を読んで、あなたがバーマンにしてプロのシュートボクサーであったことを理解しました。

中森:お恥ずかしい。そんなことがありましたね。スペイン人が驚いて「お前はジャッキー・チェンか?!」と言っていました。

立木:たしかに中森バーマンは眼光鋭く体が引き締まっているよね。おれも先程からタダ者ではないとうすうす感じていたんだが、やっぱりそうだったのか。

中森:いえいえ、ずいぶん前の話です。たまたま店の隣がシュートボクシングのジムということもあって、毎日通ってプロを目指していたんです。

シマジ:なんでもプロになるのは大変なことですよ。とくに格闘技のプロになるのは並大抵のことではないでしょう。

安藤:シュートボクシングというのはどういうボクシングなんですか。

シマジ:キックボクシングプラス投げ技あり、絞め技あり、要するになんでもありの格闘技ですよね。

中森:まあ、そういったところでしょうか。このバーをオープンしたのはいまから12年前ですが、じつはオープンの頃はシュートボクシングのプロとして、後楽園スタジアムでスポットライトを浴びていました。そしてここではバーの小さなスポットライトを浴びてバーマンの仕事をしていたんです。あれは、わたしにとって静と動という感じでした。静はこのバーのカウンターに立っているとき、動は後楽園のスタジアムで闘っているとき。そのふたつの歯車がわたしとしてはうまく回転していたんですが。

シマジ:なんか哲学的ないい話ですね。

中森:でもお客さまには「怪我したらどうするんだ。ボクシングの方は早く辞めろ」と言われたことも多かったですね。

シマジ:いま中森バーマンはいくつですか。

中森:43歳です。シュートボクシングのプロとして活躍できたのは31歳から33歳の頃で、34歳で引退したんです。

シマジ:プロとしての成績を教えていただけませんか。

中森:プロ時代の成績は7戦して、3勝4敗でした。

立木:いまテレビでレーナとかいうシュートボクシングの可愛い女の子が有名じゃないの。

シマジ:そうですか。知らなかった。

立木:シマジはテレビを観なさすぎなんだよ。

中森:はい、いますね。RENAはいま25歳かな。

シマジ:また『旅するバーテンダー』のなかのエピソードに戻りますが、中森バーマンはとても強運な人だとつくづく思いました。先程の2人組が30分後にまたやってきて、サルサのパーティーに来ないかなんて誘われた後、命の次に大事な財布が、ジーンズの後ろポケットからすられたんですよね。

中森:そうでした。「さっきの2人組だ!」と気がついたときには遅かったんです。まだ旅は始まったばかりで、財布には現金に加え何枚かのクレジットカードが入っていたんです。レンタカーはクレジットカードがないと貸してもらえない。これは困ったとあのときは絶望的な気持ちになりましたね。ところが、トボトボとホテルまでの道を歩いていると、見たこともない現地の電話番号からわたしの携帯に電話がかかってきたんです。そして「あなたの財布を預かっているから、ランブラス43署まで来るように」と言うではありませんか。発信者は警察だったんです。

安藤:それは信じられないくらいの奇跡的出来事でしたね。

シマジ:読んでいてわたしもハラハラドキドキしましたよ。

中森:警察の窓口で事情を話すと、私服警官がやってきて、ビニール袋に入ったわたしの財布を渡してくれたんです。財布の中身はクレジットカードから現金まで全部ありました。その警官によると、やはりあの2人組はサルサダンスの勧誘を装って財布を盗むスリの常習犯だったようです。わたしの財布をすって逃げたところを、たまたまその私服警官が目撃していた。怪しいと思って追いかけ捕まえたら、財布を隠し持っていたそうです。

立木:外国ですられた財布が戻ってくるなんて、まずあり得ないことだよ。

中森:その警官も同じことを言っていましたね。「あなたはラッキーな男だ」と。それから「ズボンやジーンズの後ろポケットに財布を入れておくことは、どうぞ、スリさま、すってくださいと言っているようなものだよ」と忠告してくれました。

シマジ:じつはわたしも一度すられたことがあるんですよ。やっぱりパンツの後ろポケットに財布を入れておいて。

立木:どこでだ。

シマジ:ロサンジェルスでした。

立木:それならそんなに絶望的にはならなかったろう。だってロスには集英社の支局があって、シマジと親しい奥山さんというボスが支局長をしていたからね。

シマジ:そうなんですけど、ショックはショックでしたよ。パンツの後ろポケットに財布を入れて歩くものではない、と強く思いました。でもその教訓が後年生きましたね。伊勢丹のサロン・ド・シマジでわたしが考案したバッグを売っているんですが、これが自信作でしてね。安全性、機能性、デザイン性を備えた革のバッグを、5色展開して売っているんです。中森さん、一度見にきてください。これはヒット商品となって、いままでに100個は売っています。わたしがそのバッグをタスキのように肩から提げて、ロンドンのハロッズを歩いていたら、お洒落な紳士に「そのバッグは何階で売っているんですか」と訊かれたくらいです。特徴は体にぴったりくっつく側に、財布とパスポートが入るようになっているんです。

中森:伊勢丹のサロン・ド・シマジにはいつか行かないと、と思っていましたから、近々必ず伺います。

立木:おれもあのバッグは持っているけど、なかなかお洒落で機能的だよね。あのバッグがなくなるときは、きっと命も危なくなるときだろうね。

安藤:女性用も売っているんですか。

シマジ:男女兼用です。色違いで買っていかれるカップルもいますよ。国内旅行にも海外旅行にも最適なバッグです。表の収納部分にはパイプ、葉巻ケース、小銭入れ、鍵が入るように設計されています。そしてバッグにセクシーなカーブがデザインされているんです。そうだ、ちょうど今日持ってきたこのバッグがそれです。

安藤:きれいなブルーですね。

シマジ:これはナイルブルーという色なんです。でも中森さんの財布がなにも抜かれず出てきてホントによかったですね。わたしも読んでいてあのときはホッと安堵しましたよ。この先どうなってしまうんだろうかと心配になりました。

立木:海外旅行といえば、シマジは自分のパスポート写真を、10年ごとにこのおれに撮らせているんだよ。

中森:えっ!それは贅沢というか、豪華というか!

安藤:そんなことできるんですか。

シマジ:それは立木先生のわたしに対する、温かくも厚い厚い友情の証なんです。パスポートの写真ってご存じかもしれませんが、白バックでないといけないんです。立木先生はわざわざ白バックを携えてわたしの狭い仕事場に来てくれるんですよ。でもこれはわたしの人生の荘厳なる儀式だと思って、ありがたく甘えているんです。

立木:シマジ、本当にありがたいと思っているんだろうな。

シマジ:タッチャン、こころの底からそう思っています。

中森:いつか立木先生が撮られたシマジさんのパスポート写真を見せてもらいたいですね。

シマジ:でもパスポートってあまり人に見せないものじゃないですか。

中森:そこをわたしだけにちょこっとお願いします。決して他言しませんから。

立木:中森バーマン、パスポート写真なんて、そんなオーバーなもんじゃないよ。

中森:でも、見てみたいです。

立木:DORASの内装が凝りに凝っているのは、このモノへの強い好奇心があればこそ、かもしれないね。

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新刊情報

神々にえこひいきされた男たち
(講談社+α文庫)

著: 島地勝彦
出版: 講談社
価格:1,058円(税込)

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