第7回 光文社文庫編集部副編集長 萩原健氏 第4章「都会出身の編集者は凡庸である。」

<店主前曰>

タイムライフの創設者、ヘンリー・ルースによれば、「都会出身の編集者は凡庸である」そうだ。ルースは南部生まれで、中国育ちである。中国での幼な友達に作家のパール・バックがいた。父親は牧師だった。わたしのように南部生まれの中国育ちのほうが、鋭敏な好奇心を備えられて、才能ある編集者になれるのだと自慢している。「生まれたときから、周囲に摩天楼が建ち並ぶニューヨーク生まれでは、地べたからもの申すという編集者の優れたセンスが身につかず、ろくな編集者に育たない」とも語っている。
しかし、すべての物事には例外がある。いまをときめく集英社の「少年ジャンプ」を創刊した長野規は、東京の蒲田生まれの蒲田育ちである。若いときわたしはずいぶん可愛がってもらったが、この優れた編集者に学ぶことが多くあった。まさに今日の集英社の”米びつ”を作った偉人である。たしかに、わたしが影響を受けた大先輩の本郷保雄は、佐渡出身だったし、中興の祖といわれる若菜正は会津若松の北方の出身であった。そういうわたしも、生まれは東京の奥沢だったが、幸いにも戦争で、岩手県一関に4歳から高校を卒業するまで疎開して、そのまま育ったのである。
もう一つ例外がここにいた。ハギワラは東京の下町、浅草生まれの浅草育ちである。かれは優れた編集者である。長野規も大酒飲みだったが、ハギワラも負けてはいない。はじめてわたしはハギワラに文庫オリジナル『異端力のススメ』を作ってもらったが、いいセンスの文庫になった。
ほかの”十二使徒”と呼ばれるわたしの担当編集者たちは、みんな地方出身者である。MEN’sPreciousのハシモト編集長は大阪出身だし、『乗り移り人生相談』のミツハシも岐阜出身者だ。『現代ビジネス』のセオ編集長も大阪生まれ大阪育ちである。
ハギワラはどうして凡庸な編集者にならなかったのか。それは浅草という環境がよかったのだろう。浅草はいまや東京の偉大なる田舎だからである。安くて美味いものがゴロゴロしている。

シマジ ハギワラが『異端力のススメ』を編集するにあたり、おれが会った怪物たちと時代的に会えなかったが鍾愛してやまない怪物たちを、1章、2章と分けてくれたのは、センスのいい編集だと、おれは高く買っているんだ。

ハギワラ ありがとうございます。じっさいこうしか並べられなかったのです。

木村 お会いになれなかった怪物のお方は、資料を読破して書いたのですか。

立木 木村さん、鋭い質問です。

シマジ その通りです。会って親炙している怪物たちは、いくらでも体験的エピソードがありましたから愉しく楽に書けました。会っていない怪物たちは、伝記や怪物たちが自ら書いたものを沢山読んで、自分が面白いと思うところだけを拾ってきたり、繋ぎ合わせて書いたんです。

木村 どのお方も凄い怪物でしたでしょうが、お肌がきれいなお方はどなただと思いますか。

立木 愛社精神に満ちた鋭い質問だね。

シマジ ちょっと会ったことがあるんですが、やっぱり白洲次郎でしょう。かれは稀にみる美男でした。肌はサーモンピンクそのものでしたね。後年、おれは次郎の孫の白洲信哉さんと仲よくなったんです。かれは素敵な魅力ある男です。

立木 シマジは信哉さんに贅沢なスッポン料理を作らせたりしているんだよ。

シマジ 信哉さんは現代では珍しい一流の高等遊民ですね。

木村 高等遊民ってどういうことですか。

シマジ おれも憧れですが、人間としていちばん格好いいのは「天職は無職」というやつです。かれが働いたのは生涯で細川総理の秘書をちょっとやったくらいでしょう。

立木 シマジやおれのように、いつまでもこうして現役で働いているなんて下品の極みだよな。おれも早く引退しよっと。

シマジ タッチャン、もう少し働こうよ。おれは貧乏性なのか働くことが大好きなんだ。

立木 それはちがうと思うな。シマジだって運良く大スポンサーが現れて「あなたの大好きなシングルモルトもシガーもお洒落もすべて、わたしが面倒をみます」といわれたら、こんなしち面倒くさい原稿なんか書かないで遊び惚けているんじゃないの。人以上の贅沢に甘んじるばかりに、仕方なく馬車馬のごとく働いているのとちがうか。

シマジ 鋭い指摘だ。ゾーリンゲンのナイフで心臓を突かれた思いがする。

ハギワラ でもシマジさんがそんなご身分になったら、さぞ退屈することでしょう。このサロン・ド・シマジのバーの”格言コースター”に「無知と退屈は大罪である」っていうものがありましたね。

立木 いや、シマジに大金が転がりこんでいたら、朝からシングルモルトを飲んで、葉巻を吸って、お洒落をして、本ばかり読んで悠々暮らしている男だとおれは思うな。

シマジ そういえば白洲信哉さんがオープンしてまもなく、この伊勢丹のサロン・ド・シマジにやってきて「シマジさん、やっぱりやったんだ」と感心して帰っていきましたね。信哉さんは会員制の料理店をやれば流行るとおれはいつも思ってるけどね。かれの料理の腕は第一級モノです。何せ、おじいちゃんが白洲次郎、おばあちゃんが白洲政子ですからね。それに母方のおじいさんは、小林秀雄ですからね。おれが思うに、信哉さんはとくに白洲政子おばあちゃんに大きな影響を受けているようだね。

木村 白洲信哉さんのお肌をチェックしたくなってきました。

シマジ かれはきっと好成績をゲットするだろうなあ。

立木 ネスプレッソ・ブレーク・タイムの撮影で、信哉さんの”隠れ家”に行ったんだが、サロン・ド・シマジと広さが断然ちがっていて、撮影が楽だった。おれは次の仕事があるのでお暇したが、シマジやセオは、信哉さんのスッポンの手料理を食ったらしい。

シマジ あれはじつに美味かった。スッポンを4匹も用意してくれていたから、信哉さんとセオとおれだけじゃの3人じゃ余っちゃうから、『甘い生活』を上梓してくれたハラダをはじめ、ミツハシもそれから最近セオの部下になったヒノを緊急招集かけたんだ。

立木 よくその日の今日でみんなこられたね。

シマジ スッポンの力は偉大なり、だ。

ハギワラ ぼくも呼んでくれれば万難を排して駆けつけたのに。

シマジ おまえは離婚騒動で多忙を極めていたと思って遠慮したんだよ。

ハギワラ そのころはとっくに解決していましたよ。

シマジ ごめん。今度あんな素敵なチャンスがあったら、絶対にいの一番に誘ってあげるよ。

立木 話を『異端力のススメ』に戻すが、第1章と第2章は文体もちがっているようにおれは思ったね。

シマジ そうですか。たしかにあとの章はまじめに書いたかな。

立木 ところどころ、ちゃんと関係者に会って取材している姿勢が編集者らしくていいぞ。

シマジ そうですか。

ハギワラ 宮武外骨が出色ですね。週刊プレイボーイを100万部にした原動力が宮武外骨にあったなんて、草場の陰で外骨はうれし泣きしていますよ。

木村 すぐここで買って読みますが、一つだけエピソードを教えてください。

シマジ じゃあ。ハギワラいってあげてよ。

ハギワラ ぼくが笑ったのは、シマジさんが週刊プレイボーイの編集長をしていたときのことです。シマジさんがたまたま用があって午前中出社したら、だれもいない編集部にけたたましく何度も電話がかかってきた。あまりのしつこさに耐えられず、シマジさんが出たんです。すると電話の主は「編集長はいるか!編集長を出せ!」と大声でわめいていたそうです。そのときシマジさんは悠々と応えたのです。「編集長はおりません。大変お忙しいお方でして、いつも夕方しか顔を出しません」すると電話の向こうで叫んだ。「お前はだれだ!」「わたくしは館内を巡回している守衛でございます」「守衛じゃしょうがねえ。夕刻また電話する!」それに続けてシマジさんはこう書いています。しばらくして発狂した男の頭は冷えたのだろうか。その後、電話はかかってこなかった、と。これには前段の話があるんです。
戦前の天才編集者、宮武外骨が同じことをやっている。外骨センセイが当時売り出しはじめた味の素を「あの味の原料はじつは蛇でごさい」と揶揄したコラムを雑誌に載せた。案の定、味の素の創業者の鈴木三郎助がカンカンになって外骨の会社に怒鳴り込んできた。「責任者はおるか!宮武ガイコツとかいう奴はおるか!」すると奥から坊主頭の中年の男が現れた。ゆで卵のような顔に丸い金縁メガネをかけて、口ひげを生やした宮武外骨その人が現われて、愛想笑いを作って尋ねた。「どちら様でございましょうか」「鈴木商店店主の鈴木三郎助だ。お前さんは」「へい、申し遅れました。わたくしはこの半狂堂の番頭、亀四郎と申します」
亀四郎とは外骨が成人して改名するまで使っていた幼名だった。怪物はしゃあしゃあと続けた。「外骨先生はいま全国講演中にお出かけで、あいにくここにはおりません」「いつ帰ってくるんだ」「さぁ、1ヶ月先か、いや2ヶ月先になるか、何せいまや外骨先生は世間の耳目を集める高名な人でございましょう。わたしどもも困り果てている次第です」相手の隙をみてちゃっかり自己宣伝するしたたかなユーモアを外骨センセイは忘れていない。結局、味の素の三郎助は番頭相手では埒があかず、新聞各紙に社長声明として「誓って天下に声明する。味の素は断じて蛇を原料とせず」と広告を打ったのですよ。

木村 面白い方ですね。外骨って本名なのですか。

シマジ はじめは「トボネ」と呼ばせていたようですが、「ガイコツ」のほうが威勢がいいと、後年は「ガイコツ」になった。

木村 知りませんでした。もっとわたくしも本を読まなければなりませんね。

シマジ 資生堂にはいいお手本がいるじゃないですか。

木村 えっ?

シマジ 福原義春名誉会長ですよ。わたしの尊敬する書友です。

立木 さっきあそこでガイコツの指輪を売っていたのをみたけど、シマジもガイコツ好きだよな。

シマジ その通り。こうしておれは肌身離さずガイコツの指輪をしているんだ。

木村 どうしてですか。

シマジ 人間はどんなに喜ぼうと、泣こうと、騒ごうと、いずれみんな髑髏<されこうべ>になってしまう。自分を律するためのお守りとして、いつもはめているんです。

ハギワラ これなら家族会議を開かなくてもぼくでも買えそうだ。シマジさん、ぼく、これ今日買います。

シマジ ハギワラさま、ありがとうございます。

立木 また急にシマジが伊勢丹の店員になったぞ。おまえ、このガイコツの指輪をそうやっていくつ売ったんだ。

シマジ 残念ながら、まだ40個しか売れていません。

立木 へぇ、このガイコツ指輪を40個も売ったのか。

シマジ はい。これはシマジ教の聖なるリングなんでございます。

立木 それはシマジ教ならぬシマジ狂だな。

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